『Muzîka Li Pişt Sînoran』 (国境の向こう側の音楽)
"Muzîka Li Pişt Sînoran"(The Music Behind Borders)
監督 Ekrem Yıldız
脚本 Murat Bayram
音楽 Serdar Canan
家族・親戚が国境によって分断される、そんな悲劇が現実として存在する。
1991年まで、トルコではクルド語の使用やクルド音楽が法律で禁止されていた。その時代に焦点をあて、Botan Internationalによって製作された短編映画を紹介したい。
そして映画で描かれる「Sînor」に関連して私自身が考えていることを書き留めておきたいと思う。
(現在、クルド語の使用やクルド音楽は禁じられてはいないものの、依然として強い差別意識が蔓延っていることを付記しておきたい)
映画の舞台になったNisêbînという街を地図で見てみてほしい。トルコとシリアの国境線上、シリア側にぐっと入り組んだ形で存在している。国境の向こう側はQamişloだ。この地域に限らず、至るところで親類、同じ部族の人々が国境によって分断されている。
国境は他者の恣意によってひかれた幻想に過ぎない。にも関わらず、誰もが国家という可変的な仕組みの一員として、それぞれの論理に従って生きることを強いられる。
しかし、たとえそれによって隔てられていても同一民族、同一部族、親族として強く繋がっている、彼らは一体だ。表面上分断されているように見えても他者の介入によってその繋がりが断ち切られることは決してない。
この映画では、家族・親戚が国境によって分断される悲劇が描かれ、同時に、同じ物語をその血の中で共有する人々の繋がりは、外部のどんな力によっても分たれることはないという宣言がなされている。
さて、ここからは私自身の話だ。
トルコに来て1ヶ月半が過ぎた。こちらに来て、強く意識し続けていることがある。それが奇しくも「境界線」だった。
そこにこの映画が公開されたというニュースが舞い込んでくる。もちろん偶然なのだが、それによって、絶えず頭の中の一部を占めていた「境界線」というテーマが俄かに存在感を増した。
トルコへやってきて最初に訪れた地はGeverだった。この映画の音楽を作曲したSerdar Cananの故郷だ。Serdarを訪ねたとき、彼が「ある映画のために音楽を作ったんだよ」と、その一部をサズで演奏して聴かせてくれた。その美しく哀しいメロディーは一度聴くと忘れられず、時折舞い降りてくる。イスタンブールに来てからもふと思い出して奏でてみたりしていた。
先日公開された映画を観て、映像とあの音楽とが結びついた場面を目撃した時、「感動」とは少し異なる、えぐられるような感情が起こった。そうだ、「境界線」を意識し始めたのはGeverに滞在していた時だったのだ、と思い返す。
数年前に「クルド」に出会い、導かれるようにして今ここにいる。そのあまりに特異で豊かで、全容をつかむことを許さない音楽の虜になった。どんな物語があるのか。どんな生活の中でどんな音楽が生み出されてきたのか。何もかも知りたくて飛んできた。
新たな学び、新たな出会い、刺激的な日々。一つ学べばまた一つ現れる、終わりない旅が始まったのだと感じる。その歩みを進めていくにつれて深まっていく愛。と同時に、愛の裏側にいつもある痛みの存在に気づいた。この痛みはなんなのだろう。
あるとき、コントラバス奏者の河崎純さんのあるブログを読む機会があった。その中で言及されていた「まれびと(=外来神)」という言葉が目に留まる。
これを読んだ時、はっと気付かされた。私はいつか去り行く「まれびと」のようなものであるということ。それがここで出会う人々の間でも自明のこととして共有されているということ。そして、その事実に私は無意識にベールをかけていたことに。
少しずつ新しいことを学び、経験が増え、境界線へ近づいていく。しかしどれだけ近づいたとしても、その線を超えることはできない。境界線の向こう側に見える喜びも悲しみも、生のものとして感じることは決してできず、外部の観察者である自己に投影した像を眺め想像しているに過ぎないのだ。
私の人生に彩りをもたらしてくれたクルドの歌。その歌の物語を自分の血の中に持たない私にとっては、それが「私の歌」になることはない。それに気づかされたとき、愛と一体のものとしてあるこの痛みの正体が何なのか、少しわかったような気がした。
今の私にはこれからこの痛みとどう付き合っていけばよいかわからないけれど、境界線の向こう側の物語を想像しながら、焦がれ続けるのだと思う。