36色入りの色鉛筆
職場の利用者様と塗り絵をしたら、思いのほか楽しくて驚いた。それに、集中しすぎて頭の中が凪になる。塗り絵には私を心地良い時の中へと引っ張り込む威力があると気付いた。
それからというもの私は、手が空いた少しの時間でも利用者様と一緒に色鉛筆を手にするようになった。
「ここは何色でぬればいいんかね?」
花の塗り絵に取り組む利用者様に、
「好きな色でいいと思いますよ」
と応えた。それでも「わからない…」と困っている様子だったので、私は赤の色鉛筆を差し出した。
毎回彼女は丁寧で上手な色塗りをされるのに、色選びは苦手なようだ。彼女が赤の色鉛筆を花びらの上に器用に滑らせていくのを見守ってから、私は迷わず黒の色鉛筆を手に取った。
手元にはネコの絵がある。
ネコなら断然クロネコが好きな私は、黒の毛並みをよりふさふさとした感じで表現するにはどうしたら良いのかと、紫を取ってみたり、青を取ってみたりと実験感覚で楽しんだ。
私が子供の頃にした塗り絵の思い出と言えば、終いの方は飽きてしまい、さらに悪ふざけで女の子の絵柄にイタズラ描きをする始末だった。結局、塗り絵帳なのか落書き帳なのか分からない一冊となった。
昔から細々とした作業が苦手で無駄な時間だと思っていたが、時の流れは人の価値観を真逆に変えることもあるらしい。
私は新たな自分に出会えた喜びを感じた。
そのうち私は、自分専用の難易度が高い塗り絵を手に入れたいと思い始めた。
その気持ちは日々大きくなり、ついに、めったに行かない書店へと足を踏み入れた。
沢山ある中の一冊を選び取る。
それは癒しのエネルギーに満ち溢れていた。
私に纏ったどす黒い塊を美しく塗り替えてくれるような感覚。その世界観に癒されて、一目惚れの購入をしたのだった。
自宅に戻った私は、早速色を塗ろうと36色入りの色鉛筆を引っ張り出した。ほとんどの色に鉛筆削りをして準備を整える。ページを開いた。
イラストレーターの方のお手本が左ページにあり、右のページがご自由にどうぞの線画となっている。
さあ塗るぞ! と思うのに、私の色鉛筆を選ぶ手は止まったまま、左側のお手本ページから目が離せずにいた。
やはりプロの仕事は素晴らしい。
これは何色か? と問われても答えられない色がある。これは色じゃなくて光だ。紙の中に光が差している。どんなカラクリなのか。不思議だ。なんなんだこの色は。
分からない!!
私の色鉛筆を選ぶ手は、36色のどの色にもたどり着けずにいた。何ページもあるイラストを眺めては、きれいだな~と思うだけで、ただ時が過ぎていく。
私はあの時の利用者様を思い出した。
塗り絵を前にして色を選べない利用者さんに、私は簡単に赤色を差し出した。いつだって聞かれればそうしていた。それはとても軽すぎる行為だったのかもしれない。
結局私は一塗りもせずに本を閉じてしまった。
ふと表紙を見れば、『森の少女ひと休みしても大丈夫』というタイトルが書かれてある。
まるでそれはこの私に、『山間部に住むおばさん、ひと休みしても大丈夫よ』と、優しく囁いてくれているようだった。
言われてみれば、そろそろお昼寝の時間だ。
なんだか疲れてしまったし、瞼も重くなってきた。
お言葉に甘えて、私は昼寝をすることにした。
昼寝は私の特技でもあり趣味のようなものだ。
寝ると決めたなら一分もかからずして頭の中は凪になる。
もしものび太がこの世にいれば、互いに理解し合える親友となれていたのかもしれない。
ところで今後、難易度が高いあの塗り絵に色を塗る時は来るのだろうか。まさか買って満足し放置するつもりだろうか。ダメだ。せっかく買ったのだから絶対に塗らねばならない。
しかし塗り絵に対して宿題をする感覚になってしまったなら、もう私の求める塗り絵時間ではなくなってしまう……。
左ページがカラフルで、右ページが白黒の線画。
それに色を加えたなら、私にとっての大切な一冊になることも分かってはいる。
だけどそれは今じゃない。
誰にだって個々としてのペースがあるものだ。
今は亀みたいにノロノロと進む私だけれど、少しも焦ることはない。そのうち色は選べるはずだ。
だから今日はそのままで、少しも問題はない。
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