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1万字かけてMIND TRAIL 天川での感動を語ってみた

奥大和(奈良県南部)を舞台にしたアートフェスティバル「MINDマインド TRAILトレイル 奥大和 心のなかの美術館が、10月9日から始まっています。

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2020年に続き2回目となるそうで、今回も、奈良県南部の吉野町、天川てんかわ村、曽爾そや村の3エリアで開催されています。

天川村エリアには、友人の金子未弥さんが作品を展示されていて、「奈良の展示、すごくいいんで、ぜひ来てください!」というお誘いを受けていたこともあって、先日東京から行ってきました。しかも未弥さん本人のガイドつきというプレミアムなトレイルです(未弥さんありがとうございます)。

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天川村のなかでも展示がある洞川という温泉の里までは、京都から近鉄特急で橿原神宮駅まで行き(1時間ほど)、そこからレンタカーで1時間30分ということで、ほいほいと行ける距離ではありません。そりゃもう山奥も山奥、"人が住まわせてもらっている"というような場所でした。

しかも作品の展示場所は、登山道や自然散策道といった自然のなかの道。自然とアートが共存する空間を歩くMIND TRAILはすごく良い体験でしたし、作家の未弥さんから制作秘話を聞いたり、他の作家さんの制作の話を聞いたり、その土地のことを聞いたりしたこともありました。

そういった現地で得たものをまとめて、MIND TRAILに興味がわいた方が、実際に洞川に行って向けに120%楽しむための参考になるような体験記を残しておこうと思います。

こんな方にMIND TRAILはおすすめ! すべてまるっと楽しめます。
・アートが好きで芸術祭に興味がある
・トレッキングなどで自然を感じるのが好き
・写真を撮るのが好き
・紅葉シーズにいつもと違った体験をしたい
・日本の歴史や古い文化が好き
・温泉にも入りたい

MIND TRAIL 天川の会場のひとつ
洞川ってどんなところ?

MIND TRAILは、登山道や自然散策道といった山の中の道沿いに作家の作品が展示されており、鑑賞者は山や川岸といった場所を歩きながら、そこにある作品と対峙していくというものです。

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副題に「心のなの美術館」とあるように、自然の中を歩くことで、とくに僕もそうですが都会で生活をしているような人とっては、いつもとは違う五感が解放される環境で、アート作品に出合うというもの。

鑑賞者ごとの心が一つひとつの美術館になっていくというのが、このアートフェスティバルのテーマといえます。

僕が訪れた天川エリアのほか、吉野町と曽爾村でも同様の展示が行われています。ちなみに、エリアごとにキュレーターがいて、天川エリアはアーティストの菊池宏子さん(NPO法人インビジブル)が務めています。

奈良県天川村は、紀伊半島中央部に位置する山村で、周囲を標高1500~1800mの大峰山脈の山々に囲まれています。そのなかでもMIND TRAILが行われるのは、洞川どろがわという大峰山への登山口にある湯の里。洞川温泉と聞けば関西エリアの方は山奥の秘湯として聞いたことがあるかもしれません。

大峰山は、古来、山岳信仰の場所で、山伏や修験者たちが修行のためにこの山に籠りました。洞川は、その山伏たちが歩く修験道の入り口にある集落で、古くから修験者の疲れを癒してきた湯の里でもあります。

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この洞川の中心にある龍泉寺は、修験道の入り口である大峯山登山口にある寺です。大峯山を開いた1300年前の僧侶・役行者が弘仁3(808)年に草庵を開いて修行をしたことが始まりだといいます。

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役行者は、大峯一山の総鎮守として龍神、八大龍王尊を祀りました。それが境内にある八大龍王堂で、ながく修行者の道中安全・家業繁栄の守護神として崇敬を集めてきたそうです。

龍泉寺は、昭和21(1946)年の洞川大火で、本堂などを焼失しますが、八大龍王堂は奇跡的に災禍を免れたもの。近年老朽化により解体し、平成13(2001)年に再建されました。

堂内は拝観可能。天井一面に描かれた龍の絵は、大正・昭和に生きた狩野派の絵師、川面稜一が描いたものです。なかなかの大迫力ですので、ぜひトレイル前に拝観してみてください。

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MIND TRAIL 天川村は、ここから山道に入っていきます。

龍泉寺に行く前に、洞川温泉の入り口付近にある案内所(大峯山洞川温泉観光案内所内)で、MIND TRAILのパンフレットを入手しましょう。今回トレイルする順路がありますので、歩く参考になりますよ。

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菊池宏子+林 敬庸《千本のひげ根

案内所から龍泉寺に向かう途中にある面不動鍾乳洞の入り口脇にトレイル用の杖置場があります。実は、この杖は《千本のひげ根》という、天川エリアのキュレイター菊池宏子さんと、大工棟梁の林敬庸たかつねさんの作品です。

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横には、作品に対するメッセージが書かれています。文字のクセが違うのは、天川エリアで作品を展示している作家が1文ずつ分担して書いたからだそうです。2文目(あなたの~から続く一文)が、今回案内してくれた未弥さんが書いた部分です。

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アートを観るのに杖なんかいらないよ」と思うかもしれませんが、この先の散策道は道が悪かったり登りも急だったりするので、ぜひ持っていくのがおすすめします。さらにこの杖を持っていると「MIND TRAILのお客さんだ」と見てもらえるというメリットもあります。

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龍泉寺の奥に裏山に向かう山道があります。この道をまずは登っていきます。すると最初に現れるのが長さ約120m、高さ約50mの「かりがね橋」という吊り橋です。

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洞川には奈良県の天然記念物に指定されているイワツバメの越冬地があり、そのイワツバメを洞川では「かりがね」と呼ぶそうです。そのイワツバメが飛ぶ美しい姿を残していきたいという願いから「かりがね吊橋」名づけられたといそうです。

吊り橋なので、人が渡るとかなり揺れるのですが、橋自体は丈夫な(ように見える)ので、それほど怖さはありません。橋の上からは、洞川の街並みを一望することができます。僕は高いところから、街並みを見るのが好きなので渡るのはすごく楽しかった! MIND TRAILの作品ではないですが、思い出深い橋です。

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橋を渡ると再び山の中の自然道を歩きます。

途中途中にMIND TRAILの案内版があるので(小さいので見逃しがちなのでご注意ください!)これを頼りに歩いていきます。もちろん自然の中を歩いていますので、森の住民たちにひょいと出会うことも。この日は大きなカエルとヘビに出会いました。

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龍泉寺から15分ほど登ると、視界が開ける場所にでます。地元では、大原山展望台とよばれる場所で、展望台の建物があります。この展望台からも、洞川の街を一望することができます。

そして、この展望台の中に、KIKIさんの《mement of memories》が展示されています。

KIKI《mement of memories

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この展望台からは、すこし緩やかな山道、尾根をつたって歩いていきます。

しばらく造成された杉林を歩いていくと、未弥さんが「そろそろ、私の作品がありますよ~どこでしょうか?」と、いきなりのクイズタイムが始まります。

ええ、どこだろう? とまわりを見回しても、作品と呼べるような形のものは見当たりません。「もう見えてきてます」と未弥さんは笑っています。

そうすると、目の前の景色がこれまでとちょっと違う、違和感を覚える空間にたどりつきます。

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金子未弥さんの作品《予感の最小単位-バグ-》です。

金子未弥《予感の最小単位-バグ-

上の写真では、どれが作品なのかちょっとわかりにくいかもしれません。もう少し寄ってみましょう。

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そのあたりに落ちていた枝を集めただけですよ」と未弥さんがいうように、素材としては、この場所あったもの、色や質感などに大きな違和感はありません。じっさい、これまで歩いてきた山道にも、同じようにこういった枝が山肌に重なり合っていました。そう、これまで歩いてきた山のなかで見てきた景色です。

しかし、そこだけが異様に大きい。タイトル通り「バグ=プログラムの誤り」が起きたような自然のなかに不自然な違和感が生まれています。

一方で、美しく杉が立ち並ぶ風景自体も実は、高度成長期に人が植えた人工的なものであり、それ自体も山の中では”バグ”だったりもします。

そう考えると”バグ”という作品は、この重なり合った木の枝だけでなく、この杉林自体のことを意味しているのかもしれません。

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ふたたび尾根をつたって山道を行くと、1軒の山小屋が見えてきます。この小屋のなかに、次の作品、上野千蔵さんの《「うつしき」-いけみず-》があります。

上野千蔵《「うつしき」-いけみず-

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上野さんはCMや映画などの撮影監督であり、映像作家でもあります。本来は、映像メディアを使っての表現になるわけですが、この小屋のなかでは、そうした映像を再生するようなディスプレイはなく、ただポツンと部屋の中央に水の器が設置されているだけです。

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しかし、この小屋は三方に大きな窓があり、そこから差し込む光を反射して水面が鏡のようになって、窓の外の景色を映し出します。

小屋に入るまえに入り口に設置している柄杓を使って水差しに水を汲んでおきます。その水差しの水を器にポツン、ポツンとたらしていくと、その水面に映った景色が動き出すのです。

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もちろん本当に動くのではなく、水面が波打つことで動いたように見えるわけなのですが、波打った水面がすこしずつ静かになって、ふたたび外の景色を映し出すようなになるまでの時間は、ぼやけたフォーカスから徐々に対象にピントがあっていく映像のようで、映像作家の上野さんでなければできない作品で、すごく美しいと思いました。

この部屋はとくに光の入り込み方がいいので、ずっと写真を撮ってられます。

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10月の中頃だったので、紅葉にはもう少しという時期でしたが、11月になれば周囲の木々は真っ赤に染まって、それはそれは美しい映像が映し出させるだろうなぁ。紅葉の時期に行かれる方、うらやましいです。

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さて、上野さんの作品があった山小屋を出ると、ここからの道は下り坂になります。すべりやすいので気を付けてくださいね。

途中道端を見ると、大きな白い石があることに気付くと思います。これらの石は石灰石で、太古の昔、奥大和は海底にあったことを物語っています。

洞川は、名水百選にも選ばれる銘水地で「ごろごろ水」と呼ばれる湧水は、県内外からわざわざ水を汲みにくる人たちもいるほど。清涼な水質は、こうした石灰石の土壌でろ過されるなどして生み出されるものでもあります。

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山を下りる途中、崖の縁を歩くような坂道を降りていくと、そこだけふと空が開ける場所にでます。そこに一編の詩が記されたモニュメントがあります。かく 和歌子さんの詩《水の坂道》です。

覚 和歌子《水の坂道

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覚さんは、ジブリ映画《千と千尋の神隠し》の主題歌「いつも何度でも」を作詞したことでも知られる作詞家で詩人、そしてシンガーでもあります。

ちなみに「いつも何度でも」を覚さんご自身が歌われているヴァージョンがYouTubeにアップされているので貼っておきますね。秋風のように乾いたさわやかさがあるというか、凛とした芯があって、背筋のよい歌声で映画版はまたちがった魅力があります。

水の星の
水の村にたたずむ

ひとのかたちをした
薄い膜のなかの水

だからたましいの方向へ
気化することもできるけれど
 (あの山と 空の奥は
  還るところかもしれない)

先ほどの上野さんが題材として使った「」に呼応するかのような覚さんの詩によって、洞川のイメージが森から水へとつながっていきます。

いまは重力にまかせて
坂道をいく

大地が広げる胸に
抱かれにいく

そして、覚さんの詩のように重力に任せて坂道をさらに降りていった先に、未弥さんの2つめの作品はあります。《予感の最小単位-指標-》です。

金子未弥《予感の最小単位-指標-

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長さどれくらいだろう。3mほどの角材が杉に結わきつけられ水平を保っています。それが、山の斜面に一体にいくつも存在しているのです。

それが、見る場所によっては一直線の長い棒に見えたり、少しずつずれて十字架が並んだように見えるのです。

そして谷の底には、12本の角材がサークル状に配置された円盤のようなモニュメントが怪しく見え隠れする――。

予感の最小単位-バグ-》同様に、杉林のなかで違和感をギリギリに感じさせる、何かの境界線をついてくる作品です。

これまでの道で、縦に力強く立ち昇る杉の動的なエネルギーがある空間に、時折、間伐されたのか、もしくは自然災害などで折れたのかわからない倒れた杉を見きました。それは、このトレイルの間だけでなく、日本の山に入るとよく見る知った風景であります。

しかし、未弥さんが作品を設置した空間のなかに入ると、やっぱり何か違和感を感じます。それまで見た横方向の力が、かなり違和感を持って見えてきます。倒れた杉も設置した角材も同じ材木であるのですが、角材が作る横方向の動的エネルギーが強烈に人知の存在を感じさせるからです。

それはたぶん、直線というものが自然のなかに存在しないからだと思います。直線は、明らかに不自然なのです。

そして時折、白い木肌に光が反射すると、光を集めたガラスのように白く光って見えたりします。これがまた、ぼんやりと儚い光で美しい。

僕には、杉と角材が織りなす十字の運動が「新造形主義」を標榜したモンドリアンのコンポジションシリーズを思い起こさせました。

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杉と角材は、縄で結ばれています。この結び方は、未弥さんが岐阜の白川郷の合掌造りの建物に使われている結び方だそうです。

へ~」とその結び方を見てみようと、散策道から外れて崖を降りていったところ、見事に2mほどすべり落ちました。安全とはいえないので降りる方は、十分に気を付けてください(泥だらけになりました泣)。

杖に頼るとバランスを崩すので、ここばかりは杖を使わず体幹で降りていくようにしてくださいね(経験者談)。

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未弥さんの作品を見終わると、散策道は一度舗装された道に出ます。街ではなく山の方にしばらく道を歩いていくと、再び山道に入っていきます。ここからは洞川を東西に流れる山上川沿いの散策道を川上に向かって歩いていきます。

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山上川ルートの最初の作品は、上野千蔵さんの《「うつしき」-みずいろ-》です。

上野千蔵《「うつしき」-みずいろ-

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静かな山小屋のなかにあった”いけみず”に映ったのは、山の景色でしたが、この作品では、橋に掛かったピンクとブルーの布が川面に反射し、川の色を鮮やかに色づけます。こちらも映像的な作品ですね。

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作品が設置されていた橋を渡り、先へと進みます。しかしこの橋、網が細かいので、下をみると宙に浮いているようで、一瞬ぞくっとします。

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上野さんの作品を見たあと、次の作品へ向かう途中に修験者の修行場の一つである「とうろうの岩屋」の脇を通ることになります。

とうろうの岩屋は、役行者が大峯山を開いた際に「一之行場」として開場た洞窟です。中は、腰を屈めなければ入っていけないような小さく狭い洞窟で、その姿がカマキリ(蟷螂とうろうはカマキリとも読む)の歩く姿に似ていることから名づけられたそうです。

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洞窟の前に立つと、ひんやりとした冷気(霊気ではないと思う)が流れてきました。今回は時間がなかったので洞窟の中には入りませんでしたが、賽銭箱に300円を入れて記帳すれば誰でも入ることができます。

そして、洞窟の前には、なぜか洗面台が……。なぜ?! 水はでません。

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ふたたび川沿いの散策道に戻り、川を上がっていきます。この辺りは、前半の山道ルートとは違い、平坦で歩きやすい道です。

川沿いをハイキング気分で歩いていると、次の作品が見えてきます。山田悠さんの《Interrupterインタラプト》です。

山田悠さん《Interrupter》

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Interrupterとは、妨害者や断続装置を意味しています。しかしながら、作品自体は、あきらかにベッドです。

作品の上に寝ることできます」という案内がありますので、遠慮なく寝かさせていただきます。

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空がぽっかりと開いています。夕方近くなって空が暗かったのが残念でしたが、これが日中とか陽が出ていたとしたら気持ちよかっただろうなぁ。最高のベッドです。

山田さんのプロフィールには以下のようなことが書かれています。

都市、自然、人間という要素を相対的に捉え、ものごとの関係を測り直す。そのプロセスを鑑賞者が再体験出来る方法を模索している。

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さらに道を進んでいくと、散策道の左手、木と木の間に板が設置されたインスタレーション作品が見えてきます。国本泰英さんの《奥の稜線》です。

国本泰英《奥の稜線》

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稜線とは「山などの背にあたる、峰から峰へつづく線」とあります。山に陽の光が強く当たると、本当に線で書いたかのように、山と空はくっきりと線で区切られたように見えます。

僕はそのくっきり見える山と空の線が好きで、昔の人はこれをよく「稜線」と言ったものだと思っていました。

しかし、よく考えると山は実際に物体なのに、空は実態がないというか、物質ではないので、その境目というのは、ものすごく特異な線なんですよね。絵画のように面と面の境ではないというのも面白いところ。

国本さんが設置した板を見てみると、木の影のようなものが描かれています。木の向こうにある面のようで、その面の位置をどこに設定するのか、距離感をつかみかねます。その関係は、山と空の関係に似ているようにも見えます。

空と山が作る稜線と、板と森が作る稜線に何があるのか、そんなことを国本さんの作品から感じとることができそうです。

国本さんの作品の右側には、覚和歌子さんと国本さんの共創作品《あわい》があります。

覚 和歌子+国本泰英《あわい》

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直径20㎝ほどの木製の円盤状に覚さんの詩の1文が書かれており、その裏面に国本さんの《奥の稜線》のような彩色がほどこされています。

その円盤が、円状に配置されていて、続けて読むと「あわい」の詩が完成します。

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さらに道を進んでいくと、右手にこんもりとした雪国の”かまくら”のようなドーム型のオブジェが見えてきます。菅野麻依子さんの《天川の茶室》です。

菅野麻依子《天川の茶室

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移動式のテントのような形をしながらも、苔むした姿は、どこか「わび・さび」の風情を感じさせます。

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散策道は、ふたたび山上川沿いをいきます。

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水と苔の世界になっていくなかで、木村充伯さんの苔人間(?)をモチーフにした作品が続いて現れます。

木村充伯《苔》

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木村充伯《苔のむすまで》

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木の人形の表面をチェーンソーで削って苔のような質感を表現したそうです。

苔のむすまで」は、君が代の一節であり、この言葉を聞くだけで多くの日本人が「とてもとても長い時間」ということを意味していることがわかります。

この人形(もしくは人間)は、いったいどれくらいこの場所にいたのでしょうか、それこそ苔のむすまでしょうか。

一方で、洞川を見ていると、確かに人間はこの湯の里に住み続け、何千年という月日を過ごしています。もちろん人ひとりの生きた人生は数十年かもしれませんが、受け継がれてきた営みや暮らしは、それこそ苔がむすほど、長い歳月です。

そんなことを考えていると、山の中で読んだ覚さんの《水の坂道》がリンクして思い浮かんできます。

水の星の
水の村にたたずむ

ひとのかたちをした
薄い膜のなかの水

だからたましいの方向へ
気化することもできるけれど
 (あの山と 空の奥は
  還るところかもしれない)

――覚 和歌子《水の坂道》より抜粋

この人形の中には、たっぷりの水が含まれているに違いない。魂は、またどこかに向かったままで。

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散策道は、河鹿の滝まで行ったところで、舗装道に上がっていきます。これにてMIND TRAIL 天川は終了。道を下って温泉街を目指します。

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登山道から川沿いの散策道まで、作品をじっくり鑑賞しながらまわって、僕の足ではおよそ3時間のトレイルになりました。全長は約6㎞ということで、けっこうしっかりトレッキングしたなという印象です。

途中に数カ所公衆トイレがあるので、心配はないのですが、スニーカーやトレッキングシューズなどを履き、荷物は少なめにして歩きやすい服装で行くのがいいと思います。

僕が行った日は、天気の良い日が続いていたので、山道にぬかるみはなかったですが、トレイルする日の近くで雨が降ったりした場合は、足元がゆるくなっていると思うので、注意が必要です。とくに前半の山道ルートは、勾配がきついところもあるので、特にです。

もちろん、コンビニなんてありませんから水筒やペットボトルなどに水分を入れて持っておくのもおすすめします。

そうそう、旅のお供をしてきた杖《千本のひげ根》をもとあった場所に戻しましょうね。

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MIND TRAILを歩き終えて

まず、「自分が何を感じるのか」というテーマをもって自然のなかを3時間も歩くという経験が初めてだったので、新鮮に感じることがたくさんありました。たぶん、吊り橋を渡っても、大きなカエルに出会ったとしても、ただ森の中を歩いているのとは違う感じ方をしているのだと思います。

MIND TRAILに参加する、つまりアートを意識して歩くだけで、心のレセプター(受容体)が活性化しているのがわかり、自分自身の変化を確かに感じられたので楽しかったです。

たぶん、ふだんの生活でも、アートを意識しているだけで、感受性は豊かになるのだろうなぁ。それは、都市や街では発見しにくいことだと思います(じっさい、都市の美術館に行っても、帰りの電車では、レセプターは閉じちゃってて洞川にいたときのように豊かな感性でいられません)。

もうひとつ僕が感じたのは、「自然」というものの存在です。

今回は、いわゆる人工物が自然のなかに配置されているので、自然と作品の対比のなかで「自然とは何か」を感じていきます。

一方で、僕が今、作品と対比してみている「自然」とは、本来の意味での自然なのでしょうか。

人間が歩いて作った道を歩きながら人間が整備した景色を見て感じるものがはたして「自然」なのか。そもそも人間が自然と感じている、もしくは自然ではないものと区別して見ているものは、人間だけが「自然」として見ているだけで、さまざまな生物のなかでは、自然とも不自然とも区別されないものではないかとも思うのです。

そして、MIND TRAILのさまざまな作家さんの作品を見ていると、アートによってその境界を映し出そうとしているように見えます。

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MIND TRAILのウェブサイトには、以下のようなことが書かれています。

WHY WALK? なぜ歩くのか?
Stay Home期間中、人は結果として土に触れ、自然を見ることで理由の無い落ち着きを取り戻し「人間とは?」「自然とは?」「環境とは?」「いのちとは?」など答えなき哲学的な問を考える機会にもなりました。

奈良・奥大和の広大な大地を使い、今この時期だからこそ自分の足で歩き、アートを通して身体と自然を感じて欲しい、そのような思いから、歩く芸術祭を広大な奥大和で開催することにいたしました。

アートを通じて自然を感じるということは、まさに「作品=人の営み」を感じることにほかならない。そして、自然という概念は人間のなかにしかなく、それを愛でたり、畏怖の念を抱いたりすることで人間は人間でいられる、人間の証なのではないでしょうか。

わずか3時間の山歩きで何を感じるかはそれこそ歩く人次第、人の心の数だけ意味があると思いますが。僕にとっては、レストランで過ごす3時間や映画を見る3時間、東京から大阪に移動している3時間、さまざまな価値ある3時間と同じように意義深い時間でした。

ぜひ、これを読んで興味を抱いたからも、奥大和に行って3時間のMIND TRAILを体験してみてください。自然とアートのなかから、あなたの心のなかにある美術館が見えてくるはずです。

MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館
https://mindtrail.okuyamato.jp/
会期 2021年10月9日(土)~11月28日(日)
会場 奈良県 吉野町、天川村、曽爾村
入場料 無料
キュレーター
吉野エリアキュレーター 西尾 美也(美術家/奈良県立大学准教授)
天川エリアキュレーター 菊池 宏子(アーティスト)
曽爾エリアキュレーター 西岡 潔(写真家/アーティスト)
エリア横断キュレーター 指出 一正(『ソトコト』編集長)
参加アーティスト(50音順)
吉野・天川・曽爾|KIKI、菊池 宏子+林敬庸、齋藤 精一
吉野|井口 皓太、黒川 岳、幸田 千依、西尾 美也、力石 咲、中﨑 透、三原 聡一郎
天川|上野 千蔵、覚 和歌子、金子 未弥、木村 充伯、国本 泰英、菅野 麻依子、山田 悠
曽爾|岩田 茉莉江、岡田 将、熊田 悠夢、小松原 智史、坂本 大三郎、鈴木 文貴、長岡 綾子 、西岡 潔、野沢 裕

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