見出し画像

小さな幸せを。 #13


2020年11月11日。
私の退院の日。朝6時半過ぎにいつもと同じように採血をしました。採血の結果、特に問題はないので無事退院できることになりました。採血の結果(CBCの代表的な数値と CRP)を毎日書いてもらっていました。面白いので載せておきます。

画像1

こんなにつらくても私が造血幹細胞のドナーとして1週間頑張れたのは母が病気に負けないように頑張っているから。まだ注射の副作用が残っていて骨の痛みと倦怠感があるので、先生に鎮痛剤を出してもらいました。注射がなくなったので、日が経つにつれて痛みは和らいでいくそう。仕事は年休を全部使ってしまうと気持ち的にも不安なので、明後日から復帰する予定です。


父に迎えに来てもらい、1週間ぶりにお家に帰ります。「退院だね。頑張ったね。お疲れ様でした。」と言われるけど、そんな言葉は私の耳を右から左へ筒抜け状態。素直に喜べない自分がいた。確かに薬の副作用や針の穿刺で痛かったし、つらい思いをしたけれど、それよりも入院になってしまった母が心配で頭に入ってこなかった。母はというと、まだ熱が下がらず、点滴を続けていました。身体がだるいのに退院する私に会いに点滴棒をコロコロ引きながら私のお部屋まで来てくれました。退院後の外来診察の確認、お薬の処方、忘れ物のチェック、入院バンドを切ってもらい退院手続きが終了。1週間過ごしたお部屋にバイバイして、病棟の入り口まで父と母と私の3人で歩いて向かいます。1ヶ月以上も家族4人みんなが揃うことがなかったんだなと歩きながら思いました。こんな御時世、面会時間も制限されているから病棟内に話せる人がいるだけで心強かった。つらくて苦しくても一緒に近くで頑張ってると思うと負けずに頑張ろうって思えるもん。だから入院するなら入院期間一緒が良かったなと。母も私も同じことを思ってました。最後、入り口でバイバイする時、しばらくまた母に会えないんだって思うと寂しくて泣いちゃいそうだった。本当だったら一緒に家でゆっくり過ごせたのにって思うと余計に母の顔をうまく見れなかった。バイバイして病棟の入り口の自動扉を出た後、振り返ってみると母が点滴棒を引いて病室に戻っていく小さな後ろ姿が見えた。つらい思いばっかしてる母の姿を見ると我慢できなくなって涙が出てきてしまいました。今こうしてnoteを書いている時も思い出しながら泣いてしまっています。


どうしてこんなにも母を苦しめるんですか。いつも笑顔で明るくて優しい母を。スタートラインに立とうと前を向いて頑張ってるのに。どうして、、、。





ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


退院した時に「おめでとう。」と声をかけられたり、メッセージもらったりしました。ありがとうございます。きっと迷って悩んで言葉を選んでくれたんだと思いますが、私の考えを少しだけ。正直なところ、この言葉に素直に喜べない自分がいます。確かにこの1週間は人生で経験したことないくらいの痛い思い、苦しい思いをしてきました。自分でもすごく耐えて頑張ってたと思います。でも、自分は健康で病気ではないし、今回の入院は自分で決めたこと。母の命を助けたいと思って今回ドナーになったんです。「生きる」というひとつの『ひかり』を渡すために自ら選んだ「みち」なんです。母の治療に私が少し手を差し伸べただけ。だから私が退院して「おめでとう。」は少し違和感を感じてしまいました。私の言葉の捉え方が問題です。ごめんなさい。でも、声かけてくれたり、メッセージくれたりするだけで励みになってます。家族みんな足を揃えて一歩ずつ前へ進んでいくので引き続き応援をよろしくお願いします。