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『フランス料理の歴史』ルネサンス●食卓の再生

3/7(日)の朝7時から、料理家で作家の樋口直哉さんと『フランス料理の歴史』(角川ソフィア文庫)についてお話をする企画の第2回目があります。

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フランス料理の歴史をもう一度学んでおきたいという自分なりの興味に、樋口さんにお付き合いをしてもらうというものです。今回は第2章にあたる「ルネサンス●食卓の再生」です。

樋口さんの貴重なお時間をいただくので、しっかり予習をしておきたいなと思い、明日のあんちょことしても使えるようにnoteにまとめておこうと思います。

ルネサンスという時代区分について

フランス料理の歴史」ではルネサンスを、こう定義しています。

ルネサンスはヨーロッパの重心が大きく動いた時代である。まずイタリアからイベリア半島(スペイン、ポルトガル)へ、続いてフランスへと移動していった。(48ページより引用)

しかしながら、ルネサンスとは西洋美術史における文芸・美術運動のことで、西洋史にはルネサンスという時代区分はありません。西洋史では近代(の前期)、もしくは近世と呼ばれるものです。

フランスの歴史』では、この次の章が17世紀を紹介しているので、中世からこの時代までを差す(15「世紀から16世紀)言葉としてルネサンスを使っているのではないかと思います。

ちなみに西洋美術史におけるルネサンスは、基本的にはイタリアで起こった美術運動を差します。14世紀のジョットやチマブーエという画家が活躍した「前期ゴシック」(ここは中世末期とも重なります)、15世紀のドナテッロやマザッチョに始まるりボッティチェリあたりまでを含むのが「初期ルネサンス」、その後16世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの「盛期ルネサンス」で最終的に完成したとされています。

「復興」を意味するルネサンスとは何か?

ルネサンス」とは、11世紀にキリスト教がローマ・カトリック教会と東方正教会が分裂した後、15世紀に再統合の協議による東西文化の交流が、大きな契機といわれています。

とくに1439年の東西教会の統合を目指すフィレンツェ公会議で、東方正教会の哲学者が、古代の哲学者プラトンについて協議されたことがきっかかけで中世以前、古代への関心が高まりました。

中世の西ヨーロッパはローマ・カトリック教会に支配されていた時代とされています。絵画では、キリスト教に関係するテーマが描かれ、形式化・意匠化・記号化していき、動きのない平面的なイラストのようになります。

そうした硬直した世界のなかで、東側のギリシア語文献が西側に伝えられることで、まず先んじて文芸の復興が起こり(その背景にはカトリック教会への不満)、それにひっぱられるように芸術の面でも古代ローマ・ギリシア時代、西洋のルーツである古代世界の人間中心の世界へ復興を目指す運動が起こります。これがルネサンスの大きな流れです。

ここには、メディチ家という富裕市民の存在があるなど、経済の発展もあり、多くの要因がからまっていますが、「古代復興」の意味では、フィレンツェこそがルネサンスがその舞台であり、本質的なルネサンスはフィレンツェ以外では起こっていないという意見を出すこともできると思ったいます。

というのも、美術史でみるとフランスは「北方ルネサンス」という運動の一部として紹介されますが、「古代への復興」という意味での美術運動ではなく、中世から近代への移行期に起こった美術運動として捉えられているともいえるからです。

ちなみに「再生」「復活」を意味するルネサンスは、フランス語で、19世紀頃に一般的に使われるようになりました。

『フランス料理の歴史』でいう「ルネサンス」とは何か?

古代復興という意味でのルネサンスではなく、フィレンツェのルネサンス運動によって生まれてた様式の伝播であったり、ヨーロッパ全体にある雰囲気としてのルネサンスのようなものは何だったのでしょうか。

フィレンツェに起こった初期ルネサンスから、盛期ルネサンスの期間、つまり14世紀から15世紀のヨーロッパを見てみます。

1443年 グーテンベルク活版印刷の技術を完成
1450年頃 活版印刷の技術を使い聖書の印刷が始まる
1458年 ベネデット・コトルリ「商業技術の本」を執筆。1573年に「商業ならびに完全なる商人について」として出版 → 商人による「貨幣の国際共和国化」が進む
1493年 教皇アレクサンデル6世により教皇子午線(植民地分界線)を決定
1494年 シャルル8世、勢力拡大を目指しイタリアへ侵攻
1517年 マルティン・ルター『95ヶ条の論題』を提出。宗教改革の始まり
1532年 メディチ家がフィレンツェの君主になる
1533年 カテリーナ・デ・メディチと後のアンリ2世が結婚(メディチ家とフランス王家の政略結婚)
1556年 神聖ローマ皇帝(カトリック)カール5世を最後にハプスブルク家が分裂
1569年 メディチ家がトスカーナ大公に
1600年 マリーア・デ・メディチとアンリ4世が結婚

北方ドイツで起こった宗教改革、スペイン黄金時代(植民地時代)の幕開けの16世紀とそれにあたる準備の期間である15世紀という意味合いが多い中で、ルネサンスとは、そういった近代の本格的な到来を迎えるまえの成熟期として捉えられているように思います。

そういう意味では、「フランス料理の歴史」も17世紀に起こる「グランド・キュイジーヌの誕生」への準備期間といえるのだと思います。

《最後の晩餐》に関するメモ

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イエスが生まれたとされる中央アジアでは、イースト菌を使わない種なしパンが一般的ですが、この絵のなかでしっかり膨らんだパンが。魚の切り身にはレモンが添えられていて、イタリアの食生活が見てとれる。レモンは、ポンペイ遺跡にも描かれている。

クレモナのプラティーナ

1474年にラテン語で書かれた『高雅なる悦楽』。古代ギリシアの哲学者・エピクロス(快楽主義)、アピシウス(古代ローマ・ローマ帝国時代の調理法・料理のレシピを集めた書籍をまとめる)の影響を受けて、ルネサンス的に食の復古を起こそうとしているが、レシピ自体は中世的な発想のものだった。

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以上のことを考えると、15世紀から16世紀のフラン料理においては、古代復古としてのルネサンスは起こっておらず、それよりもヨーロッパの再統一にむけての交流から次の時代への成熟機関としてとることができそうです。

章のタイトルになっている「食卓の再生」というのとあっていないな、というのが本音です。

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