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小さな、書店で。 shibuya。

ある書店に入る。そこには駅のホーム2ドア分くらいのスペースしかない面積に、所狭しと新書が並べられている。有名人の写真集、テレビ誌、映画誌、そして流行りの本。すべてが今年発行された本だ。何気なくぼうっと一通り眺め終わる。そうしてるうちに意識の中にアコースティックギターの音が流れ込んでくる。耳障りの良い、不快な素材が一切排除された自然界に存在しそうな音階。とても耳に心地がいい。その間も顔は上げず次々と本に目を泳がせている。しかしながら同時に頭の中では曲名が知りたくてSoundHoundを使おうかなどと考えていた。携帯をポケットから出そうか。いや、ここはもう、見たらすぐに出るし、やめよう。でも二階も一応見てから。そう思い直し、階段に目をやる。おじさんが椅子にだらんと腰かけていた。身体にはギターが預けられている。音の正体。その景色はわたしの方をちらりと見たが、その後は何事も無かったかのようにまた色を紡ぎだした。正直なところ、ここで実際の楽器が奏でられているとは思わなかった。艶のある音色。ふわりとした雲のような空間に時々雨の雫のごとく陰を落とす。あまりにも溶け込んでいた。電子機械で曲名を知ろうとしていた自分を恥じた。曲が格別に良いとか、音階やハーモニーが類を見ないほどのものであるとか、そのようなことよりも、此処に存在している奏者がこの空間と人々に合ったものを掬い上げているから心地よい、そんな感覚。こっぱずかしくて居たたまれなくなった私は二階で本を物色し始めた。自己啓発本、ハウツー本、映画化された文庫本。いや、正確には物色しているフリをした。というのも全く目が使い物ではなかったのだ。耳は完全にオレンジと緑の音色に奪われているのに目と身体は本を探している動作をしている。辛い。もっと、全神経を研ぎ澄まして聞いていたい。その中でもフッと私の目を引いたものがあった。「フランダースの犬」。あっ、そうだ。あれ。下巻しかない。ふと耳以外の全ての感覚がここに戻ってくる。気になってお店の人に尋ねてみた。「こちらの本の上巻はどこに置いてありますか」「申し訳ございません、既に売り切れてしまっていて」「あ、そうなんですね、ありがとうございます」おそらく、こんな会話だったろうと思う。この本屋に、私はこの本を買いに来たことを忘れていた。完全に。置かれていない、フランダースの犬の上巻。この空間のなかでひとり現実世界に戻ってきてしまっている私は、また階段を降りようとした。わたしはこの本を買いにきたというのに。そこに、先程のジブリの音楽を奏でいたおじさんが、やっと、網膜にしっかりと正面から投影された。きっと、この人はわたしのことを感じていた。ずっと。好きな人同士、お互いの動向を見て感じているのに、態度に出さない、むずがゆさ、のような。そんな歯がゆさを感じ続けながらわたしは二階に存在していた。途中で、このお客さんに会う曲を、と曲名を変えたり、演奏の仕方を変えたのをわたしは見落とさなかった、聞き落とさなかった。それが同時に、なんだか嬉しかった。だから、前をすれ違ったとき、にこりとして見せた。「ありがとう」。私なりの、お礼。本屋に来たのに、本ではない、何かしあわせな空間と栄養をたしかに吸い込んで、光の差すほうへ出た。ここは渋谷。目の前の次の捜索場であるTSUTAYAがくすんで見えた。




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