時を止めて流す②
電波を見失い狂いすぎてしまった置時計の存在を、業務の忙しさに忘れていた。
業務開始から2時間ほどが経った頃、キッチンに立った時に思い出し、向かい側のカウンターにいる異国の女性職員に聞いた。
「そこにあるゴールドの時計、動いてる?」
異国の女性職員の顔は、はてなマークだ。
私は再び、「そこにあるゴールドの時計見てくれる? 時間、合ってる?」と聞いた。
「silver・・・?」
逆に彼女は聞き返してきた。
私は、シルバーって何? と思いながらカウンター側へと回り、置時計を確認した。
『この時計狂っています』
ゴールドの置時計の文字盤には、そう書かれたメモ紙が貼られていた。私はその姿を確認した時、子供の頃にテレビで観たキョンシーを思い出した。額に貼った御札のように見えるメモ紙を捲ると、文字盤は、前日に止まった時間とはまた違う時を差して、派手に狂っていた。
どのボタンを押しても時刻合わせができない置時計が、5分早く狂っていることにストレスを感じ、絶対に直すと挑んだのは前日の事だ。
時計が5分早く進んでいるのなら、4本ある乾電池の中の1本を外して止まらせ、この世が5分進んだ時に再び乾電池を入れて時刻を合わせるという作戦を、一緒にいた男性職員から聞き、私は彼のヒラメキに喜びながらそれをしてみたが、ゴールドの置時計はまさかの電波時計だった。さらにグルグルと長針と短針を動かし、もっと狂った時間で止まってしまったのだった。5分の狂いでも許せなかった私は、さらに迷宮入りしたと憂鬱になった。
『この時計狂ってます』
と書かれた、キョンシーの額にある御札のように思える貼紙は、前日の遅番職員の彼の筆跡ではない。彼から引き継がれた夜勤者の女性職員が貼ったものだろう。
巡視の時間、排泄の時間など、夜間帯に一人で働く彼女は、カウンターに置かれた狂いすぎの時計が目障りで、文字盤が見えないよう貼紙をしたのだと想像した。
5分進んで狂っていたぐらい、なぜ私は許せなかったのだろう。5分の狂いなら正しい時間は予測できる。でもこんなにも狂ってしまうと、もう時計としての機能を果たさない。そんなバッドエンディングならば、最初から触らずに5分早い時計のままで妥協すればよかったと後悔した。
たった5分の狂いだった。そんな小さな事にストレスを感じていた、心の余裕がない自分にも気付かされた。
「コレ、ナンテヨム・・・?」
異国の女性職員が聞いてくる。
「くるう。・・・壊れたとか、変だとか、間違ってるとか、そんな意味」
「ドウスル?」
「これでダメなら捨てるよ」
私は引き出しから新しい単三乾電池を4本取り出すと、ゴールドの中にあった電池と総入れ替えをした。デジタル部分の日付をセットすると、今までには出てこなかった現在時刻の設定画面が現れた。入力すると、長針と短針は水を得た魚のように回り出し、ピタリと正しい時間で止まったのだった。
ゴールドの置時計は、何事も無かったかのように正しい時を刻み始めた。
私は、「よっしゃー!!」とテンション高く喜んだが、何だか置時計の様子が違うと静止した。
「これって、こんな色だった?」
「silver。ズットsilverデス」
異国の彼女は頷いた。
私は非常に驚いてしまった。
ずっとゴールド色をしていると思い込んでいた置時計は、シルバー色だったのだ。
あれだけ『5分早い!』と不愉快に思いながら4ヶ月間も関わって来たのに、今まで私は何を見ていたんだろう。正しい色を見る余裕もなかったのか、ただのアホなのか・・・。私の記憶は相当いい加減で、信用ならないものだと笑えてしまった。
それから3日後、置時計に貼紙をした女性職員と勤務が一緒になった。彼女はどう直したのかを聞いてきた。
「ただ電池変えただけ」
「え!? それだけ?」
「そう。多分電波を受信するほどのエネルギーが足りなかったのかな」
あの日、私から狂った時計を託された男性職員は、夜勤者の彼女と交代をするまで、インターネットで時刻合わせの方法を調べ、直らない事に悔しがりながらシルバーを触っていたという。
その狂った時計は夜勤者の彼女にも引き継がれ、彼女も空いた時間にシルバーのボタンというボタンを試行錯誤して触ったという。どうしても直せず、『この時計狂ってます』の貼紙をしたらしい。
私は勝手な想像で、皆は大して気にもせず、簡単に『狂ってる』と結論付けて諦めたのだと思い込んでいた。
たかが時計を、皆が『直そう』として繋いでくれていた事実を知り、とても嬉しく思った。
チームワークが大切な仕事をしている私たち介護職は、たった一人が別の方向を見出したら歯車が狂ってしまう。私たちには、日々入居者様の僅かな変化を感じ取れる敏感なセンサーが必要だ。感じたら同じ方向へと進むという、私が苦手としながら憧れている団結力も。
仕事とは全く関係の無い置時計だが、それをバトンのように引き継ぎ、『直そう』と同じ思いでいてくれた事実に感動させられた。
シルバーをゴールドだと思い続けていた私は、この先仕事上でもそんな間違いをしてしまう可能性がある。そうだとしてもきっと、ここにいる仲間が正し、気付きを与えてくれるのだろうと確信した。そう思えたら、積み重なっていたストレス達はくだらない物に思えてきた。
本当のところ個人プレイの方が好きな私だが、チームプレイの大切さを再確認する出来事だった。
現在職場のキッチンカウンターには、シルバーの置時計が正しい時を刻み堂々とある。
今年の時間は残り僅かだ。
新しい年へと繋ぐカウントダウンの瞬間とそれからも、シルバーは何事もなかったかのように正しく流れていくのだろう。
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