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Waar TV “Pencereya Bakur” 放送日

今日は5月にAmedで収録した番組の放送日。
Waar TVというメディアの新番組”Pencereya Bakur”(北の窓)の初回ゲストとして出演した。

リアルタイムで視聴してみる。

まるで若い女をフィーチャーしたみたいな演出に吹き出す。私が若い女ぶっているからだね、誠に申し訳ございません。
しどろもどろだし、内容も薄いけど、「なんかこの人楽しそうだな」という後味があるので、まあ良かったのかな。

などと思っていると、ジーザスから電話。

ジーザスは私が最初に知り合ったクルド人だ。同時に知り合ったJujuと一緒に観てくれたそうで、二人がかわるがわる、番組を観た、とても良かったと言ってくれた。

「全クルド人がえりかのことを好きだ。君はクルド人に勇気を与えている。君を誇りに思う」

YouTubeチャンネルを始めた際、パートナーに言われるがままにやっていた。大きく見せる演出で、偶像が作り出された。あっという間にチャンネル登録者が3万人を超えた。

イケてない自分、ダサい演出。私なら絶対視聴しないな、と思いながらも、アップしていった。

メディアにもどんどん取り上げられ、トルコに来てからもGeverで参加した結婚式をきっかけに知名度が更にあがった。

Serdarの妹Jîyanに漏らしたことがある。

「なんか有名になってしまって恥ずかしい。もし私がSerdar Cananだったなら堂々と”音楽家です”と前に出ていけるけど、私には特別なものは何もないのに」

その時、彼女もジーザスたちと同じようなことを言っていた。

今や私は自分の立ち位置、周囲からどう見られているのかをよく理解している。

「えりかはトルコ語は話せなくて、クルド語だけ話すんだ」

「トルコ語を話せない」ということがいつも彼らを熱狂させる。

トルコでは公用語はトルコ語のみ。国民はトルコ語で教育を受けるので、クルド人の中にはクルド語を話せない人も多い。特に若い世代はその傾向が顕著で、そのことを「同化政策に屈している。恥ずかしい」と苦々しく語る人も多い。Anlıyorum ama konuşmuyorum (理解しているけど話さない)というフレーズが自戒的に定着している。

抑圧、迫害、差別、無関心。重い歴史を背負い、今も「こんなに酷い目に遭っているのに、世界から無視されている」と感じているクルド人はとても多い。

我々の母語は、遠く離れた国の外国人が何年もかけて一生懸命学ぶ価値のある言語なのだ、我々の音楽はその外国人がわざわざやってきて学ぶ価値のある音楽なのだ。

その事実によって、彼らは「この人は、我々の味方だ」と思える。「山以外に友はなし」クルド人は自らをこう表現する。山以外にも友がいる、と思ってもらえるなら、意味のあることなのかも知れない、と思う。

とはいえ、「中身がないのにアイディアのみで持ち上げられている」ということへの葛藤が消えるわけではない。実像の私は勉強を続けていくのみだ。

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