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20年前の手書きの旅日記を、データに変換して記事にしてみる。


最近、学生時代〜新婚時代に書いていた旅日記が数冊出てきた。

旅の日程を記し、チケットを貼ったりスタンプを押したりし、間に日記を綴ったものだ。ちょこちょこイラストも書いていたり、遣ったお金の記録もしていて、案外面白い。マメ(暇)だったんだな。

その中に、家族で北海道に行った時のものがあって、読んでいるうちに、noteに書いてみたくなった。それで、写真から手書き文字を秒でデータに変換してくれるアプリ(無料)を使って、今回記事にしてみる(便利)。


※個人情報を含むところ以外はそのまま載せてみます。20代前半の初々しい私(自分で言うな)がここに存在すると思って読んでいただけたら幸いです。




『〇〇家がゆく!北海道~札幌・小樽・登別~の旅 2泊3日』

表紙。字が幼い。



3月11日(1日目) 新千歳空港~小樽~札幌

家族4人そろうのは、お正月以来だ。今日から2泊3日で北海道に行く。


朝9時。家を出発して空港へ。搭乗するまでの時間、初めてラウンジへ。なかなか快的な空間だ。



飛行機が飛び立った。今日は快晴なので、下に広がる地形がよく分かる。長野付近の山々は雪で真っ白だ。

2時間半かけて新千歳空港へ着陸。
今日は暖かい方らしいが、やはり寒い。


JRの駅で駅弁を買って快速に乗り、小樽へ向かう。途中、雪で真っ白の大地に、白本がたくさん立っている。住宅地を通ったが、おとぎの国のようだ。かわら屋根などではなく、赤や黄、緑など原色の板張りの屋根が並んでいる。


しばらくすると、日本海が見えてきた。波しぶきがきれいだ。そしてまたしばらくすると、雪が降り出した。忙しい天気だ。

スタンプあったら絶対押してたな。


小樽に到着。駅のロッカーに荷物を預け、歩いて運河への道を進む。歴史ある古い建物が多く、それらを改装している際中の光景も多く見られた。とてもきれいな街並みだ。

運河沿いの古い倉庫は、今はレストランや記念館などとして活用されている。外灯や橋にも趣があって、何枚でも写真を撮りたくなる。夕時には、ライトアップされてさらに美しいそうだ。

運河からまっすぐ進んで行くと、ヴェネツィア美術館を発見。「まっぷる」で、ヴェネツィアドレス体験ができるというのを見ていたので、早速ドレスを着てみたくなって体験することに。

ペチコートという、スカートをふんわりさせるわくぐみを腰につけ、ドレスを着る。そでやえりもとにレースがふんだんに使ってあって、とても華やかだ。背中のひもをぎゅーっとしばり、上半身はピチピチ。ハイヒールをはいて、大きなつばのぼうしをかぶる。手には、舞踏会用のような仮面を持つ。きらきらと光るイスと真珠のネックレスがちょっと派手だ。

写真はポラロイドと引きのばし用をとった。引きのばしたものは後日送ってくれるらしい。いつもとちがった自分に変身するのはとても楽しい。


笑。


美術館にはヴェネツィアガラスの作品が数多く展示されていて、とても素晴らしかった。
ガラスは見ているととても涼しげだが、出来上がるまでは、大変な作業だ。


その後、オルゴール館をいくつかめぐった。オルゴールの音はいつ聞いてもとてもいやされる。かなり大きくて、音色のもととなる円盤をかえられるものも展示してあった。アクセサリーボックスなどほしかったが、あまりにも数が多いのと、特別大好きな曲が見当たらなかったのでやめた。

帰ろうとした時、外の時計台が蒸気でチャイ厶(汽笛のような音)を鳴らしていた。

オルゴール館から駅までの道は以外に長かった。途中、道が凍っていて、つるつるすべる。お母さんが案の定すってんころりんと転んでしまった。コントのおちみたいでおかしかった。


札幌に着いた。ホテルを探して、さっそくごはんにすることに。ホテルのバイキングで、かにも食べられると知り、それにした。ゆでたタラバガニを思う存分食べた。他には、ラーメン、ステーキ、ヤムチャ…デザート、おいしいものが沢山だ。でも、バイキングというのは不思議なもので、思ったほど食べられない。すぐにおなかがいっぱいになるのだ。

外は吹雪になってきた。外に食べに行かなくてよかった。この分だと、明日の朝までにはかなり積もるかもしれない。楽しい一日だった♡♡


3月12日(2日目) 札幌~洞爺湖~登別

朝7時。目が覚めると外は一面、銀世界だ。車にもビルにも木々にも、真っ白な雪が積もっている。

朝食バイキングを済ませ、駅へと歩く。今日はバスで観光して回るのだ。


バスツアー、ガイドさん付きだったみたい。


雪道をバスが走り出した。渋滞している。みんな、チェーンをはめているのだろうか。

山へ向かって30分くらい走ると、針葉樹林へと突入した。クリスマスツリーのようなエゾマツが山をおおいしげっている。エゾマツの枝が下を向いているのに対して、トドマツだと上を向いているらしい。


定山渓じょうざんけいでは、道路の両側が斜面で、本当に素晴らしい眺めだ。同じ日本とは思えない。

中山峠で15分間休憩。ここの名物、あげじゃが
(250円)を食べた。じゃがバターをドーナツのような生地で包んで揚げたものだ。ほんのり甘く、ほくほくしていておいしかった。トイレに、はくせいの熊がいたので2ショットで写真をとった。

今度は山を下ってゆく。途中、赤いくつ公園や細川たかしのふるさとを通った。 山が多く、雪がつもってとてもすばらしい。富士山にそっくりの形をしたようてい山という(今日は雲で下の方しか見えなかった)もあった。 ようてい山を源とする地下水が、くっちゃん町というところに出ていて、日本一の水と言われ、多くの人がくんでいくらしい。


洞爺湖に到着した。ここは、北海道で3番目に深い湖で、冬でも凍らないらしい。火山の噴火によってできたカルデラ湖で、中央に4つの島(中の島)が見えた。周りを雪山に囲まれ、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。

近くの「岡田や」という食堂で、ほたて料理を食べることにした。私はほたてチャーハンを注文。いっぱいほたてが入っていて、おなかいっぱいになった。おいしかった。

お父さんとお母さんが温泉に入ったので、私達は再び洞爺湖へと足を運ぶ。雪だるまがあった。

その後、バスターミナルの隣りにある資料館を少しだけ見た。入口に、灰まみれでボロボロの車が展示してあった。これは、有珠山うすざんが噴火した時にこの温泉街で被害にあったものらしい。この辺では30年おきくらいに火山が噴火するので、すそ野で暮らす人々にとっては、おそろしいことだろうなあと思った。

次は昭和新山へと向かう。これは、溶岩だけで形成された山で、世界でも珍しいらしい。でも驚いたことに、私物らしいのだ。発見者が、まだこんなに大きくなる前に買い、観察し続けたそうだ。赤茶色のゴツゴツした岩肌を間近で見ることができた。

そして、2つ目の温泉街、登別へ。まずは地獄谷を見に行った。地獄谷とはよく言ったもので、あちこちで温泉の湯けむりが立ちのぼり、荒く急な谷になっている。この街にはあちこちに鬼の像があった。えんま大王の像もあって、定刻になると顔が悪に変わる。その変わり方が意外に単純で、笑ってしまった。

登別温泉に入る。温泉なんて久しぶりだ。少しあつめで、ぬるぬるしていてとても気持ちがいい。糖尿病、高血圧に効くというミョウバン湯や、マッサージ効果のある気泡湯があって、楽しかった。つかりすぎて、ゆで上がってしまった。

それから千歳空港経由で札幌へと戻る。ほとんどねむっていた。お父さん達は、ガイドさんが何も見ずにスラスラと観光案内するのに関心していた。

札幌に到着。時計台前で降りる。いつのまにか外は雪になっていて、とても寒い。耳が痛いくらいだ。なんだか道を間違えて、ぐるぐると歩き回り、やっと時計台についた。

時計台は、北海道大学の前身、旧日札幌農学校の演武場として明治11年に建てられたそうだ。着いた時ちょうど6時の鐘が鳴っていた。ライトアップされてきれいだ。でも暗くて、チェキではうまくうつらなかった。

ホテルへと戻る。この辺の土地の地理がだんだんとよく分かってきた。荷物を置いて、隣にある「つぼ八」へ行く。値段が分かる居酒屋は安心だ。

たっぷり食べて飲んで、カラオケに行くことになった。

そして夜はゆっくりして早目に寝る。おやすみなさーい。


3月13日(3日目) 札幌

今日で北海道ともお別れだ。少し早く起きて朝食を済ませ、札幌の街を散歩する。

まず向かったのは北海道庁旧日本庁舎。愛称は“赤レンガ”で、重要文化財に指定された建物だ。明治21(1888)年、マサチューセッツ州議事堂をモデルとして建てられたらしい。赤いレンガの壁と緑色の屋根がよくマッチしていて、おしゃれだ。

その後ろには現本庁と、議事堂があった。少し歩くと、北海道大学の北方生物園フィールド科学センター植物園がある。今は雪でほとんどが埋もれているために休園していたが、温室なら見学できるそうだ。外からバナナの木が見えた。

そして、大通公園へ。ここは少し前、「札幌雪まつり」が行われていたらしく、大きな雪の丘(雪像を崩したもの)がいくつも残っていた。このまま春になって溶けるのを待つのだろうか。お兄ちゃんがその雪丘に顔と手をうずめて型をつけていた。大きな鼻と細長い目がくっきりとうつって、おかしかった。

石川拓木の像などもあった。正面にテレビ塔が見える。展望台にもなっているそうだ。

そして再び時計台へ。昼間に見るとまたちょっとちがう。


楽しい札幌の思い出ができた。
ホテルをチェックアウトし、空港へと向かう。

2泊3日という短期間だったが、札幌、小樽、登別を十分に満喫できた。

空港でバターしょうゆラーメンを食べることもできたので、もう心残りはない。お土産に、とうきびチョコとかにふりかけ、札幌ラーメンを買った。


あとがき

北海道は広い。広すぎる。他のところへもまた機会があれば行ってみたいと思う。 まだまだ未開発のところもあり、新幹線もこれかららしい。

昔、この地に移り住んで厳しい寒さの中、開拓した人々はすごいと思う。でも私は、今のままの大自然もずっと残していってほしいとも勝手に思う。原生林や、野生生物など他の日本の街が失ったものがここには沢山あるからだ。

今回、たくさんのことに感動し、スケールの大きさに圧倒された。

連れてきてくれたお父さん、お母さん、ありがとう。


[END]




という旅日記。

20年前の私は、今より随分若かったはずなのに、文章がどことなく古風で、ちょっと笑える。それに、ガイドさんから聞いたような情報もマメに取り入れていて、勉強にもなった。自分で書いたのに、別人の文章のようだ。

ツッコミどころもたくさんあるが、意外と深く考察したりもしていて、今より色々考えて生きていた感もある。家族への対応がさらっとしていて(若者あるある)、兄の存在感がほぼほぼない(笑)のも、当時の関係性をそのまま表しているなあと思った(今は家族ぐるみで仲良くさせてもらってます)。

1番びっくりしたのは、中山峠で食べた「あげじゃが」も、有珠山の資料館も、北大の植物園も体験していたことだ。昨年度までの2年間、札幌に住んでいた時、どれも「初めて」だと思って同じように体験した。記憶は薄れる、そして忘れる、といういい例。

やっぱり、その時感じたことを文章に残しておくのって面白いなあ。後になればなるほど、貴重な資料となる。当時の私は、まさか20年後にこうやって楽しめるなんて思わなかったはず。


そして、今書いているnoteの記事も、数年、何十年後に読んだら、きっと色々な発見があって面白いんだろうなと思う。その「いつか」のためにも、ちまちまではあるけれど、文章を書き続けていたいなあと改めて思った。


***


長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました♩

他の旅日記も、また機会があればデータに変換してみたいと思います。

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