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Art|クロード・モネ 《睡蓮の池》 目に見えるもの

今週も「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」の作品のなかから1点を紹介していきます。早く見たいぞ!

実際にはこうみえないのがモダンアートの入り口

さて、今週はいよいよモネの登場です。

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クロード・モネ《睡蓮の池
 1899年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

日本でも、人気の高い印象派の画家たちのなかでも、モネは、1、2を争う人気画家です。同じ印象派のなかでも、「ノートルダム大聖堂」や「積み藁」といった、モネといえばな、キラーコンテンツをもつのがモネの特徴です。

この作品は、モネが生涯を通じて描き続けたモネの代表シリーズ「睡蓮」の1枚です。

日本の、とくに浮世絵の題材に使われた亀戸天神の太鼓橋を思わせる構図は、明らかに浮世絵の影響がみられますね。

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歌川広重《名所江戸百景 亀戸天神境内
安政3年(1856)

モネの絵を見て、違和感がありませんか? 橋は真正面からみているのに、湖面は奥行が会って、上から見ているように見える。

この絵には、正面とやや上からの2つの視点があることに気づかされるはずです。

西洋絵画では長く、実際の3次元世界を平面に再現するというイリュージョンが求められてきました。そのため、塗り残しや筆の跡が残るのは、未熟な画家のやることで、かりにそういったものが残った絵は、未完成と烙印をおされて、失笑の的でした。

それと、覆したのが、1874年の第1回印象派展で出品されたモネの《印象、日の出》でした。

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クロード・モネ《印象、日の出
1872年 モネ・マルモッタン美術館

マネは、輪郭や形を重視していたものをぼやけた一瞬のように描いた絵は、「画家の印象を描いただけだ!」と、当時の絵の批評家たちから糾弾されました。それは、とにかく「3次元の再現を目指す」ことが大前提だった絵画を冒涜するような行為だったからです。

しかし、それも、30年近く経つと「前衛」ではなくなりました。

モネがどこまで前衛を意識して、《睡蓮の池》を描いたかわかりませんが、すくなくとも、「3次元空間を絵画に留める」という時を止める絵画の作業を、絵の中に、視点をいくつも作ることで、時間の流れを作りました。

こうした複数の視点は、現代絵画の父とよばれるセザンヌや、ピカソのキュビスムとほぼかわらない流れの中でうまれた、モダンアートへ向かう画家たちの様式といえるでしょう。

しかし、一方で、モネらしい、光の動きは、この絵でも健在です。美しい色彩の共鳴が、「きれいだなぁ」と、素直に胸を打ちます。

1900年以降の「睡蓮」は、もっと水面にクローズアップして、装飾的に、ある種の意味なきものになっていきます。それを、「理解できない」と感じる人もいるでしょう。

そういった意味では、この《睡蓮の池》は、3次元の再現と、移り行く時間の表現という意味で、4次元的な絵画といえるような気がします。

そうした心地よさが、見る人を魅了する。そんな気がします。


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