目標がない私は「続ける」を止めないのが「なりたい自分」なのかもしれない
写真を撮っていて、「続けていてよかったな」と思うことがある。
きのう、とあるアパレルの撮影があった。ご依頼をいただいたきっかけは私のインスタグラムを見てのことだった。
「普段、お仕事以外で撮影しているフィルムやチェキでの写真のように撮ってほしいです」と言ってくれた。
仕事以外で撮影している写真は「作品」として、わたし個人の世界観を表す写真だ。今回のご依頼はわたしの観ている世界を誰かが発見してくれたんだ!という嬉しさを感じる瞬間だった。
普段は取材などメディア的な要素の強い写真を撮ることが多いので、仕事での撮影は「わたしの意図」みたいなものはできるだけ消して撮影をしている。(とはいえ個性は出てしまうので、私らしい写真になってるのだろうけど)
仕事の感覚に慣れてしまって、撮影をした後になにかを感じることがあまりなくなってしまったけど、たまに「写真を続けていてよかったな」と思うことがある。それは今回のような撮り方であったり、憧れの人を撮影できたり、自分の想像以上の写真表現ができたときなどさまざまだけど、「続けていてよかったな」と思える瞬間が、写真を撮っていて一番に心地よい瞬間だと思っている。
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去年の秋くらいから、あらためて「自分のやりたいこととは」を長い時間をかけて考えている。いまSNSで活躍している人であればみんな一度は考えたことがあるだろう「セルフブランディング」についても向き合ってみた。でも、わたしはこの10年くらい写真と向き合ってきたけど、到達したい「目標」や、「なりたい自分」というのがうまく想像ができない。
おそらくSNSを頑張れない理由もここにあって、「なりたい自分」とか「目標」がないからだと思う。いろいろな人が「なりたい自分」を目掛けて活動している姿が羨ましくて、なんとか自分も同じように走ろうとするけど、どうしても「旗」みたいなものをたてることができないでいた。そして、コンプレックスでもあったし、そのせいで怠けていた時間もあった。
それでも、自分なりに写真を撮り続けて、表現として誰かに観てもらうことはやめなかった。「なりたい自分」はなんだろうと思いながら。
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ときどき、就活時代を思い出すことがある。私の就活時代は2000年代で大手だけでなく、ベンチャー企業も魅力的だなと思える時代になっていた。わたしの第一志望だったとあるベンチャー企業は就職説明会から試験まで終始「結果重視」というキーワードを掲げていた。社長も声高々に「うちの会社は結果がすべてです!」とスーツを着た我々就活生に自慢げに話していた。
「結果重視」の思想を持った人に来て欲しいとのことで、就職試験でも「結果重視」か「過程重視」かを問われる設問があった。わたしは「過程重視」と書いた。落ちるんだろうなと思った。就職活動で嫌なほどたくさんした自己分析では発見できなかった私の一部が、この採用試験で知ることができた瞬間だった。
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「写真を続けていてよかったな」と感じるたびに、この就職活動のエピソードを思い出す。どちらが良いとかではないけど、わたしは「何かに取り組む」ということを大切にしたいんだろうなと思う。
日々の運動も、毎日の読書も、意識高い系の料理もなかなか続けてやりきることができない私だけど、「写真」だけは人生で唯一続けられていることだ。もう、それだけでわたしの人生は十分なのかもしれない。そして、「写真を続けることを止めない」のが私の「なりたい自分」なのかもしれない。
その先に、ちょっとしたご褒美がある瞬間を期待して。
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