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自分の存在意義

自分の存在意義がよくわからなくなることがたまにある。
周囲のすごい才能とか、圧倒的な努力の前に無力を感じて立ち尽くしてしまう。

最近もその波があって、何かしなくちゃともやもやしてた。


そんなある日の深夜3時。
一緒に寝ていた娘がトイレだというので連れて行った。
まだ深夜や朝方は冷えるので、フローリングの廊下を素足で歩くと急速に体温を奪われる。
用を済ませて、冷たい水で手を洗い、二人揃って足早にベッドへ戻る。

そして布団に素早く潜り込むと、小さな娘がさらに小さく丸まって
私の胸の中へすっぽりと収まってきた。
まるで、まだお腹の中にいた頃のような姿で(それよりはもうはるかに大きいが)
冷たくなった手と足を私にあてて、暖かくなろうとしている。
私は、自分の体で娘を覆うように丸くなり、このフィットした感じに、じんわり幸せを感じてた。

その時、ふと思った。


手塚治虫の”ブッダ”で、シッダルタが悟りを開いてブッダと名乗るその直前に、彼が悩む者に説教をする場面。
『人間も、山や川や木々がそこに存在するように、その自然の中にあるからにはちゃんと意味があって生きてる。あらゆるものと繋がりを持っていて、もしあなたがいなければこの世の何かが狂ってしまう。そうさせないように、あなたは大事な役目をしているのだ。』

私はすぐに、大した人になろうとし過ぎて空ばかり見て、いつも娘と一緒に歩いている地面をおろそかにしてしまうけど

こうして生きているだけでも、知らない間に何かの、誰かの役に立っているのかもしれないなと思うと、少し心が和らいだ気がして、またぬくぬくと眠りについた。

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