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3月の朝にパンの耳


いつものように出勤していた。

最寄り駅で電車をおりて、10分そこそこの道を職場に向かって歩く。
見慣れた風景だ。見慣れすぎて安心しか無い。
少し寒いが天気は晴れていて、程よく照る太陽が心地良い。ぼちぼち春だなぁとか思っていた。

もう少しで職場に到着するかという道すがら、私は歩道に落ちたパンを見つけた。

ん?
パン?

一目でパンと分かるくらいに形を成しているパンが、そこに落ちている。
明らかにパンだ。
食パンだ。
そう、パンダ。
パンダ?
これは珍しいことなのだろうか?
それとも日常茶飯事の範疇なのだろうか?
判断できない。
判断できるだけのデータがない。
お抱えの脳内エンジニアたちもお手上げな程にデータがない。
というか、こんな光景を初めて見た。
なんて平凡な人生を歩んできたのだろう。
パンが歩道に落ちることが、どれくらいの頻度で起こる事なのか分からずに41年間生きていたなんて。
平凡すぎて嫌気がさしてしまう。

ただパンが落ちているだけなら、さほど気にはしない。
いや、嘘だ。やっぱり気にはなるんだけど、私の注目を引いたのは、そのパンが綺麗に耳だけ残されていた事だ。
綺麗に耳だけ残したパンが道に落ちているという事は、これはもう故意に落としたとしか考えられなかった。
見たところ、食パン8枚切りのサンドイッチ用のパンだ。おおよそ、コンビニなんかで売っている、断面を見せて魅力的な演出で売られているサンドイッチ、中にトンカツなんかが挟まれているタイプのやつだと推測できる。
名推理、名探偵。
さすが私。コンビニに足繁く通っているだけのことはある。
ちなみに三角タイプではなく、長方形タイプのサンドイッチだ。
食パンの白い部分はちゃんと食されている。
だが耳だけ、耳だけを残して歩道に落としている。

なんてグルメで贅沢な食べ方なのだろう。
硬い耳の部分は捨ててしまうなんて。(私は耳の部分が香ばしくて好きだったりするのだが)
世が世なら、マリーアントワネットと友達になれそうだ。午後のお茶会に招待されて、マカロンと紅茶を啜ってほしい。
そして、後々パンの耳を粗末にした罪としてギロチンにかけられそうだ。
庶民は、パンどころかその耳すらかじれずに空腹な生活を送っている。
反乱が起きても仕方ないかもしれない。

誰がそんなかじり方をして、歩道に耳の部分だけポイしたのかは知らないが、一体どんな状況でパンの耳だけ捨てたのだろう。

少なくともその人は、普段からパンの耳を残すタイプなのだと思う。
歩道だから耳を残した訳では無いと思う。
何らかの理由で、パンの耳を残し、手に持っているのが面倒になったため、捨ててしまったのか?
すごいな!その感性、行動力、人間力、民度!
尊敬はしない。
絶対。

いや待てよ。
よく考えたら、最後にとっておいた可能性もあるなと、思った。
何よりもパンの耳が大好きで、最後の楽しみにとっておいたパンの耳が、食べようとした瞬間に歩道に落ちた。
たしかにその可能性も否定できない。
だとしたら、さぞかし残念だった事だろう。

心待ちにしていたパンの耳が、呆気なく落下したのだ。もう自分の手には届かないところへ行ってしまった。
時間は巻き戻せない。
どれほど万有引力を恨んだ事だろう。
悔しかっただろう。
その悔しさを糧にして、人々は生きていくのだ。悔しさから学び成長するのだ。
そして命が尽きる前に思う、「パンの耳が落ちたあの日から、私の人生は変わったのだ」と。

他にどんな可能性があるか考えようと思ったけれど、職場に到着してしまった。
私の頭の中は一気に仕事モードに強制変換された。

「おはようございまーす」

願わくば、パンの落とし主に幸あらんことを!


・・・てか、食べろよ、耳。

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