貴方は自分を責める必要はありません。
血で血を洗うと言うとちょっと中二病心が擽られるようで小躍りしてしまいそう♪なんて冗談(?)はさておき、愚痴にまつわる話に対して愚痴を書こうと思います。
愚痴を延々と聞かされてしまうとか聞き役に徹してそこから終わらないけど、どうしよう?と思った人は今までにいると思うが、しんどい!と感じたらどんどんしんどく感じても良いのではないか?と私は思っています。
え?どうして?友達なのに?
しんどいと感じるのは愚痴を聞くだけの器がないからだ!!
とか言ってる声もたびたび聞くのですがよく考えたら、友達ならここまで話したら相手はしんどいかな?って多少は考えるのも親しき仲にも礼儀ありになるじゃないですか。
友達だから何でもしてもらって当たり前って、もはや友達ってなんでしょうね?と私は多少なりとも思ってしまいます。
これって新手の優しい人虐めみたいな感じになりつつあるようにも感じてて…
とくにネット上での愚痴投稿って独特で見ていてしんどいと感じるような表現で愚痴や悪口紛いな投稿って結構あって、それを現実世界でも繋がりのある関係の人らだけで見せられるってなかなか酷だなーって。チラシの裏にでも書いとけ!と思うことに罪悪感ってそこまで必要なのかな?って思う時もあります。
見たくないなら見ない権利だってあると信じたい!愛想つかされても加減を知らない相手だって問題あるぜ!仏さんと友達と思ってるのかな?あれー?人間のお友達はー??と心の中で唱えてOKにしたい!
聞いてあげなよ、〇〇ちゃんは優しいんだからなんて聞くと、いい人仮面をパイ投げの様にぶん投げる恐怖のバトルを繰り広げられる!逃げろー!案件にまで感じてしまう…
中二病っぽく言えば、偽りの優しさが僕を狂わせる案件です。
ただ、愚痴は愚痴でも聞いてて盛り上がるタイプもあって、それは何をどうしてその事に不満があってそれで愚痴は愚痴止まりだなと予めわかりやすいものやそのハッキリとした不満の輪郭が聞き手に違和感なく意気投合した場合に限るのかも知れないのかも知れませんね。
聞いてくれたっていいでしょう?と思い過ぎてはやはり駄目なのかなと過去の自分にも反省したい気分になった時もありました。
そんな所に美輪明宏が回答する「悩みのるつぼ(朝日新聞)」に、ある人が友人からの愚痴に悩む投稿への回答
回答に美輪明宏
可哀想な私の話を聞きなさい!友達なら当然でしょう?と言うポーズを取る図々しい人間にあなたは答えなくても良いのよ!と言うメッセージにも感じ辛口回答のようで投稿者の心を軽くしているメッセージにもこれは感じました。
私の器が~って器は器としての形があるものなので形がない無限大のものではないのでいつか溢れてしまうもので…
言う相手はこちらをゴミ箱としか思ってないんだ!なんてメッセージをネット上でも見かけるようになったりして、もし、私の器が~と自己嫌悪に陥りそうになったら少しこの投稿でも見直すと心が軽くなりそうだなと考えました。
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