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ヘモグロビン値が6g/dl以下だった中学時代とわたしが管理栄養士になった理由
はじめての投稿です。
本当は自己紹介的なものを書こうと思っていたのですが、instagramに投稿しようと思っていた内容が随分と長くなってしまったのでこちらに投稿しようと思います。
タイトルの数値、陸上経験者やランナーならピンとくる数値なんじゃないかなと思います。
自分の過去のはなしを書くのはこわいし苦手なのですが、思い立ったので書きます_✍
わたしは小学生の頃から走るのが得意な方で小6のときに全国大会に行った。
中学生の頃も駅伝で3年連続全中に行った。
トラックでも県ではだいたいトップ3には入っていたし、都道府県対抗駅伝の代表にも2年連続選ばれた。
けど高校生の頃は自己ベストどころか、まともな状態で試合を走ったことすらないし、はやく引退したくて堪らなかった。
大好きだった陸上も嫌いになって、競技場に行くのが怖くなった。(大会に行くのが嫌すぎて友だちに泣きながら電話したこともある🧍♀️)
わたしが通っていた中学校は公立だったけど、県内では駅伝の強豪校でわたしが入学した時点で2年連続全中駅伝に出場していた。
(あの全中でノロウイルスになった学校。笑)
練習の量・質ともに小学校のときの比じゃない内容になったけどすんなり練習に適応できたし、入学して1ヶ月で1500mで自己ベストを約20秒更新する5分ジャストで走れた。(成長期あるある👧)
だけど入学して2ヶ月が経とうとする頃になると、文字通り【ぱったり】と走れなくなった。
最初の違和感は『いつもの設定なのにインターバルがぜんぜんできない』だった。
次第にJogが苦しい、階段を歩いて登るのが辛い、授業中に起きていられないっていう症状が出てきて、走っててもとにかく眠くてJogしながら寝ていたくらいに(これ、慣れるとできるんです)毎日眠たかった。
そんななか、顧問の勧めではじめて血液検査を受けた。
ヘモグロビン値は6.0g/dlを切っていた。
フェリチンもほぼスッカラカンの状態だった。
それから中学3年間、毎日鉄剤を飲んだ。
毎日鉄のサプリメントを飲んだ。
毎週病院に行って鉄剤の静脈投与をした。
(※鉄剤の静脈投与は現在は禁止されています。)
鉄以外にも魚のサプリやらクレアチンやら疲れがとれるお茶やらを部活で支給されて、とにかくサプリメント漬けの毎日だった。
貧血でも練習は休ませてもらえなかったから、
ついていけないって分かってる練習でもやるしかなかった。
怪我したり怒られたりして練習に混ぜてもらえない日が天国に感じたし、練習を5日休んだあとの方が調子よく走れたこともあった。(これ中3の県大会👧🏻)
でも中学3年間を通してヘモグロビン値は2桁にのらないときがほとんどで、めちゃくちゃ調子がいいときで10.3g/dl。
中学3年間それ以上の値になったことはない。
県駅伝に間に合わせるために、1ヶ月で5kg減量したこともある。
顧問に言われた『放っておけばブクブク太りやがって』というパワーワードは未だに鮮明に覚えてるし、今思い出してもすげーこと言われたなと思う。笑笑
そのときは給食は全種類をひとくちずつだけ食べて、牛乳はカロリーが高いと思い込んでたからいつも友達にあげてたし、毎日献立表のカロリーをチェックしてた。
でも食べたいという衝動は抑えられなくて、
どうしても我慢できないときはお菓子や菓子パンなどの甘いものを隠れて大量に食べた。
そしてその度に食べてしまった罪悪感と太るという恐怖感に襲われ、口に手を突っ込んで吐いた。
摂食障害になった。
無理して落とした体重はすぐにもとに戻ったし、むしろ増えた。
摂食障害は競技を完全にやめていた大学生になっても続いた。
中学入学前に始まった生理も中学3年間で一度もこなかった。
このときのことが原因か定かではないけど今も悩まされていて、まさかこんな大人になってまで引きずるとは全然思っていなかった。
あのときのわたしは陸上が大好きで全力で競技と向き合っていたし、わたしもわたしの家族も陸上最優先の毎日を送っていた。
けどその努力は方向が間違っていた。
結果が出ないときは努力不足か体質のせいだと思っていた。
でもそのときは【正しい】が分からなかった。
【ちょっと間違ってるよ】を教えてくれる人が周りにいなかった。
きっと競技をやっていて同じような経験をされた方はけっこういるんじゃないかなと思うし、
わたし自身、数年前に知人のSNSで同じような投稿を見て『わたしだけじゃなかったんだ』って思って安心したのを覚えてる。
わたしが悩んでいた頃からもう10年以上経つのに現状は10年前と何も変わっていない。
今だから分かったこと、できることを、
次の世代が辛い思いをしなくて済むように働きかけていきたいなと思う。
とても長くなりましたが、
これがわたしの管理栄養士になった理由です。
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