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少女と悪魔2(短編・天使と悪魔シリーズ39話)

【天使のことが大好きすぎる悪魔と、彼に惹かれていく天使の、見た目BL小説群の39話目です。(これまでの話はマガジンをご参照ください)】

 その小さな手を途中で放り出さなかったのは、我ながら、ばかげていると思う。人間の少女を悪魔の手から救って、どうしようと言うのか。何の得にもならないどころか、下手をすれば悪魔たちの間でつまはじきにされるような、危険な行為だ。
『ご主人様……』
 時おり別宅として使用している一軒家の玄関で、出迎えてくれたコウモリが、困惑気に、俺と、俺の腕の中の少女とを見やる。走っている途中で体力の限界を迎えたダイアナを、抱えてきたのだった。本当なら魔法で移動したかったのだが、特異体質のダイアナを連れて行くことは出来ない。仕方なく、近場で拠点としている、この家へやって来たのだ。
「そんな声を出すなよ。俺が一番、俺自身に呆れているんだ」
『はい……』
 コウモリはぱたぱたと先導しながら、暗かった部屋に灯りを点してゆく。暫く使っていなかったので、部屋には寂しげな空気が流れていた。
「お兄さん」
「ああ、今、降ろしてやるよ」
 軽い体を床に立たせてやると、ダイアナはもじもじした。
「あ、あの……運んでくれて、ありがとう」
「今更それくらい、どうってことはない」
 ぎこちなく肯いて、ダイアナはゆっくりと部屋を見回した。
「なんか黒いお部屋って感じ……ここがお兄さんのお家なの? さっきもコウモリがいたけど、お兄さんのペットなの? あと、やっぱりお話してたでしょう」
 元気な子どもだ。俺はうんざりして、黒い天井から生えた豪勢なシャンデリアの、鈍い輝きを見つめる。
「ダイアナ、悪いが俺への質問は後にしてくれ。そんなことをしている場合じゃない。ここまでお前を運んでしまった以上、もう、俺はお前の処遇をどうにかするまで関わりきるしかなくなっちまった。だから、質問は俺がする」
 ダイアナは黒いソファに腰かけ、項垂れた。元気という訳でもなかったのだろう。心なしか、肩の辺りで揺れるツインテールまで、萎れた植物のようだ。
「……うん、分かった。お兄さんの質問に、答えるわ」
 ぽつりと、言葉が床に落ちる。俺はその正面の壁に寄りかかって、確認しなくてはならないことを整理した。まず、いち早く聞いておかなくてはいけないことが、ひとつある。
「ダイアナ。さっき入った警察署で、怖いお兄さんを見たと言ったが……そのお兄さんは、そこでお前に気が付いた様子だったか」
 ダイアナは首を振った。
「いいえ。受付の対応をしてくれた女の人の、後ろにちらっと見えたんだけど、あのお兄さんが私に気が付く前に、私、やっぱり大丈夫ですって言って飛び出して来たから」
「そうか」
 少しホッとした。あいつがダイアナに気が付かなかったということは、あちらでは、まだダイアナが警察署に顔を出すものと思って、待ち受けている可能性があるということだ。もちろん、受付の女性から話を聞いて事情を把握し、街中に使い魔を放った可能性もある。しかし何にせよ、俺がダイアナに関わっていることは、まだ知られていないだろう。そうであるなら、動きようがある。
「よし、じゃあ二つ目の質問。あの家で、何があった?」
 言葉を発するうちに少し活力を取り戻しかけていた少女の瞳に、再び陰が差した。こわばった口元を無理やり動かすようにして、少女は言葉を絞り出す。
「あの家は、私とパパママが住んでいるお家よ。パパママは外交のお仕事をしていて、つい最近、私を連れてこの国にやって来たの。今日も、私は学校と習い事を終えて家に帰って、少し早く帰って来たパパママと一緒に、お夕飯を食べていたんだけど」
 少女は、今にも泣きだしそうになるのを必死に堪えながら話した。夕食の席で、お手伝いさんが運んできた料理を食べた両親が突然苦しみだしたこと。自分はその食事を口にする前だったので、混乱しつつも助けを呼ぶためにその場を離れようとしたこと。救急車を呼ぶために電話を掛けようとしていたところを、見知らぬ人間に取り押さえられそうになり、慌てて窓から外へ出たが怖いお兄さんに追いかけられ、どうにか少し撒いたところで、俺とぶつかったこと。
「パパもママも、大丈夫かな……。お手伝いさんも、きっと何も知らないわ。あの怖いお兄さんが、人を使って、私たちを襲ったのよ」
 ダイアナの声が、肩が震えた。彼女は両親がまだ生きていると思っているようだが、恐らくその可能性は限りなく低いだろう。悪魔が仕事をするということは、全てを徹底するということだ。食べて苦しむような毒を使ったのであれば、それはもう、殺すつもりだったとしか思えない。人間を直接、死に至らしめるような魔法は、存在はするが、制約や準備が多く、俺たちはあまり好んで使わない。あの悪魔も同様だったのだろう。
 しかし、この少女は運がいい。
 普通、悪魔の仕事に巻き込まれて、逃げ出せる人間なんていない。例え毒で死ななかったとしても、その後に確実に襲われて、命を奪われていた筈なのだ。あの悪魔は「使えない使い魔が取り逃がして」と言っていたが、俺たちから見て魔力の低い使い魔でも、人間にとっては大きな脅威だ。こんな小さな少女が人型の使い魔たちの手をかいくぐれたのは、ひとえにその体質のお蔭だろう。魔法の一切が効かないということは、通用するのは単純な腕力・脚力のみ。だが、ただの人間相手に肉体強化の魔法など、普通は準備しておかない。大抵のことは幻術で何とかなるものなので、恐らく奴らは武器らしい武器も持っていなかったのだろう。だから、地の利も手伝って、ダイアナは逃げ切ることが出来たのだ。
「ダイアナ。両親は外交の仕事をしていたと言ったな」
「うん。なんか、国の偉い人と色んな交渉をするんだって。だから私、外国に住むのはこれで三回目よ」
 恐らくはそれが、彼らが襲われた理由だろう。悪魔は基本的に人間たちに悪徳を吹き込み、悪事に加担させ、その汚れた魂をご主人サマのもとに届ける。規模の大きな悪事を引き起こすのには、国同士の外交に干渉するのが、最も効率がいい。
「お兄さん。パパママは、大丈夫よね。生きてるわよね」
「さあ、俺には分からんね。無事だといいな」
 心にもないセリフを口にしながら、俺はこの後どうすべきか、考えを巡らした。あの悪魔たちの計画では、クラーク一家を殺害したあとで、どうするつもりだったのだろうか。幾つか考えられるシナリオはあるが、それは明日になってみないと、はっきりしない。
 俺は指を鳴らして、コウモリを呼んだ。シャンデリアの陰に留まっていたらしいコウモリは、さっと肩のあたりに飛んで来た。
『お呼びですか』
「ああ。小さなご客人に、お茶でも出して差し上げろ」
『……かしこまりました』
 コウモリは部屋を出て行き、ダイアナは興味津々といった様子でそれを見送っている。魔法でお茶を出してやってもよかったが、そんなことで無駄に力を消費したくはない。
「ねえ、お兄さん。そろそろ、私が質問してもいいんじゃない?」
「ん? あー、ああ。いいぜ」
 大体の事情は把握出来たので、俺は頷いてやった。ダイアナは先ほどよりは余程明るい顔つきになっている。
「お兄さん、コウモリと話せるの?」
「実は俺は悪魔でな。コウモリは、使役している使い魔の一種なんだよ」
 ダイアナはぽかんと口を開けて、暫くの間、声もなく俺を見つめた。愛しい天使を彷彿とさせる顔立ちがあどけない驚きに打たれている様子は、なかなかに興味深い。俺が真面目な顔で黙っていると、やがて最初のインパクトから解放されたらしいダイアナは、またも息せき切って質問を再開した。
「ねえ、それって本当? それならどうして、悪魔のお兄さんが私を助けてくれるの?」
 紅茶のポットとカップを運んで来たコウモリが、ぎょっとしたように俺を見た。まあ仕方ない、誤魔化しが効かない相手には下手な嘘をつくよりも、正直に話してしまった方が、結果的にはよいことが多いのだ。
「本当だよ。どうしてお前を助けたか、というとだな……お前の髪と目が、知り合いによく似ていたからってだけだ。お前は幸運だな」
 ダイアナは、またも目を丸くする。
「じゃ、じゃあ、私は助かっても、お兄さんに魂を持って行かれちゃうの? 私、敬虔なクリスチャンなんだけど」
「ああ、そうなのか。道理で、運んでいる最中、ちょっとピリピリすると思った」
 ダイアナは少し笑ったが、そこは気になっているのだろう、すぐに真剣な顔になった。
「答えて、お願い。私、パパママの無事が知りたいし、またあの家で暮らしたい。やりたいことも沢山あるから、命を狙われたりしないで生きて行きたい。でも、そのために魂を悪魔に渡さないといけないのだとしたら、……ちょっと考えなきゃ」
 魂を悪魔に渡すという重大ごとに対して、「ちょっと考えなきゃ」で済むのが子どもらしい。俺は笑いそうになったが、茶化してよいことと悪いことがある。相手の調子に合わせて答えた。
「そういうことになるかどうか、俺にもまだ分からない。だが、基本的には、子どもの魂はいただかないことにしている。重みに欠けるんだ」
 子どものうちからその心を掌中に収め、長じて十分な重みのある魂を宿すに至るまで、丁寧に黒に染めあげていくという方法も、あるにはあるが、俺はそんな手間のかかることはしない。酔狂な連中は、趣味として楽しんでいるらしいが。
 俺の言葉を完全に理解したのかそうでないのかは分からないが、ダイアナは「ふうん」と頷いた。
「でも、お兄さんみたいなカッコいい悪魔に貰われるんなら、別にいいかも」
「おいおい、滅多なことを言うもんじゃないぜ。悪魔に魂を渡すというのは、その後の人生を自分のものとして生きることを放棄するようなもんだ。俺は悪魔だが、お勧めはしない」
 俺がそう言うと、ダイアナは面白そうにコロコロと笑った。その細い指先を胸の前で合わせて、体を揺すった。
「お兄さん、面白い。悪魔なのに、そんなこと」
 ひとしきり笑った後で、少女は眠たげに目をこすった。時計の針はまだ深夜を示してもいないが、ダイアナはまだ年端もいかない上、精神的にも肉体的にも疲れ切っているのだろう。緊張の連続が続いて、今、その糸が切れたのだ。
「今晩は、空いてる部屋のベッドで眠るといい。コウモリに案内してもらえ」
「……うん。ありがとう、悪魔のお兄さん」
 ふらふらと部屋を出て行くダイアナは、出がけにちょっと振り返って、眠そうに微笑んだ。
「おやすみなさい」
「おやすみ、ダイアナ。ゆっくり眠れよ」
 扉が閉まる。残されたカップを確認して、俺はほっと息をついた。睡眠薬をたっぷり入れておいたから、ダイアナはきっと、存分に眠れることだろう。

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