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これからの彼女の日本語

一昨年と昨年に続き、この夏も
娘は日本の小学校で体験入学をした。
5日間通うはずだったが
初日は喉が痛いというので休ませ
念の為病院に行った。

ただの風邪ということで
翌日から元気で参加することができた。

通学班で並んで登校することも
給食や掃除を皆ですることも経験済みなので
初めの頃のような感動はないものの
クラスメイトたちとの再会は
やはり嬉しかったようだ。

今年になって
近くの学校と合併され、
古かった校舎は
新築のようにピカピカになっていた。
去年まで20人を切っていたクラスは
30人に増えていたそうだ。

さて今年は小学校6年生、
体験入学も最後となった。

日常会話は難なくこなす
バイリンガルの娘であるが、
6年生の授業はやはり難しかったという。

算数はだいたいわかった
天皇制度を説明していた社会は
知らないことだらけだったが面白かった
プールは楽しい
音楽ではリコーダー演奏のピアノ伴奏をさせてもらった
と喜んでいたが

国語や理科などはちんぷんかんぷん、
もうさっぱり解らなかったそうだ。
わからないまま
黒板に書いてあることを辿々しい字で
ノートに写していたというのだから
楽しくはなかっただろう。

初日に挨拶に行くと、美しい部屋が見えた
 

文章を読みながら
それぞれの言葉を整理して
全体の意味を理解する

という普段何気なく行っている脳の一連の動きが
日本語ではスムーズにいかない。
ましてや書くことはものすごく難しい。
漢字は苦手意識が強くなってしまった。
せっかく覚えても少し怠れば忘れてしまう。

フランス語の読書や作文が大好きな娘にとって
日本語でのそれとのギャップは
だんだん大きくなるばかりだ。

日本で暮らしていないのだから
日本の文字に触れる機会を作らなければ
慣れることはない。
難しいのは当たり前だ。
それなのに
ピアノの練習時間が増えるにつれて
日本語学習を手放してしまったのは事実だ。
詰め込みは可哀想、などと言い訳をして
一緒に勉強することを諦めたのは親の私だ。

フランス語でも英語でも
常に苦労している我が身を振り返る。

私は在仏20年を過ぎて
日本語の本が手に入らなくなったコロナ期に
やっと仏語や英語を
日常的に読むようになった。
生徒さんのノートは毎日手で書き込むので
書くことには慣れている。
スペルがどうだったっけと思うのは
漢字を忘れるのと同じこと、
調べれば良いだけのこと。

読書は好きだが
難しい書類を読むのは今でも大の苦手だ。
それでも要は慣れだし
わからないと思っていたことが原語でわかる喜びは
母国語を読むのとはまた違う深い喜びもある。

将来を考えると
今の娘に日本の学校教育をする必要は
多分もうないだろう。
スマートフォンで翻訳も簡単にできる時代だ。
しかし例えば大人になって
日本に来た時
一人で移動をしたり
他者とコミュニケーションを取ったりと
いろいろなことをスムーズにする力はつけて欲しい。

来年の目的は毎日の日本語読書。
簡単な日記や手紙を書くのも良いかもしれない。
私が子供の頃に好きだった本を
一緒に読んでは
興味をそそっている。





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