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ウクライナ国境から電車で6時間の街でバーレスク。 Part1 日本脱出 果たして飛べるのか?

Part1 日本脱出 果たして飛べるのか?

東京にアパートメントを借りて3ヶ月。プラハのアンジェリーナからポーランドのクラクフでショーがあるけれど入れるかとオファーが来た。何度もショーをしているクラクフ。みんな元気だろうか?

日々メディアが伝える戦争。ウクライナの惨状。この馬鹿げた戦争ゲームの犠牲になるのはいつも一般の罪のない人々。
クラクフといえばウクライナの国境から電車で6時間の街。私は日本の居心地の良さに嫌気がさしていたので、この辺でヨーロッパへ戻ろうか考えてたいたところだったけれど、戻るきっかけが見つからなかった。

呼ばれたならばどこの街へも飛んでいきましょう。たとえテロの蔓延る国だろうが!これが私のショーへの愛である!まかしとき〜っ!


今ベルリンに戻ろう。決意した途端にクラクフの話が飛び込んできた。速攻延ばし延ばしになっていた帰国便を探し予約する。変な言い方。帰国便。私はいったいどこへ帰るのだろうか?
戦争の影響でヨーロッパ行きの飛行機はキャンセルになったり、コロナのPCRテストの面倒さもあったけれど、私は行くのだ。きっと呼ばれているしクラクフにはすんなり行ける。そう漠然と思った。

いざ帰国便が決まったら、なんだか燃えてきた。出発2日前の東京でのイベントを幸せに収め、ベルリンからポーランドへは戦争の影響で飛行機が飛んでいないからクラクフ行きの列車を調べ、日本で10年ぶりにする確定申告を出国日に澁谷税務署へ駆け込む。
クラクフでのショーを想像しながらパズルの様に頭の中はグルグル回った。絶対全て大丈夫。この根拠のない自信はよく働いてくれる。ところが、、、

深夜の羽田便は私のお気に入り。人が混んでいないはずなのにカウンターでなぜか時間がかかっている。なんと飛行機がベルリンまで飛んでいないという。

その訳は、なんとコロナでも戦争でもなくドイツあるある!
空港の保安職員のストライキ。ANAではフランクフルト行きのチケットしかもらえず、荷物をフランクフルトで引き上げて電車で行けと。ここで東京に留まる人と行く人に別れる。私は一旦考えた。やめようか。ほらきた!試されてるわ。
行く!一旦引いた荷物の乗ったカートを再び荷物カウンターに押し込んだ。行きます。旅なんて行ってみなきゃ何も始まらない。立て!立つんだ、ジョー!いっちまえ〜!

通常16時間ほどで着くベルリンもロシアを少し南下して飛ぶし、フランクフルトからベルリンまで電車だからきっと30時間はかかるだろう。まあのんびり行こうじゃ何の。時代は2022年。スピード化が加速する世の中で。

フランクフルトに着くと、ANAの職員からやはり電車でと言われた。ドイツ人の空港職員からは、乗り継ぎはこちらと言われる。どっち?
あれ?行けるの?情報は錯綜?いやシンプル。行けるのならと目の前のルフトハンザ のカウンターへ。こちらの職員も大変そうであったものの、さすがドイツ人。テキパキと処理をしてくれる。一泊するか、元々の乗り継ぎ便に乗るか。もちろんGO! どうにかなりますよ、と同じ様に隣のカウンターで手続きしている日本のビジネスマンと談笑。

決断するといつも、オマエさん本気か?って試される。本気ですともさっ!でミチは開けるのだ。

ここからが長い道のり。まずセキュリティーはここしかないからここへ、その後Aへ、そしてバスでBへ。そのあと入国チェック。まるでゲーム。そしてゲートへ!すでに長い列。
コロナなどなかった様な混み具合。実際戦争でそれどころではない空気はすでに漂っている。

「少し面倒ですが、ひとつひとつ越えれば、飛行機に乗れますから。」
「まあ!まるで人生と一緒ね。それにしても、あなたのその時計素敵~!」
木製の腕時計が印象的な女性職員に笑顔で送り出され、日本のナイスガイと列に並んだ。
まずは空港に一つしかオープンしていないセキュリティを抜け、並んで待っては次のステップへ。最後の入国審査をゴメンなすって~、あっしらの飛行機出てしまうんでと列を抜けて一番前へ。
あらやだ、ナイスガイとカップルみたいじゃない? どうみても20代の若い入国審査官の前に並ぶ。陰性証明もビザのことも何も言われず通っちゃった。しかしのんびりしている間はない。離陸まで30分を切った!最後の関門、ゲートへまっしぐら。寝てないから走るのもしんどいが、これはゲーム。
走りながら思った。今回日本滞在が7ヶ月になってしまったのでビザの事で何か言われるかと思ったけれど何も言われなかった。やはり呼ばれているから?

「ゲームはまだオーバーじゃないわね。だって荷物を受け取ってないし。きっとそれぞれ家について、お風呂に入ってビールを飲んだらゲームオーバー!」
そんな冗談を言いながら。
無事ベルリンの空港につき、お互いの荷物も受け取ることができた。
「1人だったら、僕めげてたかもしれません。ありがとう。」
「こちらこそ、ありがとう!」
ナイスガイに別れを告げ、彼はさらに自家用車を運転して2時間の街へ。私はノイケルン行きの電車に乗った。22時間の旅だった。

Part 2 へ続く


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