待つ女
自分が飲み会の時の終電なんてあまりにもあっという間なのに、飲み会の帰りを家で待つ時間は、あまりにもゆっくりだ。
私は待つのが嫌いだ。
待つということは、自分が相手よりも下の立場な気がする。
「待ってでも」会いたい、食べたい、行きたい。
だから、待つ。
サンクコスト効果なんていって、自分がかけた時間やお金を、回収したい心理のせいで
その対象を必要以上に高く見積もっているのかもしれない。
でもなんで待ってるんだろう。
私は本当は、待っててほしいくらいなのだ。
大切に扱われていると、実感したいのだ。
待っていたって、期待以上のことなんて起きやしない。
それどころか、相手は待たせることを大して気にも止めてない。
待つくらいなら、いや、待つ時間は全部自分に使おう。
待つ時間は、相手のための時間じゃない、自分のための時間だ。
遅刻魔の友達と会う時は、いつもこう考えていた。
「本読める時間ができた」
相手のせいで失った時間になるくらいなら、むしろ生み出された自分のためだけの時間だと考えよう。
考えるだけじゃない、行動すればそれはきっと塵も積もって大きな財産になる。
知識も経験も、限られた時間の中でどれだけ得られるかは自分自身にかかってる。
もちろん、待つことが楽しくて仕方ない人はそのままでいい。
自分の気分を上げることの一つだから。
でも、待つことが憂鬱で、苦しい人は、「私の時間を作ってくれてありがとう」と思おう。
待たせるということは、その人は自分のことだけ考えてる。
だからあなたも、自分のことを第一に考えればいい。
自分の時間に使ってたら、自ずとその人と関わることが本当に自分にとって必要なことかどうかも、きっと見えてくる。
それでも会いたいのか、待ちたいのか。
あなたの時間はあなたがコントロールできる。
待たせる人に支配される必要はない。
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