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12月17日「コーダ あいのうた」

 ずっと見たかった、「コーダ あいのうた」。聴覚障害のある家族の中で、たった一人の健聴者であるルビーが、主人公。幼いころから家族の通訳として生きてきた彼女は、毎日早朝に父親と兄と一緒に漁に出てから学校へ向かう。気になる男の子が合唱の授業を選択し、それにつられて自分もクワイアへ。担当のV先生に見出され、バークリー音楽大学への進学を夢見るようになる。
 家族の生活には彼女は欠かせない。漁船にのるには健聴者の存在が必要だ。家族の始めた事業にも、通訳として参加することが当然のこととして扱われる。
 母親に合唱を始めたことを話すと、「反抗期なのね」と一蹴される。両氏の集まりでは女子高校生に言わせるのは憚られるようなことも通訳させられる。バークリーへの特別レッスンは、事業のために受けられなくなる。
 「家族抜きで行動したことがないの」彼女が家族の付属品のように扱われる。
 全て家族と分け合ってきた彼女が、自分だけの世界、自分と世界をつなぐものとして、歌う。

 合唱選択者のコンサートに家族が来る。そのシーンが素晴らしい。音はない。耳からは娘の歌はわからない。でも、歌う姿、聴衆の反応が物語るものがある。
 帰宅後に父親が彼女に頼む。「もう一度俺のために歌ってくれ」歌う娘の喉に手をあてる。「もっと大きな声で」振動を感じようとしている。

 私は、人の感じていることを私が感じることはできないから、本当に本人と同じように理解することはできない、と思って考えることをやめたことが何度もある。理解されることを諦めるために、自分に言い聞かせることもある。でも、このシーンを見て、受け取るということ、わからないものを理解しようとすること、それは尊いと思った。相手と同じかどうかは関係なく、自分がどう向き合い受け取るかが、大切なんだろう。

 誰かと深くかかわることを避けてばかりでは、心震える思いもできないままなんじゃないか。私は職場の人間関係をうまくやるのが苦手だ。理解することやされることを期待せず、必要なことだけやって、波風をたてないようにしようとしてきた。それでも親切な人はいる。気の合う人もいるけど、どういう線引きをするかが難しいと思っている。そうすると、悩むことが減ったけど、なんとなく、ちょっと寂しい。あまり問題じゃないかとおもったけど、仕事がうまくいかないときにすごく弱くなる。物足りなさがある。その原因は、コミュニケーション不足なのかも。しんどさもあるけど、避け続けなくてもいいのかも。

 これからの人ととのかかわり方を少し考えさせられたシーンだった。

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