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#16 ブロークン

 暑い。朝から30度。昼は35度くらいになって夜も30度。台北は盆地なので暑いし蒸している。台中に引っ越したいとこは、台中ではこんなことはない、と言うし、台南によく行く知り合いも台南は昼暑いけど夜涼しいと言うし、みんな台北は暑い暑いと言っているが、本格的に暑くなるのは「端午節を過ぎたら」だから、まだまだ慣らし運転だ。うちではまだ誰もクーラーをつけないので、なんとなく私もクーラーなしで過ごしてしまう。扇風機くらいがちょうどいい。やっぱり暑い国の人だったのか、私。しかし暑いよなあと思いながら外に出ると、誰かの家のガレージの屋根に茂っているクバキツが、朝日を浴びてキラキラと輝いてうれしそうに見える。日本語でタニワタリ、タイヤル語でクバキツ。その名前を知ってから、その辺によく生えてる草の一種としか今まで思ってなかったのに、ほらここ、ほらここ、と、どんどん目に入ってくるようになる。うちからエアリアルヨガのスタジオに向かう途中のちょっとした緑地(本当にちょっとした区画)も、メインは大きな樟樹だろうけど、地面はクバキツだらけだ。

 クバキツ、中国語では「山蘇」というのだと、さっき検索して知った。中国語はまだまだわからない。中国語でなんというのか、母に聞いてもわからないことが多い。台湾にいて中国語がわからないのかとびっくりされることも多いけど、普通に生活している分には家の中ではタイヤル語、外ではブロークンな中国語でやりくりできる。ブロークンな中国語しか話せない台湾人というのは必ずしも原住民だけではなく、南部に行けば、生活全て台湾語、中国語を話せない/話さないという台湾人もたくさんいるし、中国語しか話せない台湾人が南部へ行って、台湾語しか話せない現地の台湾人と全く会話できなかった、というのはよくある話で、自分の国の中で自分の言語を話しているまま異邦人になってしまう世界が台湾のあちらこちらにある。台湾に戻った20代の最初の頃、私の実家のある台北のエリアは中国語優位の場所だというのもあって、久しぶりに接する中国語の美しさにうっとりもしたし、私ももっと中国語を使えるようになってみたいわと思って勉強したりしたけど、今はそういう気持ちもほとんど消えた。別に自分がパーフェクトに言語を話せない状況でも全然いいや、と思ってしまう。言語というものを使って何かを精密に表現したいなら、もう日本語もあるしこれでいっかな。あとは自分に「歌」という言葉ができたことが大きいんだろう。20代の私にはまだ歌はカラオケしかなかった。

 台風が近付いていて、さっきからバラっと雨が突然降っては、また思いっきり晴れたりしている。家の中にも風が入って、通り抜けていき、気持ちいい。やっと少し涼しいので、暑さに弱い愛之助も元気復活、目玉を光らせしっぽを太くして、背中を丸めて、かくれんぼをしようと盛んに誘ってくる。また晴れたままバラバラ、時々ざあざあと、降ってきて、マンションの合間で鳥も盛んに鳴きはじめている。

 日本に戻る前にもう1度エアリアルヨガのクラスに出て行こうと思って予約したのに、クラスがキャンセルになってしまった。名前にヨガってついてるけど、ヨガっぽいこともあんまりなくて、高い天井から吊り下がったたっぷりした布を、うまく体に巻き付けながらバランスを取って上の方まで登って行ったり、ハンモックみたいにして休んだり、台湾でやっているせいか、先生の長い髪のまとめ方のせいか、エアリアルヨガというより、子どもの頃から見慣れている武俠片のワイヤーアクションみたいに見える。先生はクラスの前に、生姜の種類と夏の暑い時期にとるべき生姜(嫩薑)のことなど薬膳の知識を教えてくれたりして、ますますカンフー映画の準備みたいな気分が高まる。

 永康街と金華街の交差点にあるこのスタジオの場所は、昔確か長いこと洋服屋さんが2軒くらいあったところで、おばと母が色違いのおそろいのズボンを買ったりしていた。このへんは台北の人たちがよくご飯を食べたり買い物をしに来るエリアで、観光客も留学生も多い。お客が絶えない場所だから、ここに店を出したいテナントはいくらでもいるし、貸し主は更新のたびにどんどん賃料を上げるらしく、台湾に帰るたび、店が結構入れ替わっている。前はここは何の店だったか、考えても考えても思い出せないことも多いが、ここは信号のある交差点なので、横断歩道の前でいつも立ち止まって眺めている景色だから入ったことのないお店も覚えているし、忘れてしまったと思っても、母と話していると思い出してくる。今クバキツが生えている小さな緑地のところは、私が子どもの頃には麺だの水餃子だの出すような小さい古い食堂がいくつかあって、今は路易莎咖啡の小さなスタンドのある角には不一樣饅頭店があって、よく母と買いに行った。不一樣饅頭は今も移転した金山南路のお店に時々買いに行く。
 生まれてから今まで、ここに一体何回に立ったんだろう。ちょっとしたおつかい(烤鴨、皓雅、屈臣式など)でこの道を一日数回往復することもあるし、母と、おばと、おじいちゃんとおばあちゃんと、一人で、いとこ、親戚、友人、ちょっとした知り合い、これまでの人生、いろんな人といろんな組み合わせやシチュエーションで、ここに1分ほど立ち止まっては進んだり、走ってここを通り過ぎたり、子どもの頃にはここで遊び回ったりしてきたわけだけど、このエアリアルのスタジオに来てみて驚いたのは、人生で一番長い間立ち止まってきたかもしれないこの場所のことを、私はなんと全然知らなかったということだった。

 スタジオの2階の部屋はほとんどガラス張りになっていて、階段を上がると見慣れた景色がすぐに目に入ってくる、と思っていた。が、全然そうではない。この木も、この看板も、標識も、道の塗装も、信号も、シャッターも、ひとつひとつ、全部私はよく知っている。でも私はこの景色を知らない。見たことがない。この木がこんな木だったなんて、こんなふうに枝を広げて、こんなふうに枝と葉の間から青空がのぞいて、枝も葉も風に揺れて、標識はこんなふうに塗装が剥がれていて、豆乳屋の2階の上のところはこんなふうに室外機が並んでいて、コンクリートがしみていて、柵が錆びている。全部よく私の知っている場所のよく知っているものたちなのに、少し眺める位置が変わっただけで、みんな見たことのない表情でそこに並んで佇んでいる。同じように。私の知っているように。でも私が全く知らないふうに、揺れて、光って、汚れている。永康街の2階の天井から吊られた布に、私も腰や足を引っかけて、空中で逆さまになってみると、交差点の樟樹の緑が見える。2階より高く、道の向こうまで届きそうな枝の、その先の葉の、私の足の先の向こうに、揺れているのが見える。地面の私が、暑い日、信号が青になるまでいつもその陰で日光から隠れて休んでいる樟樹の、陰と木漏れ日になる前の、枝と葉と空の光が見える。

金華街と永康街の交差点。

 
 と、この辺まで書いて飛行機に乗って、飛行機の中で仕上げて羽田に着いたら投稿するつもりが、うっかり保存し忘れて消えて無くなってしまった。何を書いたんだっけ。

 昨日からまた日本の生活。朝から10月に出るCD用に撮影。台湾でいいかなと思って新しく揃えてきた衣装は、日本に来て広げてみると、なんだかどれも全然違うなという感じで、結局どれも使わなかった。藤沢駅を降りて改札を出ると、少し海のにおいがして、ああ、戻ってきたんだと思う。もう少し鵠沼の方まで来ると、海のにおいでもなく、なんの匂いなんだろう。花のようないい匂いがする。台湾から持ってきた荷物には全部愛之助の白い毛がついていて、母がきれいに洗濯してくれた服も全部台北の湿気のにおいがする。いつも台北の空港を降りた時に感じる、あの同じにおい。

 こちらに戻る前、おじに数年ぶりに会えた。用事があって新竹まで来ていたそうで、宜蘭に帰る前、台北の母のところに寄って一泊。おじと一緒にいとこも舅媽も来ていて、いとこは台北で1週間ほど仕事をしてから台中に戻る。私へのおみやげとして、おじと舅媽から四季タイヤル語のテキストを2冊。そして舅媽が自分で作ったビーズのピアスとお揃いのネックレス。大ぶり。舅媽はブヌン族で、手先が器用で、昔から色々自分で作るのがすごく上手な人だった。老眼になって最近はやめてしまって、昔作ったのがあった、と持ってきてくれた。リビングで、おじと舅媽といとこと、母と愛之助と私と。私はブロークンな中国語のまま、舅媽もブヌン訛りのブロークンな中国語とブロークンなタイヤル語、いとこは台北育ちの中国語。今このリビングをリードしているのは母とおじの四季タイヤル語だ。私とはタイヤル語と日本語と中国語を混ぜて話す母も、おじとはほとんどタイヤル語だけで話しているので、私といとこは時々取り残される。舅媽はもうタイヤルの家に嫁にきて長いので、二人の会話を理解してブロークンな中国語で返事をし、会話に加わる。それを聞いて私といとこは話の筋を理解したり、それでも取り残されたら、私たちは私たちで、30代と40代の、台北の街にも原住民の部落にもルーツがあり愛着がある女子たちがしたいような話をする。妊活のこと、近所の素敵なカバンを売っているお店のこと、そのお店の花蓮にあるアトリエのこと、アミのデザインのこと、都蘭のこと、近所のインディーズのCDを扱うお店のこと。ブロークンなまま、家族と話せば話すほど、私は自分がここに根をまた下ろし、それが受け入れられているのを感じる。まるで日本語が上手になればなるほど、日本語による日本語の文化と日本語の社会、日本語の人たちと「私」との間にある透明な膜が、どんどん見えるようになって、「私」がそこからぷりっと跳ね飛ばされていくのを感じるのと、同じ運動のオモテとウラのように。

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