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たくさんの変化があったコロナ禍の2年で、変わらないものが自分らしく生きる核なのかもしれない

「コロナ禍でも変わらなかったことを見つめ直してみると本当の自分の核となるものがわかると思うよ」

コロナ禍の世の中で2年がたち、久しぶりに会った社会人の先輩とこの2年で変わった生活環境や仕事のことを話しているなかで、ふと言われた言葉だ。この2年、受動的、能動的にも変化し続けた人生のなかで自分のなかで変わらないことは変化の慌ただしさのなかで当たり前の自分として特に注目するこもなかった。

だけど、この2年間は自分も家族も、周りの人たちも、というより日本中、世界中の人々が行動を制限されて、未知のウィルスに怯えながら生きていく日々を送っていたのだ。「ちょっと私のまわりの人たちが〜〜」なんてことではなく、世界中の人たちの生活と人生に影響があったのだ。むしろ変化のなかった人を探すのが難しいかもしれない。2020年のこのくらいの季節には世界中の人が家に閉じこもっていた。それくらい異常な日々を過ごしていくなかで「なにも変わらなかった」という人はいないのではないだろうか。

実際に、ここ最近で撮影の仕事で取材に同行すると、どんなテーマのインタビューでもこの2年で変わってしまったこと、どうやって切り抜けてきたか、どう対応してきたかというエピソードはこちら側が聞かなくても、彼ら彼女らが活動していくベースに必ずあることとしてみなさん話してくれる。

いろいろな人のいろいろなものが変わってしまった。

不可抗力的に変化を強いられてしまったこともあれば、生きるために変わらなければいけなかったこともあった。その後にポジティブな結果を生み出したものもあれば、つらい思いをいまだにしている人もいると思う。まだコロナ禍が終わっていないいま、変化したことが正解なのかどうかもわからない。ただ、そんな激動の2年間では変化にばかり目がいってしまうのは当たり前だと思う。

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私はというと2020年の4月はフリーランス生活がもうそろそろ2年というところだった。2020年1月に満を持しての写真展を開催し、自分が撮りたい写真、向き合っていきたいことをたくさんの人に伝えて、仕事ととして取り組んでいきたいと覚悟を決めたタイミングで、完全に出鼻をくじかれたというところだった。「写真で仕事をする」というなかでも、社会課題を写真で解決できるようになりたいというのが、ステップアップしていく目標のひとつではあったが、4月から2ヶ月間は仕事どころかまったく外に出られない状況になってしまったのだ。

緊急事態宣言が伸びるたびに、「もうフリーランスでの仕事は無理かも」と何度も不安になることがあった。正直、ガチで生活でマズイ…と思ったことがあって、まわりのフォトグラファーの間でもアルバイトを始めた人がいると耳にしたりしていたので、私もアルバイトの求人を眺めたりもしていた。
けど、それでもフリーランスは辞めない方がよいし、フリーランスでいることにしがみついた方が良いと思った。

それは「続けることが苦手」なわたしが人生でずっと続けられている唯一といっていいものが「写真を撮る」ことだったからだ。

なにをするにも「続ける」のが苦手で、なにか思いついたことを頑張ろうと思ってもなかなか続かないし、人付き合いや、生活のなかでも続かないことはしょっちゅうある。

それでも「写真を撮る」ことは続けられたことだし、趣味で続けられたことがきっかけで写真を撮ることが仕事になった。おかげで、自分が自信をもってできることを仕事としてできている。「写真を撮る」ということがきっかけで生まれた人間関係や習慣はいまでもとても心地よく続いている。

このnoteも「自分の撮りたい写真を追い求めて考えたことや感じたことをnoteに綴ってます」とトップの紹介文にあるように、写真を撮り続けているから文章が書ける。

そして、まさかの仕事にも繋がり「撮ること」が「ご飯を食べること」になっている。おそらくそれは奇跡のようなことだとおもう。

最初に出てきた先輩に「いま写真の仕事をしてるのは本当にラッキーなんですよ」と言うと、彼女は「だって10年続けたんじゃん。はじめて出会った10年前は趣味で撮ってたけど、撮ることを10年やめないってすごいことだよ」と言ってくれた。

だから、いまフリーランスを辞めてしまったら、いままで続けられたいろいろなことが断ち切られてしまうような気がした。「写真を撮ること」で積み上げてきた、技術や人間関係、自分の考え、頭の中にある撮りたい表現などいろいろなものがなくなってしまう気がした。

「仕事じゃなくても趣味でも写真はできるのでは?」

そんな風に思う人もいるかもしれない。けれど、このときの↑のnoteのように、私の写真には仕事で出会った素敵な表現や考え方などがあって、すでにわたしの写真人生を積み重ねている大切なひとつになっているのだ。

それに、写真で仕事ができているのは写真を撮り続けたというご褒美だと思っている。

どうにかこうにか2年を生き抜いてきて、いまではなんとか仕事も安定してきた。といってもフリーランスなので、一寸先は闇的なのはあるし、3ヶ月後の仕事がほぼ決まっていない不安定さもある。
けど、この2年を乗り越えたおかげで10年後、20年後も自分は写真を撮りつづけている姿は想像できる。それはこんな状況だけど10年撮り続けた自分をコロナ禍で手放さなかったからこそ、想像できる未来だと思っている。

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他にも変わらなかったことといえば、住む場所を変えなかったことだ。リモートでの仕事が可能になり、まわりの仕事仲間や友人が地方移住する人が本当に増えた。

それでも、私はいま住んでいる場所を離れなかった。それはやっぱり「東京」が好きだからだ。10代のときにずっと憧れていた東京に住んでいることがいまの私を形つくっている。音楽が好きでライブハウスに通っていたこと、アートが好きで美術館巡りをしていたこと、本が好きで何時間も好きな本屋にいたこと。そういう東京でしかできないことがいまの私をつくっている。そして、まだ自分は発展途上だし、いまは離れるときではないと思ったのだ。

東京を離れなかったことで棚からぼたもち的に起きたのは、「港区」をテーマに執筆をするお仕事をもらえたこと。そして、そのまとめとして書いたnoteがグランプリでコンテストを受賞したことだ。

東京をどうしても離れたくない、その魅力や好きな理由を全部詰め込んで書いた文章たちなので、こういう結果になったことがとても嬉しかったし、変わらずに東京にいつづけたことがよかったなと思える瞬間だった。

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そんなわけで、その先輩の言葉で自分のこの2年を振り返ってみると、この2年で変わらなかったことが、自分らしく生きる核になっているのだなと思った。そして、これからまたどんなことがあっても守っていきたいことだなと思う。(むしろ、コロナ級の世界に及ぼす大事件なんて起きて欲しくないけど)

みんながこの2年で変わらなかったこと、守ってきたものってなんだろうと考えてみる。人の取材をする機会が多いし、人を撮ることをライフワークにしているからこそ思うのが、みんなの変わらない部分こそがその人の魅力なのだと思う。それが、目に見えるものなのか、考え方なのか、いろいろあると思うけど、私が人を撮りたいと思う大切な部分はそこにありそうな気がする。


最後まで読んでいただいてありがとうございます。写真展が続けられるようにサポートしていただけるとありがたいです…!