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映画「Pure Japanese」~届けられた日本へのラブレター

2022年1月28日 映画「Pure Japanese」が全国公開されました。
多くの情報や思想に満ち、Dean Fujiokaさんらしい攻めた内容だと思いましたが、1度では消化しきれず 何回か作品を観て、コメンタリー上映を聞いてから、Edo Wonderland日光江戸村(写真)と日光大室たかお神社を訪れました。
そのうちに、このままでは消えてしまう日本の伝統文化の美しさと、現代の日本社会のあやうさを、両輪で描くこの作品は、企画・プロデュース・主演を務めたDean Fujiokaさんの「日本へのラブレター」ではないかと、ふと思いました。

少なくとも私は、この時点(2022年2月21日)で Pure Japanese を12回 映画館で観させて頂いていますが、この作品によって日本独自の有形無形を含めた伝統文化への敬愛、日本を愛するがゆえに現代の社会問題から「日本を心配しているよ」との思いを受け取りました。

【目次】
1 日本の伝統文化の美しさを見直す
2 社会のあやうさも発信する
3 そして世界へ


【1 日本の伝統文化の美しさを見直す】

●神社
立石は毎朝神社の奉納舞台で非科学的トレーニングを行っています。おそらくアユミの祖父である高田隆三さんも、毎朝の日課として神社を参拝しているようです。
日本人は宗教による縛りが比較的少ないと言われるなかで、神社を生活の中に組み込んでいる2人の出会いは印象的です。
「越えないこと」のほうが難しい立石は、言葉も態度もとても礼儀正しい人物に描かれています。この態度は日本語人が好む日本人像として描かれているように思えますが、日本文化に傾倒する立石を、隆三さんは「人を殺せるだけの狂気が見える」と言い当てています。
「顔は微笑んでいるけれど、心では何を考えているかわからない」とは、外国人からの日本人の印象としてよく言われています。
立石の持つ二面性は そんな日本人を象徴しているかのようです。
実際に舞台となった、日光大室たかお神社を参拝すると、自然豊かなこの場所に確かに神さまが居て、守られている、という不思議な感覚に包まれました。
ちなみに日光東照宮をはじめ、日光の社寺はユネスコの世界遺産になっています。

●Edo Wonderland 日光江戸村
日光江戸村の上に Edo Wonderlandという名前が付いたのを、私は今回まで知りませんでした。
映画の中では日常的な現代劇だけれども、非日常をも演出する江戸村。
なんの躊躇いもなく没入できる、この映画の舞台装置としては最適だったと思います。
訪れて驚いたのは、完璧に江戸人にコスプレしたお店の方々が「江戸ことば」で話かけてくる事でした。
日常でたまに耳にする方言と全然違う江戸弁の力は、実はコスプレよりも遥かに江戸へのトリップを充実させる事を実感し、日本語OSから江戸弁OSへと、ここでも勤勉に働いている言語OSの力に感動をおぼえるほどでした。
また手裏剣道場や弓矢の矢場、手焼きせんべい店などは、江戸村の店内をそのまま使う事で日本文化の楽しい側面を発信し、映画の中では緊張がほぐれて少しホッとするシーンとして描かれていました。

●忍者
ハリウッド帰りの立石は、過去のトラウマから逃れることができず、忍者ショーでは不遇な扱いを受けています。タイミングを合わせる事ができず協調性のない立石は、舞台を降りても孤独な忍者に見えました。
実は日光江戸村の忍者ショーは、英語のモノローグで始まります。
忍者として生きる以上、忍者を辞めることができない使命の重さ(忍者を辞める事は死を意味する)、華麗な忍者アクション、そしてミステリアスな存在感に、立石の姿が重なったのは言うまでもありません。
そして、立石が陣内と対峙する最後、忍者の機敏さがパワーの格闘に勝った、あの驚きと感動を忘れることができません。

●アクションの様式美
「Pure Japanese」は「バイオレンス・アクション・ムービー」とうたっているくらい、もちろんアクションの素晴らしさがありますが、ハリウッド映画とは全然違う特異な様式美がこの映画のアクションにはあります。
まずは1人1人順番にかかってくる。みんなで一斉に立石にかかれば絶対にやっつけられるし、たぶん早いのに、1人ずつ行儀よくかかってくる。しかも役職の下のほうから。これが1つの様式美。
もう1つの様式美は武器の使い方。
武器を操る立石の動きの緩急が、1つの舞踊のように美しい。
それは落とした刀を拾う前にヘルメット1つ持って戦う時も、忍者の手裏剣や苦無(くない)を扱う時も、日本刀でのダイナミックな動きの時も、多かれ少なかれ呼吸のような緩急がつき、映像と共にユーザー(観客)を魅了するリズムを作っています。
陣内は動きの「間」が美しい。
格闘の合間合間に服を脱ぎ首をゆっくりと回す。
忍者と格闘技の融合が想像を遥かに超えて、こんなに魅力的だとは驚きでした。

●線香花火
線香花火は「儚さ」の象徴。
日本以外の国の人たちはどうなのかわかりませんが、日本語人は、桜の花のような儚さを愛する、儚さに情緒を感じる人々なのではないでしょうか。
劇中に出てくる童謡「Row,row,row your boat…」の英語歌詞は「Life is but a dream」=「人生はただの儚い夢」で終わるのが象徴的です。
立石の最後のモノローグで、「火が指まで登ってきて熱い思い」をしたのは、「これは私たちの文化であり 私たちの一部だ」と、母親から受け継いだ日本独特の「儚さを愛する」文化を身をもって(火傷を負うことで)体験したことによって、日本人としてのアイデンティが芽生えた瞬間だったのではないのでしょうか?

【2 社会の分断がもたらす将来のあやうさも発信する】


●地方格差
高校生のアユミは年齢をごまかしてパブで働いていて、卒業したら東京へ行こうとしています。
政治家の黒崎は「働く場所がないからここ(パブ)で働かなきゃならない」「外から経済を引っ張ってこないと、この村は成り立たない」と、中国人ブローカーに土地を売って温泉施設を作ることに積極的。
これは現代の日本で実際に起きていることの一例で、一見悪人に見えない黒崎のような政治家はリアルです。
富と権利をちらつかせて市民をもてなし票を集める政治家。
目先の短絡的な利益追求が、国力を弱めていくのを見ているかのようです。
国のSDGs、国のサステナビリティを高めるにはこれからどうする?そんな事を考えさせられました。

●いじめ
小学生の立石少年の思い出。3人のいじめっ子(大抵は普通の子)が、英語の歌をからかったり、立石少年の体を押さえつけて、鏡で太陽を反射させ顔に当てようとしていました。
目に入れば失明してしまう恐れもあるのに、遊び半分で楽しんでいるように見える陰湿ないじめ。
「子供なのに」とは言えません。「子供だからこそ」の容赦ない残酷さ。
「日本人なら証拠を見せてみろ」「日本人でも外国人でもないんだ」ひどい言葉をぶつけられて、心の行き場がなく日々過ごしている。立石に限らずこんな子供たちは、きっと日本のどこかにいる、そう思うと心が痛みますますが、そのような事も炙り出される鏡のような映画、それが「Pure Japanese」なのです。

●政治家とヤクザ
二世議員の黒崎と長山組を率いる陣内が実は不良仲間だったというバックグラウンドを、プロデューサーの小川真司氏がTwitterで見せて下さったプレスで知って、私は目から鱗の落ちる思いでした。田舎の狭い世界に狭い人間関係。
「出れねーんなら、入ってくるんじゃねーよ」
忍者ショーの舞台に迷いこんだ鳥へ向けて 二宮の放つ印象的な台詞。
立石もアユミも、外から閉鎖的な社会に入っていくのは並大抵ではなかったはずです。
僭越ながら、おそらく海外で仕事をしてから日本でも仕事をするようになった Dean Fujioka さんも同じ思いだったのではと想像できます。
そして象徴的な迷い鳥のように、出て行くことにも不自由。
それは立石とアユミの不自由さをも表しているようです。
江戸村が地域の支えで成り立っているので、黒崎の事務所を破壊した事がきっかけで立石は仕事を失いますが、この根深い構造が根底にあれば致し方なかった事のように思えます。

【3 そして世界へ】

「そもそも日本人の定義は何なのか。純粋な100%の日本人はない。日本人の定義はなく、日本人は日本語をOSとする集合体である」これを初めて聞いた時、「確かに!その通り!」そう思いました。言語によってクローズアップされる部分が違うから、国民性も当然 影響を受ける。
その通りなのに、学校でも会社でも家庭でも話題になった経験はなく、今まで考えてみたこともなかった事でした。

日本語は「閉じた」文化で、日本語人の考え方はどちらかと言うと内向きかもしれません。知る必要のない事は知らなくていい…。島国、井の中の蛙で幸せ、という考え方もあるくらいです。

でもこの映画で、英語ではなく日本語人のOSを使って、世界へ発信する価値は充分にあると思うのです。

日本の伝統美を見直して、美しさを再発見する事。持続可能な方法を考える事。
そして日本の今の現在地、このままでいいの?これから大丈夫なの?という問題提議…。

これら「気づき」のプレゼントは、海外でキャリアを築かれたDeanさんの、日本語人へのラブレターかもしれません。
また、この作品は 世界中の人へのプレゼントとも言えます。
忍者、JK、アイコニックな日本、そして礼儀正しいけれど何を考えているかわからない ミステリアスな日本人。
もちろん 日本を全く知らなくても日本人を1人も知らなくても きっと色々な角度から魅力を感じられる。
この作品を世界の人たちと分かち合いたい!たぶんその日は遠くないでしょう。

日本から世界へ、どんどん広がっていく思考の世界…。日本国内でも 思考停止はもうやめて 思考する事を楽しみたい。
そんな頼もしさと期待を込めて「Pure Japanese」が世界へ広がるムーブメントへ繋がる事を願っています。
そしてその為に自分が何ができるかを考えて、行動していきたいと思っています。
(完)

追伸: 2022年7月17日 Pure Japanese はAmazon Primeで世界配信が始まりました。おめでとうございます!