私と家族と食卓と〜#7 おせち

新年あけましておめでとうございます。

残念ながら年が変わってもコロナはこの世界からいなくなっておらず、それどころか変異種まで出現してしまった。
私の住む東京を含む首都圏では再び緊急事態宣言も出されることになり、飲食店への規制を強めるとのこと。
私のまわりにも飲食店をしている友人もいるし、大好きな店が東京にも地元関西にもたくさんある。
明日はどうなるのかと不安な気持ちに押しつぶさせそうなことかと思う。
私も例外ではなく、フリーランスとしての仕事の不安もあるし、シングルマザーとして私が罹患したら息子はどうするのか、去年よりももっと具体的な策を打たねばいけないと気ばかり焦っているが、これ以上思い浮かばずに途方に暮れそうになる。

年末の帰省も諦めて息子と二人、東京で「静かな正月」を迎えた。
父の体調が気になり今すぐにでも会いに行きたいが、だからこそ会わない選択をした。
その選択は正しいかどうかはわからない。
私ももういい年をした大人だけども、父と母が心配で、そして私自信も不安でもう何度も何度も二人の夢を見た。初夢もそうだった。

帰れなかったお正月にはおせち料理を作った。二人分だけど形だけでもと準備している内にあれもこれもとなって、結局誰か呼んで宴会ができそうなくらいの量を作った。でもそれはもちろん叶わない。

おせちにはお存じのようにいわれがある。
昆布は「よろこんぶ」、鯛は「めでたい」。
ちょいちょい出てくるダジャレには、どこのおっさんが言い出したんやと突っ込みたくなるけど、食べるたびにその意味を思い、「たけのこの穂先は息子に!」「黒豆も食べるんやで!」とひとつずつ食べる。

昔の家は大抵そうだっただろうが、うちの母も年の瀬は黒豆を炊いたり、ごまめを作ったり、たっぷりの煮しめを炊いた。
祖母がいた頃は年末年始は一人暮らしの大阪の守口からやってくるので、直伝のこんにゃく入りの黒豆や、仕上げに白砂糖をこれでもかとまぶすごまめを母と作って用意した(祖母はだいたい30日の夕方に来て作らない)。
これがどちらも味が苦手だったが、祖母の田舎の作り方だったのだろうか。おばあちゃんには申し訳ないけど、今はたれに絡める一般的なごまめを私は作っていて、息子のおせちの中の一番の好物だ。
黒豆にこんにゃくも入れない。

子供の頃には切り込みを長く入れすぎていくつもちぎってしまった手綱こんにゃくも、芽を折ってしまわないようにと緊張しながら丁寧に皮をむいたくわいも、大人になって、そして料理家になった今は上手にできる。
今年は入れ忘れたふきの筋を取るのは好きだったが、どこまで取ったかエンドレスになってすごく細くしてしまったり、かまぼこやハムを食べながら切っている内にどんどんお重に入れる量が減ったりしたが、母はそんなことで怒ったり、叱ったりはしなかった。
ひらがなの「か」が上手に書けなくてオレンジの絨毯の上で正座をして何度も練習させられたり、何だったかつまらない嘘をついて玄関の外に出されたりと、母は厳しかったが、ほとんどのことは自由にさせてくれた。
ピーナッツを小さなナイフで細かく切って油を抽出したみたり(笑)、みかんの皮を細かくして干してみたりしても(陳皮やん)、注意なんかせずに「すごいね!」と褒めてくれた。

私は息子に怒ってばかりいる。
あれはしたのか、これをしなさい、と口うるさい。
口うるさくして反省したあとに、妙に自由にさせてみたりと、その自由にも不自由さがある。

母とのおせち作りを思い出して、今回息子にはお重を布巾で乾拭きしてもらったり、ハムを切ってお重に詰めてもらったりした。
また口出しをしそうになったが、ハムが分厚かろうとなんだろうと大した問題ではない。
私なんてずっとつまみ食いしながら手伝っていたじゃないか。

帰れないお正月に、子供のころのお正月を思い出し、そして息子とのお正月を過ごした。

おせち


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