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機会を得て、生まれる物語


「手紙~拝啓十五の君へ」を聞いていて思う

中2のお兄が、「手紙~拝啓十五の君へ」を学校で卒業式用に練習しているのだそうで、最近アレクサがよく歌っている。この曲は、アンジェラ・アキさんが、2008年のNHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲として書き下ろした曲。2008年生まれの子が、今年の中3生、ちょうど15歳の年なんだ、なぁ。

改めて聞くとほんとうに素敵な歌詞で。15歳という年齢ならではの葛藤を大人の自分でも思い出せる。楽しかった中2のクラスの友人たちとクラスが離れたモヤモヤとか。気に入らない担任とか。憧れの制服の学校には、どうも成績が今一歩足りないとわかっていても、どうしてもたどりつけないイライラとか。今の自分が振り返っても、パラレルワールドにいたかのような日々だった。15歳の自分は、自分でもそこにいたのかどうかわからないような、不思議な世界にいた。

書き下ろす、ってどういう感覚かわからないけど、でもきっと、機会を得たことで改めて振り返って書くことに繋がる。機会がなければ生まれることのなかった曲、かもしれないと思うと、「機会」の可能性を感じる。


「機会」を機会と気づく力

「機会」それをするのにうまいぐあいの時機。とき。おり。しおどき。(Oxford Languages

「機会」を得るのに必要なのは、日常に落ちている様々な出来事を「機会」だと気付く力だ。それこそ、ぼーっと生きてると見つけられない。出会えない。これを掴まなきゃ、今やらなきゃ、という衝動をいくつもいくつも経験することで身につくものだと思う。アンテナを張って、心や身体を動かして掴むもの。結構アクティブな能力だと思う。

「機会」を皮切りに積む「経験」

「機会」の次にあるのは、「経験」。「機会」から、何を拾うか?何を掴むか?何を生み出すか?によって、機会を活かすことも殺すこともできる。「機会」はきっかけだ。どうせなら、良い機会にしたいじゃないか。

昨年の春、大きなチャレンジと意気込んで、特徴ある小さな会社に飛び込んだ若者が、この1年で癖のある社長にゴリゴリのパワハラを受けて迷っている。確かに他にはない、ユニークな経験ができるのは間違いないにしても、必要な経験からは逸脱した部分もあって。ポジティブに解釈すれば、耐性がつくよ、といえなくもないけど、リスクとハザードでいえば、ハザード、経験しなくていい経験だ。
私も似たような経験をしたことがある。意を決して飛び込んだ世界だったし、それはそれは面白い経験が積めた場所だった。でも経営者の不正に気付いてしまって。なんとかしようとして心身壊しそうになった。もっと経験を積みたかったけど。でも、あんな人の活動の片棒を担いじゃ駄目だと思うし、絶対に嫌で、離れる決意をした。いい機会ではじまって、苦い経験で終わる。それも、「機会」を皮切りに積む「経験」だ。

一方で、しぶしぶな「機会」から、じっくり温めて良い経験になっていくものもある。みんなそれぞれ、好きな方向でやりたいことをやっている人同士が、ある一点の目的の時だけぐっと同じ方向を向くスタイルは、過干渉がなくて気持ちがいい。最初のあの時、よくわからないまま役割を請けてしまったという「機会」。関わり続けてよかった。

「機会」から生まれる物語

機会(きっかけ)と、実際の行動を伴う経験との関係を丁寧に追っかける。物語(ストーリー)で語る。経験デザインの手法だ。
自分で見つける、出会う「機会」だけでなく。人からもらう「機会」もいい。急に穴が開いたのを埋めなきゃいけなくなるような。「機会」があるからこそ産まれるストーリーを大切に。

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