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Bさん[50歳代、男性]



以前(だいぶ前)、看護師をしてきた中で出会った患者の一人の事を書いた👇👇


久しぶりに、看護師人生の数少ない思い出エピソードを綴っておこうと思う。いくつかあるものを不定期に。



看護師15年目くらいだったか、正確には覚えてないが、消化器内科と呼吸器内科の混合病棟で働いていた事がある。

その病院は田舎にあり、都会にある大学病院のような先進的なことはやっていなかったにせよ、地域住民の健康維持は割と担っていた。

その職場で仕事をしていたとき,一人の患者が入院してきた。年齢は50代半ばくらいだったと思う。物静かな雰囲気で優しそうな顔つき、ごく普通の中年男性だった。

病名は膵臓癌。

そして病名の横には「ターミナル」と記載してあった。「ターミナル」とは終末期の意味。
時々ある、初診で来て膵臓癌ターミナル→即入院のパターン。
病院にきた時点では、もう積極的治療ができない段階にまで進行しすぎている。

治療方針としては、最低限の投薬と、痛みのコントロールがメインになった。
特に膵臓癌の末期は、激しい痛みが伴うと言われている(実際はどれくらいの痛みなのかは、もちろん分からないけど)
治療方針の内容は、つまりもうこの患者の命が長くないことを物語っていた。

人生において、この展開を受け入れるには、ずいぶん年齢が若い。
患者本人が、圧倒的な衝撃を受けている事は簡単に予想できた。
そして、ふと思った。
なぜ、こんなになるまで病院にくる事がなかったのだろう?
もっと早く検査をしていれば、治療が出来たのでは?
もちろん、人それぞれ事情もあるし、環境も違うので、なじるつもりは毛頭ない。
ただ、単純な疑問だった。
入院を担当した看護師からの情報では、患者は父親と二人暮らし、弟がいるが遠方に住んでおり疎遠で、ほぼ連絡は取っていないとの事だった。入院したことも弟には言わなくていいと本人は言っていたそうだが、担当の看護師は状況を鑑みて、やや強引に弟の連絡先を聞き出したとの事だった。仕事ができる。
一緒に生活している父親は認知症があり、長時間一人にはしておけないが、歩ける!食べれる!体調不良なし!と言った具合で、介護認定がおりない為、介護サービスの類が利用できず、患者が一人で衣食住の世話をしていたそうだ。もちろん、家を長時間不在に出来ないので仕事も午前中の短時間のみパートで働き、決して多くない稼ぎで生活をまかなっていた。よくよく聞けば、何ヶ月も前からお腹や背中が痛い事があったが、我慢できない程の痛みではないし、父親との生活の方が優先度は高かったのだろう。病院に行くなんてことは後回しだ。しかも、病院はお金がかかる。必要な検査を否応なしに受けると、3割負担とてまぁまぁなダメージが財布にのしかかる。
最近、痛みが強くてどうにもおかしいと思い、ようやく診察まで辿り着いたという経緯だった。
環境を考えると、今まで病院に来なかった、というか来れなかった事が充分理解できた。

入院したその日から、麻薬であるモルヒネを使った痛みのコントロールが始まった。
食事は食べられないので、鎖骨から栄養を賄う点滴を24時間繋ぎ、チューブの先には点滴を管理する機械を何台もつけられ、病院のパジャマに着替えた男性は、一気に「患者」になった。
数時間前とは別人になってしまった。
不思議なもので、病院のパジャマを着て数時間もすると、なぜかみんな「患者」の顔になる。よく「病は気から」と言うが、まんざらでもないなと思う。私たちは「患者」の顔しか知らないので、退院してから街中で偶然に出会ったとしても、誰なのか全く分からない事が多々ある。ただでさえ、私は仕事の記憶を勤務時間終了とともに消去するので、そんな時は終始愛想笑いでやり過ごす羽目になる。

一気に「患者」になったその男性は、全身の強い怠さと背中の痛みを主に訴えていた。
モルヒネを使うといっても、ジャンジャン使えるものではない。身体の状態をみながら、ちょうど良い量を探るには時間がかかる。
背中の痛みを少しでも和らげるため、私たちは背中をさする。本当に効果があるかどうかなんて分からない。エビデンスもへったくれもない。
でも、膵臓癌末期の患者が「背中をさすってほしい」と言えば、私たちはさするのだ。
あっという間にガリガリに痩せてしまったその背中は、レンタル病衣の上からでも肋骨が浮かび上がっているのが分かる。
さすっている手が波打つほどに。
背中というより骨をさすっている気がした。
・・・5分後
「どうですか?少しマシになりました?」
そろそろ、さするのをやめてもいいですか?という本音をカモフラージュして、探るように聞いてみる。
男性は目を閉じて無言だった。
それは、たぶん私の本音に対するNOの返答だと思った。
もうしばらく、手を波うたせながら背中をさすった。


昼夜問わず、「背中をさすってほしい」のナースコールが鳴ることに、とある看護師は「さすり出したらずっとでしょ? こっちもそんな余裕無いのよ。夜なんて特に人手がないのに本当やめてほしいわー!」と、背中をさする事に時間をとられ、不満がある様子だった。
看護学生の指導者とかには絶対したくないタイプの人だ。
たしかに、時間に余裕があるわけでは無いし、夜勤ともなれば、人手は少なく仕事が回らない事なんて日常茶飯事だ。
その中で、一人の患者の背中をまぁまぁな時間さすり続けるというのは、後回しにしたいケアであることは理解できる。しかも、あの無言の空間に耐えられないという看護師もいた。たしかに、それも理解できる。
もともとの性格なのか、あまり多く話すタイプの患者ではなかったし、その気まずさで時間がより長く感じるのだろう。


賛否両論あったが、私は背中をさすった。
「いいです、ありがとう」と言われるまで。


だって、他には何一つしてほしいことを言わないこの患者の、唯一の希望が背中をさすることなのだ。
時間がかかっても、空間が気まずくても、それくらい別にいいじゃないか。

背中をさすりながら、私はその男性が無言の中で何を考えているのだろうといつも思っていた。
今までの人生?
今後の事?
ただただ無となって痛みに耐えていただけなのかもしれないし、私に知り得ることはできない。
ただ、いつも思った。

この男性は幸せだろうか?

そんな事、赤の他人の私が考える事ではないと分かっているが、そんな事を思ってしまう雰囲気がその患者には漂っていた。

その男性の背中をさすり、関わっていくうちに徐々に私は腹が立ってきた。
その男性にではない。
その男性が置かれた環境に、だ。
なぜ、もっと早く診察に来る事ができなかったのか?
認知症の父親を誰か見てくれる人がいなかったのか?
本当に福祉サービスの対象外だったのか?
ただでさえ、田舎は高齢者が多く市役所の福祉課は手一杯だ。おざなりに対応してなかったか?
日本は医療や福祉に手厚い国じゃないのか?
働き盛りで、きちんと税金も納めているこの患者が、早くに治療を受けられてないこの状況はなんだ?
なぜ、こんな事が起こる?
高齢者はなにかにつけて病院に来ては、井戸端会議的に待合室を利用しているのに?
入院中に、3食ご飯が食べれるし、お風呂も入れてくれるから長く入院させてほしいと言うのはいつも高齢者だ。
この男性くらいの年代は、決まって1日も早く退院したいと言う。
そして収入が少なければ、受診すら躊躇する。
なんだこれ?
大丈夫か?日本。
こんな医療やってていいのか?
これは仕方ない事なのか?


高齢者が手厚い医療を受けている中、その子供世代は高齢者の世話をするがために、診察を受けることすら先延ばしにしている。
よく分からないこの構図はなんだろう?

その怒りは、もしかするとその患者への同情からくるものだったのかもしれない。
だとしたら、上から目線で傲慢さが滲み出ている。

ただ当時は、無性に腹が立った。
何かがおかしいような気がしてならなかった。
どうにも納得がいかなかった。
そもそも、私の納得など不必要なのかもしれないけれど。

その男性は、入院して1ヶ月ほどで亡くなったけれど今でも時々思い出す。
あの肋骨が浮き出た背中の感触。
無言の空間。
あの空間で男性は何を考えていたのだろう、と。
気休めだろうが何だろうが、背中をさする事で少しでも痛みが和らいでいてくれるといいな、と思う。
そう願って、さすっていたのだから。



そして、いつも腑に落ちないモヤモヤした気持ちが残る。

今の日本の医療と福祉は本当にこれでいいのか?

本当に大丈夫?



本当に?

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