無知の知

「今の自分の視点からは 見えない箇所
知らない情報  気づけていない部分や背景
それがあるかもしれない」

数日前に記したもの
ゲシュタルトのワークを受けたことのある
多くの方はそれがあったことを
ワークの最中に体感したのではないだろうか

角度だけではなく
表面上は自己の認識と相違なく見えていても
その向こうに広がる、奥行きや
高さと幅に含まれている事柄に
身体感覚を伴い気付かされるという経験

外界は変わっていないのに
自分が存在するその先に広がっているのは
一見これまでと同じ表面にみえるけど
明らかに異なる未知なる
世界が広がってる身体感覚

そんな時はいつもソクラテスを思い出す
無知の知は、かつての自己の矮小さと
世界の広大さを提示してくれる

また、もしかしたらこれまであえて
見ぬふりをしていたかもしれない自己欺瞞にも

そこに評価や自己否定は不要で
ただそのままの自分を見つめて
なでたり突き放したり罵倒したり
がっかりしたり否定したり泣き喚いたり
そのうちハグしたり
供にいること、自分の中にそれがあると
あるがままに受け止めることで
何かが変容していく

変容の逆説って心身ともに
身を挺した先にあるものだと感じてる


にわかにわかったつもりになるのは罪深い。
わからないものをわからないままとして
抱擁する、 そのままにしておく
見過ごされやすいけど大事
間を抱きしめて深呼吸した先に
浮かぶものがある

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?