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同じものはひとつとしてない


 祖父母の家にある私物を仕分けした。


ダンボールの中には、小学生のわたしがデザインした図案を彫刻刀で彫った木のオルゴールや、目一杯キーホルダーを詰めているお菓子の缶など、幼いときのわたしが好きだったものがとってある。


いる、いらない、いる、いらない。
テンポよく仕分ける。

誰のものか分からない説明書や古い充電ケーブルも入っていて、速攻で捨てるを選んだ。


わたしはコンバースの空き箱と、プレゼントのラッピングで使われていたマリクワの箱に色々なものをしまっていた。


学生鞄に付けていたキーホルダー等が入っている片方には、スーパーボールと大きめのビー玉も残してあった。
スーパーボールは、どこかの祭りに行ったときに掬ったものだろう。たぶん、変わったカタチのものと、ニコちゃんの絵柄が挟まっているものが気に入って取ってあったはずだ。


じゃあ、ビー玉はなんなんだろう。


通常の大きさじゃなくて、『犬夜叉』に出てくる四魂の玉みたいな大きさだ。
(本物はもっと大きいのかも)


取っておいても使わないし、捨てちゃおうと畳の上に避けておいた。




次の日、散らかってるな〜と捨てる物たちを眺めていると、ビー玉の模様が気になり手に取ってみた。

絵の具を垂らしたのとはまた違う、はっきりとした流線。水色のビー玉は風の動きを表したみたいにも見えた。


ビー玉には気泡も入っていて、作ったときの空気が閉じ込められているのかなと、指先で掴んだビー玉をくるくる回す。


これを今捨てても、いつかビー玉が欲しくなったらまた買えるだろう。
きっと、今あるビー玉と新しいビー玉の模様の違いにも気づかないと思う。


ただ、この模様には二度と会えないんだろうな。


わたしの元にやってきたビー玉でさえ、同じものはひとつとしてない。



今回はビー玉を箱の中に戻しておいた。



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