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意味のある時間

月、火、水……。
平日に働いている私は、水曜日まで来ると疲れに対し無視できなくなってくる。それからの木曜日は最悪だ。なぜなら金曜日のような疲れを持ちながら、実はまだ木曜で、明日も一日働かねばならない現実に思いやられるからだ。

その魔の木曜日の前夜、つまり水曜日の夜に自治会の寄り合いに出席せねばならなかった。
今年度自治会長をやらねばならなかった私は、仕事と家庭でキャパが埋まりそうなところにもって、自治会の役割をこなさねばならない荷物を抱えて辟易としていた。

金曜の夜が潰されるのはまだ翌日は休みだから良いが、水曜の夜は体力的に厳しいものがある。そんな集まりをしたところで意味はあるのかと、私の心の愚痴は止まらなかった。

しかしこれが地球上で生きている者のめんどくささだ。やりたくないことをやらされるストレスの沼に浸からねばならない時間も存在する。そんな時は切り替えが大切だ。この場合の私の中での切り替えとは、諦めと開き直りだ。

やるからにはしっかりと参加しよう。

切り替え後はそんな私が登場してくる。
私の時間、つまり私の命を使ってほぼ強制的に参加せねばならない集まり。どうせなら意味のある時間にしたいと願う私と、それに反発したがる私とで心は忙しくなる。

その日の集まりは、心肺蘇生法とAEDの使い方の講習だった。私はそれを職場で何度も受けている。救急隊員がどのように説明をし、どのような流れで講習が進んでいくのかも想像できた。

……ところで参加する意味はあるのだろうか。

往生際の悪い私が再び登場してくる。
私の貴重な時間、つまり私の命を使って心肺蘇生法とAEDの使用方法を学ぶ事。今まで職場で何度も行ってきた講習を、わざわざ水曜の夜に参加せねばならないのか。
頑張ろうと思う私と、やる意味があるのかと反抗する二人の私が背中合わせでいる状態だった。

会場の床には何体もの人形が転がっていた。二人一組がそれぞれの人形の元で待機している。私は一番前にある人形を選び、その横に久しぶりの体操座りをした。

救急隊員が始まりの挨拶をしだした。
ふと前方を見上げその救急隊員を見た瞬間、衝撃が走った。私は彼から視線が外せなくなってしまったのだ。

なんてイケメンマッチョなんだろう!!

いつも職場で講習を受ける時は、がたいの良いおじさんだった。そのイメージが脳に染み付いていた私は、目の前の救急隊員のマッチョな彼に驚かされたのだ。

ピンマイク越しから聞こえる彼の声もまた、とても良い声色を放っており、私の鼓膜を激しく震わせてくるじゃないか。彼の言葉の意味が頭に入らないほどに、私の脳はオーバーヒートしそうになった。

その救急隊員の紺色のTシャツはピチピチだった。ワンサイズかツーサイズ小さいものを選んでいるようだ。ゆえに胸筋がパン!! とワガママに主張してくるのだ。まるでケンシロウが戦闘前に服を破れさす一歩手前のシーンのように熱い。

上腕二頭筋も、パーン! だ。肩幅は広く逆三角形。私はこの年になってやっと、いたずらっ子の男子が女子のスカート捲りをする気持ちが分かった。もしも私が彼のピチピチTシャツをペランと捲ったなら、仮面ライダーのようなシックスパックが『こんにちは!』と語りかけてくるのだろう。

絵描きの人間だったなら間違いなく裸体を絵に描きたいと願うだろう。
私は文字で表したいタイプだ。
私が彼を一文で表すなら、キュッとしてパーン!! だ。

まるでダビデ像のように彼の筋肉は美しい。
あの筋肉は、仕事上で自然に作られたのだろうか。それだけでは難しそうだ。多分彼はプラスアルファで日々の筋トレを欠かさないストイックな人間なのだろう。その成せる結果がピチピチの胸筋その他なのだろうと推測した。
私も作りかけて中断させているシックスパックを再び育てていこうと決心させられた。

どの角度から見ても、彼の身体は完璧な筋肉に包まれていた。余分な脂肪もない。
私はその救急隊員の彼に尊敬の念を込めて『ダビデくん』と名付けた。

先程から心の中で愚痴しか言わない私は完全に消え去り、
『来てよかった! 思い切り頑張ろう!!』
という前向きな私が優勢となった。
結局私は単純な生き物なのだ。

私は60秒に100回の胸骨圧迫のスピードを、ダビデくんから教えられた通りに取り組んだ。かなりの体力を要する。それに押し方にもコツがある。私の心臓と筋肉は悲鳴をあげていた。
ペアの一人から、『すごい!!』というお褒めの声をいただくほどに、私は全身全霊で心肺蘇生法の講習に取り組んだのだった。

翌日、私の上腕二頭筋はひどい筋肉痛に悩まされた。身体のだるさもいつもの木曜日よりもひどい。それに肩も腰も背中も何かに取りつかれたような気だるさがあった。

どうやら私は、あの講習で心肺蘇生法を習いながら筋トレもしていたようだ。日頃仕事では使わない筋肉を動かしたから、こんなにも気だるいのだろう。ということは、私の筋肉は強化の手前にいるということだ。受け入れよう。そしてこの流れでシックスパック計画を進めるのだ。バストアップの為、胸筋も鍛える方向で進めていきたいとも思っている。

ダビデくんの講習で一連の流れを復習できたし、さらに目の保養ができた。ダビデくんは私の肉体アップデート心に火を付けてくれたのだ。

いつも以上に疲れた身体で過ごす木曜日だったが、不思議と愚痴を言う心の声はなかった。つまり私は、意味のある時間を過ごせたということだ。
ありがとう。ダビデくん。


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