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おじさまとハイタッチ!!

 こんなところで交通安全の旗を持ち、突っ立ってる場合じゃないの・・・!!
 そう心の中で叫んだ。

 今朝は自治会役員の旗当番の為、とある通学路の交差点で、通りかかる小学生のいくつかの登校班を見守らねばならなかった。
 その登校班の中に、私の娘はいない。どれだけ探してもいないことは分かっている。

 5年生となった新年度初日の今日は、私たち親子にとって大切な日だった。
 不登校の娘は、4年生の後半から、先生たちのサポートによって半日だけは学校へと行けるようになっていた。もしも今日の初日でつまづいたら、また娘は学校から足が遠のいてしまうのでは、と心配だったのだ。

 普通に学校へ行けるようになりたい。という娘の本心を知ったからには、春休み前までの積み上げた成長を、絶対リセットさせたくはなかった。

 親身になってくれた担任の先生も変わるだろうし、クラス替えだってある。それは当たり前のことだが、娘にとっては大きな変化で、リセットされる理由としては充分にあった。
 
 毎朝この時間は、テンションの低い娘を登校できるまでに気持ちを誘導させている。そして毎日車で学校まで送っていくのだ。
 そんな貴重な時間に、交通安全の旗を持って立たねばならない。私にとってそれは、私の心の余白を無くしてしまう、余分すぎる仕事だった。
 一人家にいる娘は、リセット体制に入っていないかと、そわそわしながらの旗当番。
 通りゆく子供たちに「おはようございます!」と元気に挨拶をする。それは私にとって、大分無理をして大きな声を絞り出さねばならない事だった。
 旗当番を終わるまでここに立ち続け、自宅に戻り娘を学校へ送るとなると、確実に娘は遅刻となる。

 今私にとって、何を選択するべきか。

 派手な蛍光色のベストを着て『交通安全』と書かれた黄色の旗を持っている人は、私以外にたくさんいるが、娘の母親は私1人しかいない。
 私はこんなところで派手なベストを羽織り、旗を持って「おはようございます!」と死にかけのカエルみたいな声を放ち突っ立ってる場合じゃない!!
 私は理由を説明し、途中で抜けることを許可してもらった。

 自宅に戻ると、娘は学校へ行く体制を整えていた。「学校行きたくない」という言葉は、今朝は一度も聞いていない。
「行くよ」と声をかけると、静かにランドセルを背負った。


 学校の正面玄関に着くと、スーツ姿の品の良いおじさんが立っていた。
 おじさんというより、おじさまと呼んだ方がしっくりと来る素敵な紳士だ。
 そのはじめましてのおじさまに朝の挨拶をし、貼り出されたクラス表を確認する。
 娘は一番仲の良い友達と、また同じクラスになれたことを喜んだ。車の中では、新しい教室までついてきてほしいと甘ったれた事を言っていたが、私がスーツ姿のおじさまと話をしているうち、一人で教室へと向かったようだった。やれば出来る子だ。

 私はそのおじさまに、4年生での娘の状況などを聞いてもらった。新年度になったらリセットされないかという不安。これからどうなっていきたいのかという目標など。そのおじさまは、親身になって私の話を聞いてくれた。
 彼を色で表すと、新緑の緑だ。誰が見ても癒しのオーラを放っている。それに包まれ少しは安心できたが、まだまだ心配事はある。

「あとは、担任の先生がどなたになられるのか心配で・・・」

 新しい担任に、うちの娘の状況は引き継がれているのだろうか。去年は引き継がれていないようだった。子供の人数も多いのに、一不登校児童の状況なんて、引き継がれなくても仕方の無いことだ。だとしたら、新たな担任の先生にも、私から申し送りの時間を作ってもらいたい。とにかく、担任の先生の人柄を観察したい。
 多分私の表情は、相当不安気だったのだろう。
 おじさまは、

「本当は式の時間までは秘密なんですが・・・」
 
 と、特別に担任の先生の名前を教えてくれた。
 こっそりと小声で、まだ秘密にしておいて下さいね、と言われる。

 なんと!!
 今年の担任は、去年と同じ先生だった!!
 なんというミラクルか・・・!!

 私はおじさまの前で大はしゃぎをしてしまった。
 高まるテンションを抑えることが難しい。
 大人のクセに心が制御不能に陥った。
 ここ数日の暗黒の世界ような不安が一気に吹き飛び、心に明るい光が差し込む。視界がクリアになった。

「よっしゃあー!! やったやったやったー!! 良かったっ!! ホントに良かったです!! ありがとうございます!! ありがとうございます!!」

 私は、合格発表の貼り紙を見ている受験生かと勘違いされるほどの喜びを身体全体で表現した。
 おじさまにハイタッチをしようとして、落ち着け私! と抑えた。それから3回ほどハイタッチを求めようとして、「やめとけ私!」 と理性で両手を引っ込めた。
 今、ものすごく、おじさまとハイタッチがしたい気分だ!!

「良かったですね。きっと担任も、心配でまた受け持ってくれたのですね」

 のんびりとした新緑のオーラを放ちながら、おじさまは笑っている。

 ところで貴方様は一体誰・・・?

  今更ながら疑問に思った。
 彼の首にかかっているネームに目をやると『教頭』と書いてあり、ぶったまげた。
 私は教頭先生に馴れ馴れしくハイタッチをしようとしていたのだ。
 でもこの教頭先生ならば、ハイタッチを求めても笑顔で乗ってくれそうだ。
 一か八か、ハイタッチを求めてみようか。
 いやダメだ。浮かれすぎだ。やめておこう。やめておけ。
 私は我慢をし、心の中だけで、おじさまとハイタッチをした。
 めちゃくちゃテンションの高い、ノリノリのやつをだ。
 
 
 
 
 

 
 


 

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