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清田直紀「自尊史観で解く対話式「東京裁判」」も読んだ結果。8月末に歴史を振り返る。

こちらです。

読んでみてっ

☆昨日書いちゃったもんで・・こちらも書かないわけにはいかなかった。
清田直紀さん、最高すぎます。
書籍にしてくださって、ありがとうございます。

まず、東京裁判(極東国際軍事裁判)の前提から。
1946年5月3日~1948年11月まで。

① 3つの罪
日本がこの裁判で罪とされた3つ。
1 平和に関する罪 これが訴因a だからA級戦犯
2 殺人・殺人共同謀議の罪 b
3 通例の戦争犯罪・人道に対する罪 c
☆A級戦犯とは、平和に関する罪で告訴された人。でも、この法律は1945年6月に登場。つまり戦争中。しかも終盤やん。すでに狂ってる・・

② 正しい裁判の条件(3つ)は満たされていたのか。
1 裁判官は中立の立場でなければならない。
東京裁判の裁判官は、戦勝国の11か国から。全然中立じゃない。
2 裁判基準は法律。
さっきも書いたけれども、戦争の後から法律を作り、日本に刑罰を課した。後出しはだめでしょ。
3 冤罪防止のための三審制
これも、もちろんなく。それどころか、検察側の証言者には宣誓(嘘言わないよって誓うやつね)も課されなかった。つまり、嘘言っても偽証罪などの罪にはならないってこと。言いたい放題やん。

他にも、アメリカ人弁護人(ベン・ブルース・ブレイクニー)が原爆投下こそ戦争犯罪だという主張をしたのに、同時通訳が停止され聞くことができないようにしたとか、もうこれは裁判とは言えないんじゃないの、と思ってしまった。

また、この本にはインドのパール判事の判決文が載っている。パール判事は、裁判期間中に3000冊、資料45000部を読破し、日本人全員の無罪を主張した。こういう人がいたのがせめてもの救い。知は力。

③ 当時の日本
市民は、衣食住の確保に精いっぱい。その上に、GHQのWGIP(ウォー・ギルト。インフォメーション・プログラム)によって、
軍部が暴走して国民に迷惑をかけた。悪いのは軍部であって、あなたたち国民ではない。
という洗脳が行われていた。
東条英機の主張
1 大東亜戦争は「自存自衛」の戦争だった
2 大東亜戦争は「欧米列強の植民地支配からアジアを解放するための戦争」だった
3 敗戦の責任は我にあり、天皇に責任なし
という宣誓供述書は1948年1月20日に出版予定だったが、プレスコード違反だと言われ発禁処分に。日本人が主張を知る機会はなかった。
もうね、聞いていて腹が立つを通り越して・・
負けたからしょうがないのかい。そうじゃないと思いたい。

④ 東京裁判の日程
死刑執行 1948年12月23日 天皇誕生日じゃん
裁判の開始 1946年5月3日 日本国憲法施行日じゃん
ちなみに日本国憲法公布日は11月3日。(明治天皇誕生日)わざわざこの日と公布日を合わせて、何かを忘れさせたいのか。
起訴状の提出 1946年4月29日 昭和天皇の誕生日じゃん
検察側の最終論告開始 2月11日 紀元節(建国記念の日)やん
☆このねちっこさ。

⑤ 死刑執行のその後
遺骨は遺族には返還されなかった。(やっぱりね)
でも、取り返そうと行動した人が!
弁護人 三文字さん、火葬場場長 飛田さん、興禅寺 市川さん、の3人。
見つかって、米軍に回収、太平洋沖に破棄されるも、集めきれず骨捨て場に捨てられた残りを集めて熱海の興亜観音の地下3メートルのところに。その後、愛知の三ヶ根山山頂にも。
☆ここで愛知が出てきてびっくり。殉国七士廟(じゅんこくしちしびょう)というらしい。これは行かねばね。

☆まだまだ書きたいことはあるけれども、こんなつたないまとめじゃなく、本を読んでほしい。本当にすごいから。

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