ヨギーニだった母

 今日の裏メニュー、食べ物についての座談会を聞いて思った事を書くのにあたって、親、とくに若い頃の母の話をしようかと。
 わたしの親はちょっと変わっているなと思い始めたのは小学生の中学年くらい。
 まず、食についての拘りがかなりあった。お友達の家にはたくさん市販のお菓子が常備してあったのにうちには無かった。あるとしたら気を抜いたら歯を持ってかれるくらい硬いお煎餅(その名も集中力せんべい)、たまご煎餅、玄米煎餅、つくねと言う甘いお菓子がいつものレパートリー。これらは都市生活と言うこだわり食材を扱う生協から注文していた。
 私はお小遣いで角にあった酒屋さんでこっそり湖池屋のスコーンを買ったり、友達と駄菓子屋に行っては市販のお菓子欲を満たしていた。
 ご飯はいつも黄色かった。玄米の茶色じゃなく、田舎から送られてくる減農薬の胚芽米だった。学校の遠足で飯盒炊爨をするのに各家庭1合ずつ洗い米を持ってくるよう言われた際に、同級生の仲良し家族から白米を分けてもらった記憶がある。それくらい買えばいいのに。みんな白いお米なのに娘だけ黄色っぽい胚芽米じゃ浮くと思ったのかな。
 玄米菜食と言う訳ではなく、肉も魚も食卓には出た。子育て真っ盛り、牛乳神話が全盛期だったのもあり、低温殺菌牛乳は毎週何リットルと注文していたと思う。
 洗剤は石鹸シャンプー、石鹸洗剤。化粧は基本的にしない(参観日とか入学式卒業式はする)。経皮吸収に気を使い、マニュキュアなんてしてるのを見た事が無いし、ヘアスタイリング剤はもちろん毛染めもしない、パーマもあてないから、いつも婆婆臭くておしゃれじゃ無いなと思っていた。
 宗教活動にも熱心で、いっときはビラ配ったりインターホン押してまさに勧誘活動(!)にも勤しんでいた。それくらい何か突き動かされるモノが母にはあったんだろう。
 今で言うスピリチュアルな話は日常的にあったし、お仏壇には毎晩家族と同じご飯をお供えしていた。人気のおかずはお下げした後、子供達で取り合いした。ただ、お下げした食べ物にはもう栄養は無いんだよ、と言う。カロリー的な話では無く、エネルギー的な話で。
 霊的な話、生まれ変わりの話、要は見えない世界の話をよくされた。
 そんな話をどうやらよそではしていないらしい、と察してからは友達とこの手の話をした事がないし、むしろ隠していた。そして私は小さく抵抗していった。親から(厳密には神様から)与えられた身体に傷をつけるなんてダメだと言われていたけど高校生の時、しれーっとピアスを開けた。また、堕胎は人殺しと同じだから、責任が持てるまでそう言う事はしてはいけないと肝に銘じられていた。例え学生でも妊娠したら産まなくちゃいけないと言う言いつけはなかなかハードな事、おかげで私は十分に気をつけた。
レイプや病気なんかのどうしようもない場合を除いて、分かっていたくせに、遊び半分、結婚前にみっともないから、とかまだ結婚するつもりがないから、とかの理由で子供を堕す人は言葉はキツいけど、信用出来ない。多分親によるこの教え、強烈な呪縛があったからだと思う。あと自殺についても大罪だと教えられた。
 環境に関しても感度が高く、子供4人とも基本的に布オムツで、生ゴミは干して水分減らしてから捨てたり、油汚れは一度使ったチリ紙で徹底的に拭き取ってから洗うし、(洗剤のいらないアクリルタワシで)ただ捨てるだけの行為にもワンクッション置くので、ベランダに謎の干からびた野菜クズがあったりと思春期の私はさっさと捨てい、とイライラしたりもした。とにかくモノを捨てられないのだ。
 父はそれに反対するでも無く、かと言って協力的と言う訳でも無く。ただ、父も父で、宇宙の話だとか目の前にあるものはあるようで無いんだ(空即是色、色即是空的な)とか子供の私にも対等に話をしてくれた。自分が親になって分かったのは、母のしてくれていた事は決して容易ではなく全ては子供家族の為にしてくれていた事だった。今となっては感謝している。人の生死観のようなものも幼少期に作られていくそうなので、こう言う考えの親の元に産まれて良かったなと大人になってからは思うようになった。
 
 ヨガをしている人たちはやっぱり全てにおいて意識高めの方が多くて、そう言う人達に囲まれていると、私のこの過去の話もさして特殊じゃ無い気がして話しやすくなった。宗教だとか環境問題だとか、関心の無い家庭はほんとに無いから。私の周りにはそう言う人が多かった印象だけど、もしかしたら私と同じように隠していただけ、話さなかっただけで、信心深い子もいたかもしれない。
 そもそも日本で子供同士で神様だとか宗教の話をする文化が無いから仕方のない事かもしれない。旦那は宗教は違えど神の存在、死後の世界観はある人なので、その辺は良かったかなと思う。

 そして、今回の座談会の大きなテーマにベジー、ヴィーガンに移行した方がいいのかどうかって話だけど、今のところ心からなりたいと思わない。家族との調和も大事だし、何より食べたいが勝るので、ならないと思う。何事も程度問題、貪らず、適度に有難く頂こうと思う。



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