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■5月8日 わかりやすさがもたらすもの

今日は、ざっくり言うと、いろいろうまく行かない日でした。

朝から外出しようと思っていけど、諸々で午後からしか出られなかったり、今日で終わると思ったとある場所通いが、あと一回必要だったり。今日終わらせようと思った原稿が思いの外面倒な案件で全然終わらなかったり。

まぁ、そんな日もありますね。
でも、そんな日でも、読んでいた本が秀逸に面白かったのは救いでした。

今日読んでいたのは、文春新書
磯田道史『徳川家康 弱者の戦略』(2023年2月刊)です。

史実と私見をきっちり線引きしながら、「弱者の戦略」を軸にして、徳川家康の生涯を分かりやすく解説します。大河ドラマ『どうする家康』を見ていらっしゃる方なら、より面白く読めるかと。また、組織論としても楽しめると思います。

・ ・ ・

先日何かで見た「わかりやすさが席捲していて、わかりにくいものが嫌悪されつつある」みたいなtweetについて、朝、ずっと考えていました。

たしかに、最近は書籍でも「わかりやすさ」って重宝されています。ビジネス書しかり、新文芸などの小説しかり、電子書籍発のコマ割りしかり。

私自身は、それらについて、偶に読む分にはいいけれど、そればっかりだと読んだ気にならない。けど、だからと言って、それらを否定する気もない。フツーに棲み分けでいいんぢゃまいか、と思っていました。

ただ、「わかりやすさ」を前進させるあまり、「わかりにくさ」を嫌悪し、それを捻り潰す方向に行くのは違うだろうとも思ってたんです。

「わかりやすさ」って、大きな主語や定型な物語で構成されることが多いです。雑過ぎる説明ですが。

でもそうすると、削ぎ落される部分が多いかなって。うん。

主語をでかくすることで、あるいは、誰にでもわかる物語の枠に無理やり当てはめてしまうことで、言葉にしづらいナニモノかを全部見事に削ぎ落しちゃうというか。

たとえば、それは、そこにあったはずの豊饒さとか、じわじわさせてくれるものとか。そういう「その作品たらしめるモノ」をきっちりきっぱり取り除くことと同じなのではないか、と。その結果、つるりんとした、似たような仮面を被ったモノがずらりと並んじゃうんじゃないか、と。

そして、それは絶対におもしろくないだろうと思うわけです。

でも、そういった簡単には言語化できないモノ、豊饒さをもたらしてくれるモノをめんどくさい、邪魔くさいと思う人もやはりいるわけで。

そう考えていくと、この点でも、つまり「わかりにくさ」を嫌悪する人/「わかりにくさ」を許容する人という点でも、「分断」ということが起こるのかも、と、考えを進めるうちに、暗澹たる気持ちになっていたんです。

でね。そんなもにょもにょした気持ちを持ったまま、お昼にオット氏と話していたら。

内容は全然違う話でしたので、ざっくり割愛しますが(をい)、めちゃくちゃ明快な結論に至ってしまったんです。それは。

「『わかりにくさ』を嫌悪し許容できない人、あるいは、それを受容する器を持たない人は、分かりやすくだまされ、搾取される」というもの。

うん。とりあえず、鳥肌立ちました(笑)

・ ・ ・

「わかりにくい」ことに権威があるとは思いません。ただ、「その『分かりにくさ』はどこから?」を問うこと、紐解いて考えるだけの余力を持つことは必要だろうと。

もちろん、「わかりにくさ」にもいろいろあります。

単に説明不足なもの、理屈がこんがらがってるもの。こちらの理解力が足りないもの、あちらの理解が足りないもの。こちらの努力や集中力が及ばないもの。ほんとにいろいろ。

まずはその「わかりにくさ」がどれに起因するものなのかを問うだけでも、違うのかなと。

壊してしまうのは一瞬でできるから、大切に生きてと彼女は泣いた。

なんかそんな感じ(どんな感じやねん 笑)。今日はこんなことを考えていました。

いろいろうまく行かない日。それでも、思考を止めずにいた自分にエールを。今日もがんばります。みなさまも、良い一日を。

んじゃ、また。



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