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Twitter

Twitterが、何気にかるーく10周年を迎えて居ることに気がついた。
Twitterに触れて感じたことと言えばやはり、片面ずつ、フォロー・フォロワーと言う関係を気付くことが出来き、長い文章を書かなくても良い、独り言の様に投稿しても良いと言うすごく目新しいコンセプトで誕生し、瞬く間に日本人が利用率トップになっている事実までしっかりと出来上がった。

そんなTwitterは「ゆるく繋がる」事をモットーにTwitterは展開されて言っているので、フォローした相手を気軽にまたリムーブと言った形で外す事もよくある話だったり、中にはツイート(投稿)を相手がログインしているアカウントで見られたくないと感じた人は非公開設定にしたりブロック機能を使ったりと比較的に自由に行えるので、関係がある程度希薄にもなってしまったりするデメリットのようなものも存在はするけど、これはこれで本当に一長一短で、一つの空間の中で人が入ったり出て行ったりと言う、「風通し」のある空間を作り上げるが成立するので、例えば、一昔前に存在していた、チャットルームのようなものなら、その中に集まる顔ぶれが同じようになって来たら、その中でやり取りをする上で合わない人や嫌いな人が出てきたら、1人が“あいつ嫌い”と言い出せば、他の誰かも同調しだす。
「共通の敵」を作って団結し始めたり、新しく訪れた人に厳しく当たるなどが見ていてあったように思う。よくよく考えたら、Microsoftや大手サーバーが運営する大規模なものに同じメンバーが殆ど常駐している事の方が何処か異様な感じなのだろうけど。
何、大体いつも同じメンバーと再開してるんだよ!と言った感じにもなりそうだなと…
Twitterだと、自分自身がどう感じるかである程度決めれるものとしての特徴が強いので自分がどうしたいかでタイムラグを構築するので、そういったイザコザはまだ無いのかなとなります。
ショックを全く受けないことは無いですが…
ただ、最近は煽り行為と称された誹謗中傷に似た炎上がTwitterでも増えつつあってコテハンの2ちゃんねる化が進んだり、ネットイナゴも相変わらず居たり拡散スピードが上がっている現実が危険な一因となっているのが少し気にはなりますが、一つの教室のような空間より風穴の開いた空間が増える方が気持ち的にもまだ良いかなと思うので日本人が一番よく利用しているTwitterで、海外の個人主義が少し反映される瞬間でもあるのかなとなっております。

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