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『普通じゃない』=気持ち悪い? 書籍「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んで

正直、私には生きていてわからないことが沢山ある。
みんなが当たり前にしていることがよくわからない、そんなことがよくある。

オリンピック開幕直前、日本では開会式に関わった方たちの過去の差別やいじめの話題でいっぱいになった。

私は正直言って、どこからが差別なのかわからない。そして、私の中にも間違いなくある差別をどうしたらなくせるのかも。

だから、この本を手にとった。ずっと読みたいなと思っていた本。

本のあらすじ

思春期を迎えた著者の息子さん(アイルランド×日本)の日常が描かれたこの本。
国籍や人種、貧困やジェンダーなど多様性が溢れた国で過ごすティーンが、戸惑いながらも成長していく様子が、日々のエピソードと共に語られている。

自国でも日本でも差別を受ける息子さん、お金持ちの家の移民の男の子や、ガタイはいいけど自分の性に悩む男の子、兄弟が多く経済的に苦しい家庭の子…それぞれのキャラクターの持つ背景や悩み。

EU離脱の間に揺れていた時期に書かれていたこともあり、よりこの国のもつ多様性が反映されていた様に感じる。

多様性の裏に潜む差別

この本を通してわかったことは、イギリスの教育もまだまだ手探りで、未だに差別があるのはもちろんのこと、生徒たちには戸惑いだってあるということ。

そして、差別を無くそうとするその社会の先で新たな差別が生まれるということ。

本の中のエピソードを紹介したい。
著者の息子さんの友達、移民でお金持ちの家庭の美形少年は人種差別発言が絶えず、周りのクラスメイトからいじめを受けているという話。

「いじめはダメです。PC=ポリティカリー・コレクト(男女・人種・人権など含め、差別がない公平な社会が基本であるとする考え)が正しい考え方です」

そう教えられて育った人たちの中では、そうでない人たちは「正しくない人」とされ、いくらバッシングをしてもいい対象とみなされてしまう。

「人はいじめるのが好きなんじゃなくて、罰するのが好きなんだ」

この台詞がじわりと心に響いた。

日本の社会でも近年では間違いを犯した人は徹底的にバッシングされ、社会的に再起できないようにしようという空気感が強いように感じる。
正しさと正義と差別といじめ。
私たちは、自ら生きづらい世の中を作り、自らの首を絞めている。

そんな気がしている。

差別が生まれる瞬間

差別というものは人種や国籍、性別など特定の属性に対して偏見を持つことの様だ、とこの本を読んで思った。

本の中で最初に出てくる話題はタイトル通り、人種差別。
私も、あまり自覚はないが当然イエロー。本の中には見知らぬ人から「ニーハオ」と言われ、激怒する著者の話が載っている。

一見同じような事柄が起こっても、そのシチュエーションや、相手の言い方、背景、その人の持つバックグラウンドによって捉え方は異なる。同じ発言をしても差別と取られる場合もあるし、そうでない場合もある。

私も同じ様な経験は何度もあるが「ちゃうで!ジャパニーズ!」くらいのノリで訂正することが多い。(私は海外へ行くとイエロー以前に子供として扱われるため、あまり人種差別を受けている認識がない)

だからと言って、著者の様な人に「気にするな!」なんてことを言おうとは思わない。本人が差別だと感じたなら、差別であることに間違いないし、アイデンティティを傷つけられたことに違いはないのだから。

壁のあちら側とこちら側

書籍の中では水泳大会の話で、私立校と公立校の間に確かにある壁の話が書かれている。プールサイドのあちらとこちら(私立校側と公立校側)には見えない壁があると。

社会には確かに様々な壁がある。
例えば未婚者である私が既婚者としてグルーピングされることはない。
あちら側とこちら側では違う世界が広がっており、既婚者には既婚者にしかわからないことが、未婚者には未婚者にしかわからないことがある。

人によっては所属しているグループに劣等感や優越感を持っている人もいる。この気持ちがまた、新たな差別や疎外感、そして壁を生む。

私は極力壁を取っ払いたいし、自分とは違う人のことを知りたいし、理解したいと思うけれど、例えば性同一性障害で悩んでいる人の孤独感を100%理解することは出来ないとも思っている。

『普通じゃない』は気持ち悪いのか?

この本を読んで思い出したエピソードがあるのでお話ししたい。
私は女子校に通っていたため、例に漏れずいわゆる"レズ"=同性愛者の子が高校のクラスにいた。

体育の授業で体育館へ向かう途中、友達の1人が彼女のことを「女子が好きなんだってー。気持ちわるー。変なのー」と噂を始めた。周りには私たちのグループしかおらず、彼女もそこにはいない。

なぜ気持ち悪いのかと聞くと「男女でカップルになるのが普通でしょ」と友達は答えた。

「その普通は長い歴史を通して人々によって、子孫を残し国を繁栄させるため作られてきたものであって、場合によっては同性カップルが良しとされて、異性のカップルが良しとされない世の中になっていたかもしれない。そしたら、異性のカップルが気持ち悪くなるの?」

そんな疑問を2人1組でストレッチをしながら私は友達にぶつけた。友達は「なるほどね、確かに!」と言ったのを今でも覚えている。

私は同性愛者の子と出席番号が前後だったので、掃除の時間は2人で過ごすことが多かったけれど気にすることはなかった。哲学的な話も出来る特別な友達だった。

しかし、仲が良かったから守ろうと思ったのではなく、単純に私にはわからなかった。普通じゃないことが気持ち悪いことも、これまで仲良くしていた人が突然気持ち悪くなる事も。
今思えば、みんな多感な時期だったのだと思う。

この時わかったのは、
普通とはマジョリティーであり、それ以外は普通じゃないに分類される。
マジョリティーが正であり、マイノリティーは正ではない。
マジョリティーは快であり、マイノリティーは不快である。

自分たちとは異なるものを嫌い、知らないものを恐れる。それを排除しようとするのもまた人間の本質だとしたら、マイノリティーは永遠に虐げられ続ける事になる。

今となってはLGBTQという言葉が一般的になり、そういう人たちも認められつつある。このことからマイノリティーも声をあげれば市民権を得られる事がわかった。

それでも、数年前に見たインスタの投稿を思い出し、彼女は今も尚、性同一性障害とその孤独さに悩んでいるんだろうなと思う。

いつ、どこで、誰に起こるかわからない

本の最後の章に環境保護に関するデモへの参加可否で感じる疎外感について書かれている。
学校の対応によってデモに参加できた子と参加できなかった子がいた。
優秀な学校は参加を許可、優秀でない学校は参加を許可されなかったというケースが多かったという。

ここで感じたのは、差別や疎外感というのはいつ、どこで、誰に起こるのかわからない。生まれ持った国籍や人種、ジェンダーから差別を受けることはないだろうと思われる人が、ある日、突然、差別の対象となることもある、という事。

そして、1番最初に紹介したエピソード、人種差別発言が絶えない美形少年の差別の裏には、移民という疎外感と時代錯誤な感覚を持った父親の影響が大きかったという背景がある。

差別をする側には、差別をする側の背景や事情があること。
事情があれば何を言ってもいい訳ではないけれども、子供なら親の影響を受けるのは当然で、大人でも周りの環境に大きく影響を受ける。

つまり、誰が、いつ、どこで、どんな風に、差別をして、差別を受けるかわからないという事。

人が人として生きる以上、差別はなくならないのかもしれない。
しかし、お互いにお互いの事情があることを理解すれば、少し違うのかなと私は思っている。

この話から思い出したのが、フジテレビのヤングシナリオコンテストで賞を受賞した作品。女心がわからない男性が、どうしたら女性を理解できるのかと奮闘するドラマ。
全ての人には事情があるということをストーリーを通して教えてくれる。面白い作品なのでぜひ読んでほしい。「男は背中を語る」↓

ブルーじゃなくてグリーン

1番最後に「最近はブルーじゃなくてグリーン」というセリフがある。
グリーンというのは、日本でいう「青」=未熟、成長中という意味。

思春期の子供たちは未熟で成長過程だからこそ、多様性の中でいろんな壁にぶつかったり、悩んだりするのだと。

差別に関することもまだまだグリーンなのだと思う。
日本だけでなく、他の国でも現在進行形で良くなっている最中。

私自身ももちろんグリーンで、恐らくいくつになっても私はずっとグリーンのままなのだと思う。
わからないことがたくさんあって、全てがわかることはない。

でも、私はグリーンのままでいいかな。今回は少し、差別についてわかったのだから。


ちなみにハーフの人のことは、ハーフではなくダブルと言うらしい。
ダブルって言ってあげよう。
こんな日は懐かしいGreenDayのMinorityを聴きながら。

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