しづかに渇く

「みちかけ」は、新宿三丁目から十五分ほど歩いた静かな路地にひっそりとあるバーだ。
「みちかけ」での仕事にそう難しいことはない。私はだいたいいつも五時過ぎにお店に行き、お店の前の道を掃き、店内の床を軽く掃除し、机の上を拭く。氷とグラスの準備をして、お通し用のクラッカーやオリーブやチーズの補充をする。六時前になるとオーナーのチカコさんが出てきて(二階がチカコさんの住居になっている)、お金の確認をしたら、開店する。
 お客さんが来たらお通しを出して、お酒の注文を訊いてそれを提供する。BGMにしているレコードが終わったら、別のレコードに入れ替える。あとは、カウンター越しにお客さんと話をする。相槌を打って、質問されたら答える。知っていることを訊かれたら知っていることを話し、知らなければ教えてもらう。公共料金の支払いの対応をしたり、お弁当を温めるか確認したり、複合機が動かないと呼び出されることもない。シンプルで、明白だ。そんな感じで、だいたい十二時まで、週五日か六日働く。
 私のバイト時間は夕方から終電までで、それ以降はチカコさんが一人で接客する。店の営業時間は一応二時までということになっているけれど、居座る人がいれば始発まで開けていることもある。
「みちかけ」には常連が多く、新規のお客さんは少ない。HPも宣伝も何もない、しかも駅からも遠いこの店は、人伝いでないと存在を知ることも難しいからだ。新規のお客さんは、必ず誰かの紹介のもと、この店を訪れる。
 そんな見えないふるいにかけられているせいなのか、『みちかけ』の客層は安定している。全員、この店のこの空間を守るための不文律を理解しているかのように、落ち着いていて紳士・淑女的だ。おしゃべりな人は饒舌に、無口な人は静かに、それぞれのペースで飲み、しゃべり、帰っていく。この店での私の一番重要な仕事は、店の空気を壊さないようにふるまうことかもしれない。
そうやってここで働き続けているうちに、しまい込まれたまま開かれることのない宝箱のように、自分が少しずつこの店の調度品の一つになってゆくような、そんな錯覚をしている。
「まみちゃん、時間」
 チカコさんに言われて、はっとして壁の時計を見たら、もう十二時を十五分も過ぎていた。慌てて手元のグラスを水切りに置いて、手を拭く。バタバタと帰り支度をしていると、チカコさんが「今日の分」と行って千円札を八枚渡してくれる。それをありがたく受け取って、お客さんにお辞儀をしながら、小走りで入口へ向かう。
「みちかけ」を出ると、すぐダッシュになる。こんなにギリギリなのはひさびさだ。財布とケータイとティッシュだけが入ったポシェットが腰のあたりにバンバン当たるから、皮の紐をぐっと掴んでたぐった。
 夜中の新宿には、本当に色んな人がいる。どんなに寒くてもがっつり脚を出したお姉さんとか、どう見ても夫婦じゃない男女とか、大声で笑う大学生の集団とか(たいがいそのうちの一人は酔い潰れて座り込んでいる)、髪をま緑に染めた男の人とか、男だか女だかわからない人とか。誰を見てもちょっと浮いているような気がするし、それでもここが新宿だと思うとしっくりきたりもする。下手くそな極彩色のモザイク画みたいな街だ。二年と半年前、私はこの街にやってきた。
 靖国通りを渡り、一番遅くまでやっている新宿三丁目駅の入り口の階段を駆け下る。改札でICカードを叩きつけるようにして通り抜け、中野坂上行き最終のアナウンスが流れるなか、満員の中に隙間に体をねじ込んで、なんとか電車に乗り込んだ。
 久しぶりに走ったせいで、呼吸がなかなか整わない。毛糸のカーディガンが汗で貼りつくのが不快だ。終点の中野坂上は三駅目。西新宿を過ぎても乗っている人達は全員同じ所へ向かっているのだ。あまりにも狭いところに、多くの人がひしめいている。
 駅について地上に上がる。汗が冷えたせいで、今度は風が吹くと寒かった。もう五月になるっていうのに、今年はいつまでも涼しさが立ち去らないような気がする。
 私が家を出てから二年半、母が私を訪ねて上京してきたのは一度きりで、その一度の来訪でこの街に辟易としてしまったらしく、それ以来、実家に呼び寄せようとするばかりで自分からは決して来ようとはしない。電話をするたびに、よくそんな所にずっと暮らせるね、早く帰ってきなさいよ、と言われる。
 母だけじゃない。よくこんなところにずっといられるね、私には無理。そう言って地元に帰って行った知り合いが何人かいる。私よりよっぽどしっかりしていて、目的も夢もあったはずなのに。
『こんなに人がいて、こんなにぎゅうぎゅうで狭苦しいのに、どこにいても一人ぼっちのような気がする』
 高校で同じクラスだった女の子は、そう言ってここを去って、それきりだ。そうやって消えた人の跡を、気づくと他の誰かが埋めていて、そこに誰がいたかどころか、一時的にでも穴が空いたことすら覚えていない。そして、やっぱりいつでもぎゅうぎゅうにひしめいている。流動的で、形の定まらない生き物のようだ。
 私はそんな隙間の一つにするりと入り込んで、海流になぶられる海藻みたいに揺らめきながら、ここで暮らしている。
なぜか私だけが、この街で生き残っている。

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