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『Muzîka Li Pişt Sînoran』 (国境の向こう側の音楽)

"Muzîka Li Pişt Sînoran"(The Music Behind Borders)

監督 Ekrem Yıldız
脚本 Murat Bayram
音楽 Serdar Canan

家族・親戚が国境によって分断される、そんな悲劇が現実として存在する。
1991年まで、トルコではクルド語の使用やクルド音楽が法律で禁止されていた。その時代に焦点をあて、Botan Internationalによって製作された短編映画を紹介したい。

そして映画で描かれる「Sînor」に関連して私自身が考えていることを書き留めておきたいと思う。

(現在、クルド語の使用やクルド音楽は禁じられてはいないものの、依然として強い差別意識が蔓延っていることを付記しておきたい)

映画の舞台は1982年Nisêbîn。言語も音楽も禁じられている時代の結婚式。家の中では、密やかに花嫁のために祝いの歌が歌われるものの、一歩外に出れば伝統の音楽も踊りも許されない。
新郎側と新婦側が屋外で対面するものの、視線を交わし合うことしかできない。
するとそこに、不意に音楽が流れてくる。国境を隔てた先、シリア側から流れてくる音楽だ。その音楽に合わせて、惑いながらも1人2人と踊り始める。
新たな門出を迎える花婿と花嫁に対して、国境で隔てられた先で生きる親戚がはなむけの音楽を贈ったのだ。
そこへ、近づいてくる不穏な足音、、。

映画の舞台になったNisêbînという街を地図で見てみてほしい。トルコとシリアの国境線上、シリア側にぐっと入り組んだ形で存在している。国境の向こう側はQamişloだ。この地域に限らず、至るところで親類、同じ部族の人々が国境によって分断されている。

国境は他者の恣意によってひかれた幻想に過ぎない。にも関わらず、誰もが国家という可変的な仕組みの一員として、それぞれの論理に従って生きることを強いられる。

しかし、たとえそれによって隔てられていても同一民族、同一部族、親族として強く繋がっている、彼らは一体だ。表面上分断されているように見えても他者の介入によってその繋がりが断ち切られることは決してない。

この映画では、家族・親戚が国境によって分断される悲劇が描かれ、同時に、同じ物語をその血の中で共有する人々の繋がりは、外部のどんな力によっても分たれることはないという宣言がなされている。


さて、ここからは私自身の話だ。

トルコに来て1ヶ月半が過ぎた。こちらに来て、強く意識し続けていることがある。それが奇しくも「境界線」だった。

そこにこの映画が公開されたというニュースが舞い込んでくる。もちろん偶然なのだが、それによって、絶えず頭の中の一部を占めていた「境界線」というテーマが俄かに存在感を増した。

トルコへやってきて最初に訪れた地はGeverだった。この映画の音楽を作曲したSerdar Cananの故郷だ。Serdarを訪ねたとき、彼が「ある映画のために音楽を作ったんだよ」と、その一部をサズで演奏して聴かせてくれた。その美しく哀しいメロディーは一度聴くと忘れられず、時折舞い降りてくる。イスタンブールに来てからもふと思い出して奏でてみたりしていた。

先日公開された映画を観て、映像とあの音楽とが結びついた場面を目撃した時、「感動」とは少し異なる、えぐられるような感情が起こった。そうだ、「境界線」を意識し始めたのはGeverに滞在していた時だったのだ、と思い返す。

数年前に「クルド」に出会い、導かれるようにして今ここにいる。そのあまりに特異で豊かで、全容をつかむことを許さない音楽の虜になった。どんな物語があるのか。どんな生活の中でどんな音楽が生み出されてきたのか。何もかも知りたくて飛んできた。

新たな学び、新たな出会い、刺激的な日々。一つ学べばまた一つ現れる、終わりない旅が始まったのだと感じる。その歩みを進めていくにつれて深まっていく愛。と同時に、愛の裏側にいつもある痛みの存在に気づいた。この痛みはなんなのだろう。

あるとき、コントラバス奏者の河崎純さんのあるブログを読む機会があった。その中で言及されていた「まれびと(=外来神)」という言葉が目に留まる。

大人になれば、観察者、傍観者という存在と自意識に虚しさも感じます。ふと、芸能者の末端にいる私は、「まれびと」の一種かもしれない、と思いました。「まれびと」はやはり民俗学者、国文学者の折口信夫のいう外来神、芸能者の起源として呼ぶ来訪者です。
私には、この街に暮らすクルドの人々も「外来神=まれびと(客人)」にも思えます。反対に、その彼らにとって今日の自分は、「まれびと」のようなものであるのかもしれません。半ば我を失ってコントラバスを掻きむしりながらステージの上で、客席で踊り、旗を振り熱狂する人々見つめている私を、そのはしくれであると自己規定することもできるのかも知れません。

これを読んだ時、はっと気付かされた。私はいつか去り行く「まれびと」のようなものであるということ。それがここで出会う人々の間でも自明のこととして共有されているということ。そして、その事実に私は無意識にベールをかけていたことに。

少しずつ新しいことを学び、経験が増え、境界線へ近づいていく。しかしどれだけ近づいたとしても、その線を超えることはできない。境界線の向こう側に見える喜びも悲しみも、生のものとして感じることは決してできず、外部の観察者である自己に投影した像を眺め想像しているに過ぎないのだ。

私の人生に彩りをもたらしてくれたクルドの歌。その歌の物語を自分の血の中に持たない私にとっては、それが「私の歌」になることはない。それに気づかされたとき、愛と一体のものとしてあるこの痛みの正体が何なのか、少しわかったような気がした。

今の私にはこれからこの痛みとどう付き合っていけばよいかわからないけれど、境界線の向こう側の物語を想像しながら、焦がれ続けるのだと思う。


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