見出し画像

ロウバイ(誕生花ss)

 雪の降りしきる中、ひたすらに歩いている。目に入るものは全て雪に覆われ、秋までは辿ることの出来た獣道も、木に付けた印も、全て見えなくなっている。日暮れまでには隣村に着かなくてはいけないのに、今、自分がどこにいるのかすら分からない。ろくな防寒具も持っていないから、手拭いを巻きつけただけの頭と耳と、手指の先がじんじんと痛い。でも、痛いうちはまだ良い。何も感じなくなった時が、おしまいだ。
 ぼろ家に一人、寝床で高熱にうなされる妹のことを思い起こして、また一歩、雪に足を突っ込む。隣村の名医だけが頼りなのだ。
 しかし……。
 寒さが度を越している。足先は既に感覚を失っているし、歯の根が合わなくなってきた。吐息が鼻先で凍りつき、さらに体温を奪っていくのが分かる。全身が軋むようで、うまく動かない。歩くどころではない、倒れてしまいそうだ。
 昔、母の背で聴いた子守唄が頭に鳴り始めたその時、微かな香りを感じて、我に返った。
 ……甘い……、花の香り。
 いつの間にか雪の上に膝を突きかけていたことに気がつき、慌てて身体を起こすと、目の前に綺麗な女の子が立っていた。おかっぱ頭に黄色い着物、赤い鼻緒の草履。こんな真冬に、山の中を歩くような格好ではない。
「き、君は……どこから」
 ぼくの質問には答えず、女の子は右を指差した。ぼくが向かおうとしていたのとは逸れる方向だ。
「もしかして、……隣村は、そっちなの」
 女の子は無言で頷き、静かに歩き出した。なぜだか信じられる気がして、ぼくはその後をついて行くことにした。女の子は雪の上を滑るように歩き、足跡すら残さない。その黒髪が揺れるたび、かぐわしい花の香りが漂い、寒さに遠のきかける意識を呼び戻してくれた。
 やがて、隣村の家々が見えてきた。あとは、それほど雪に隠れていない林道を通って行けば、着くことが出来る筈だ。
「ありがとう、君のお陰……」
 言いながら振り向き見れば、もう女の子はいなかった。ただ、雪の上に、小さな、透き通った黄色い花びらが落ちているのみだった。


 花言葉「慈愛」「先導」。

いただいたサポートは、私の血となり肉となるでしょう。