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小さな幸せを。 #2


2020年10月11日。
母が入院してから6日、母の病態・造血幹細胞移植の話を聞いて3日が経ちました。ようやく現実を少しずつ受け入れながら、前に進もうと思えるようになってきました。そこで、今の私自身の心境を忘れないように記録として残そうと思います。


母の治療に協力できるなら私がドナーになると今は考えています。このことを仕事場の上司に相談すると、何とか環境を整えてあげると快く言ってくれた。母は突然突きつけられた現実をまだ受け入れられない部分もあり、今後の治療方針をどうするか揺らいでいた。このまま母の意思を待っているだけでは、いざという時に医療側が母に最善の治療をすぐに提供できない。そのため同時進行で治療の準備を進める必要があった。移植についての私の意思が決まったら、すぐ病院へ連絡を入れるよう言われていた。ドナーとして適切かどうかの詳しい検査を早めに行う必要があるからだ。


もし、自分がドナーとして選ばれたら、、、。
母に造血幹細胞移植が行われたら、、、。

自分が現段階でどう思っているのか、今からは包み隠さずストレートな言葉で綴っていきます。


移植。造血幹細胞移植に限らず、レシピエント側(患者)はもちろんのこと、ドナー側(提供者)もリスクを伴うものである。
たとえ移植が無事成功しても、「良かった。助かった。」とはならないのが現実。移植が成功したとしても、その先が長い闘いになる。移植後GVHDによる身体に現れるさまざまな症状。移植が成功しても細胞が生着するか分からない恐怖。たとえ生着したとしても、免疫力がある程度回復しないことには病院からも抜け出せない。辛くて長い治療に耐えられず、ボロボロになっていく身体と精神。食事制限、行動制限に縛られ、元の生活にすぐには戻れない苦しさ。最悪の場合、生死を彷徨うかもしれない。治療しなかった方が長く生きられたかもしれないケースも考えられる。必ず病気の治療してあげることがその人のためになるとは限らない。仕事場でもそんな場面に遭遇することがあり、色々と考えることがあった。治療に苦しむ母の姿は見たくないという気持ちもあるし、治療しなければ急に病状が悪化するかもしれない恐怖もある。さまざまな状況を頭の中で想定してしまい、ふとした瞬間に涙が止まらない日々が続いた。


たくさん悩んで頭で考えた。考えれば考えるほど、最善の治療とは何なのか分からなくなった。

「最善の治療ができるように私はドナーになる心の準備はできてるよ。だから皆んなで一緒に病気を乗り越えていこう。」

現段階での私の考えはこれだ。


「大切な宝物(子供たち)に辛い思いさせたくない。」と何度も母は私に言ってきた。大切な人の治療の力に少しでもなれるなら、薬の副作用で痛くたって苦しくたって構わない。私の1週間入院なんて、母の治療に比べればほんの一瞬なんだから。今回治療することで病気が完全に治るとは思ってないし、再発するかもしれない恐怖もある。治療が上手くいく保証なんて何処にもないけれど、ほんの少しの可能性を信じてみてもいいんじゃないかな。そんなふうに私は考えています。



突然いなくなっちゃ困るよ。
お母さんに教えてもらってないこと、まだまだ沢山あるんだよ。
私にとって、世界でたったひとりのお母さんなんだから。