見出し画像

#11 Miss Rainy Moon

 こうして毎週 note を書くようになって、日本にいるとなんだかんだミュージシャンぽい生活しているなあとしみじみ。台湾にいると全然そんなことないから、我ながら「へぇー」っていうか、二拠点生活っていうか、二人格生活くらいの感じがする。日本の私は、金曜の夜に都内でライブをして、日曜、火曜はお昼から藤沢の海でミーティングをしている。企画段階から実行委員として関わっているイベント二つについて。どちらも、海でお昼を食べて、その後近くのカフェへ移動というパターン。みんなが藤沢まで来てくれてうれしい。その間台湾の私はどうしてるかというと、もちろん体は日本にあるので、ママにLINEでビデオ通話して、ママとおばが台北の家のテーブルで粟で漬けた肉(タイヤルの伝統食)を生で食べてる横で、おばの孫がハンバーガー食べているのを見ながら、ミーティングの差し入れの残りのキンパをいただいてきたのをつまんで、どうということない話をしている。母に電話をすると、私の声は大体自動的にスピーカーホンにされていて、母に話してるつもりでしゃべっていたら、おばがケラケラ笑うのが聞こえてきたりする。環山の親戚が漬けた豚肉が皿に並んでいる。ベランダではミニトマトが赤くなってきたのを鳥たちがつっつきにきていて、その鳥を捕まえてやろうと窓際でじっと愛之助が集中し、かまえている。

割れ目から咲く花がどうも好き。緑が蒸すように濃くなっている。

 
 小学生の時の私はどういう人だったのか、昨日、改めて人に話す機会があり、思い出していた。私は小さい時からずっと歌うことが大好きで、歌うときはほぼ必ず、踊りながら歌っていた。踊る時も歌いながら踊っていたから、歌うことと踊ることは、二つの異なる別のことというより、私にとって全体的に同じことだったんだと思う。小学校に入ってからも、音楽の時間、私は踊りながら歌っていた。台湾で日本人学校に通っていた一年生の時、自分が歌える歌の中で一番好きだった歌は校歌(「作曲:小林亜星」と書いてあった)で、もちろん校歌も踊りながら歌っていた。でも授業中に自分の席を離れてはいけないというルールがあるというのは心得ていたみたいで、踊りといっても、振り付けみたいな、机の前に座ったままの状態でも、みんなと横一列に並んで合唱する時でも、与えられたスペースの中でできる範囲のダンスをしていた。

 時々、あの頃の踊りながら歌っていた自分の心を、なんとなく思い出そうとしてみる。あの踊りながら歌っていた7歳の私と、今の私というのが、ずーっと連続して存在しているというのは、当然そういうことなんだけど、でもすごく不思議なことだ。台北日本人学校の小学校の教室で、一人だけ歌いながら踊っている女の子を思い浮かべて、あの女の子は、40年近く前の時間の一部を切り取るようにして存在する過去の一点の私というより、あの時から今まで、ずーっと私という身体の形をとったこの私の中にい続けていたし今もいるって、なんだかすごいことだな、と思う。今は何せ人前で歌う仕事をしてるので、あの女の子がずっとここにいたというと、そりゃそうだよねという感じもするけど、受験勉強してた10代後半の私とか、普通に結婚してみたいと思って頑張ってた20代前半の私とか、大学院に入って研究者になろうかと頑張ってみた20代後半の私とか、そういう時の私の中にも、あの女の子はずっといて、一度もいなくなったことはなかったんだと思うと、それは居心地が悪かっただろうなあ、と、かわいそうだったね、ごめんね、という気持ちになる。もう大丈夫。これからもよろしくね。


 歌いながら踊る人というと、うちにはそういう人がもう一人いて、おばあちゃんがそうだった。台湾原住民に馴染みのある人なら、「ああ、やっぱり原住民ってそうなんだ、生活の中に歌や踊りがあるんだ」と思うかもしれないけど、あくまで私の周りでいえば、そんなこともない。他のいろんな原住民族と比較してみて、タイヤルが民族として歌い継いできている曲の数は、抜群に少ない。アミとかプユマとかブヌン、パイワンの歌を聴いてると、羨ましくなってくる。タイヤルは踊りはよくするので有名だけど、踊りながら歌うということはほとんどしなくて、踊るときは大体みんな音源かけて踊ってるし、その音源というのもあんまりタイヤルとしてのこだわりというのはない感じで、私の小さい頃とか、タイヤルの部落の運動会なんかでも、「ナルワントイナナヤホー!」と、どう考えてもアミ族の人が歌ってる音源で、伝統的な豊かな音楽というより、ノリ重視でつくったな、という感じの、やたら元気でドンドコした曲で、それに合わせて、おばあちゃんが考えた振り付けで、おばあちゃんが考えたアミとタイヤルの中間みたいな衣装で、おばあちゃんを筆頭に、おばやら近所のおばさんたちやら、みんなでワイワイ踊っていた。

 おばあちゃんが歌いながら踊っていた曲で私が一番よく覚えているのは「雨降りお月さん」だ。台北の家のリビングで、おばあちゃんは私に「雨降りお月さん」の振り付けを教えてくれた。「あめふーりー」というところで、傘をさしているような手つきをして、「おーつきさーん」は盆踊りの月みたいに両腕で頭の上に大きな丸を作って、「くものーかーげー」も東京音頭の途中のところみたいに、片手を後ろにやって、もう片方で目の上のあたりにかざすような手つきをする。私は玄関ホールから廊下に続くスペースのところで、おばあちゃんの後ろについて、歌いながら、おばあちゃんの真似をして踊って、一緒に廊下を前に進んだ。少し憂いのあるメロディで、「お嫁に行くときゃ」とか、「ひとりで唐傘さして行く」とか、私も少し大人になったみたいで、歌いながら、踊りながら、私はとてもいい気分だった。「雨降りお月さん」みたいな日本の曲を踊るときは、おばあちゃんは花柄の生地を買ってきて、日本の着物を縫った。


 「雨降りお月さん」のことは、今から10年くらい前まで、長い間忘れていた。10年ちょっと前、私はジャズを歌い始めたばかりで、とても好きでよく聴いてた René Marie というシンガーのワークショップに申し込み、当時彼女が住んでたデンバーへ行った。ジャズの歌のこととか、ボーカル全般のこととか、そういうことを色々教えてもらうつもりで申し込んだのに、三日間あるワークショップの間、実践的なジャズボーカルやボイストレーニングのレッスンの類のものがまるで一切ない。彼女が特に時間をかけたのは、歌についての様々な記憶、特に自分が子どもの頃の歌についての記憶を、とにかくとにかくたどって書いていくという作業で、私たちは事前にメールで送られてきた René からの膨大な質問にあらかじめ返信するよう言われていた。質問だけでA4何ページもあるものすごい分量で、あれこれ思い出しながらその全部に答えを書いていくだけで、ものすごい時間がかかった。

 ワークショップ1日目、René は参加者全員分の回答を、誰が書いたものとは言わずに、ひとつひとつ最初から最後まで読み上げて、それをただただみんなで聞いた。私の答えももちろん読み上げられて、私が書いた「雨降りお月さん」のことも読み上げられた。
 「あなたが子どもの頃、踊りながら歌ったことはありますか?」
というような質問だったと思う。この質問の答えを書きながら、私はおばあちゃんと一緒に歌って踊った「雨降りお月さん」のことを、いつ以来だろう、本当に久しぶりに思い出していた。書き終わってから、うれしくなって、台湾にいる母に電話して、母と一緒にもう一度「雨降りお月さん」とおばあちゃんの踊り、おばあちゃんの歌を思い返した。やっと思い出せたその大好きな思い出を、 René の声を通してもう一度聞くことができて、しかもいろんな人たちと一緒に聞くことができて、どうしてそれがうれしいのか、わからないけどとにかくうれしい。
 次の質問には、
 「あなたが子どもの頃に踊りながら歌ったのは、なんという曲だったか覚えていますか?」
 と続いていた。René はその質問部分を読み上げた後、プリントアウトした私の回答用紙から目線を上げて、私たちの方を見た。雨降りお月さんって英語でなんて言うんだか。少し素敵で少しさびしそうで、子どもの頃の私が、あの歌を歌って、踊って、まるで自分も大人の女の人になったみたいにおばあちゃんの後ろをついていったあの気持ちが、伝わったらいいなと思いながら訳して書いた答えだった。
 "Miss Rainy Moon."
 私たちの方を見て、René の口元がにこっとした。

波の泡。


 先週金曜日のライブで歌った曲を並べてみます。KAMOSUと一緒に台湾の歌をうたった動画をSNSに載せたら、ママはじめ台湾原住民のお姉さま方がすごくよろこんで、続々とコメントをくれた。息子くらいの年齢の日本人男子たちが、自分たちの歌を声だして歌ってくれてるのって、もしかしてすごくうれしいのかな。KAMOSUとみんなで歌った台湾原住民の歌は以下3曲。

  1. ラライ(パイワン族民謡、日本語詞:KAMOSU)

  2. 石頭歌(アミ族民謡)

  3. 太巴塱之歌(アミ族民謡)

    私の三線弾き語りソロの部は、

  1. 那魯灣歡樂歌(アミ族民謡)

  2. 馬蘭姑娘〜からっ風(盧靜子/アミ族民謡、チャーリー高橋)

  3. Mudanin Kata(ブヌン族民謡)

  4. シキクンの月(Moonlight in Vermont)(曲:Karl Suessdorf、詞:明恵上人、Eri Liao、阿倍仲麻呂、赤染衛門他)

  5. やさしい社会(Eri Liao)

  6. Ima Lalu Su? (Eri Liao)

という構成。「やさしい社会」のクレジットは私だけでいいのか迷うけどまあいいか。ソロの部は自分的にほとんど新しいことばかりだったので、そのことはまた次回にでも書いてみようかな。でも今週は金曜日に久しぶりに御殿場へ行くからそのことを書きそうだな。御殿場は、去年、マイクロ・アート・ワーケーション(MAW)というしずおかアーツカウンシルの企画で、毎晩遅くまで皆さんと交流(飲み会)した後で何度も気絶しながらnoteを書いて必死で投稿するというという仕事をしたとっても思い出深い場所。今回はライブで。みんなに会いたい。御殿場で歌えるのがとってもうれしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?