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海は続くよ、どこまでも

おばあちゃんが海に還った。

去年癌が発覚したら、あれよあれよという間に
旅立ってしまった。

そこからしばらく月日は経って
いよいよ海洋散骨の日がやってきた。
天気は快晴。

大好きな人の名が刻まれた袋はずっしりしていた。
なんとなく軽いだろうと思っていたのに人を生涯支えたものは粉となっても案外重い。

これが存在の重さか、なんて考えてみても袋は水溶性。ものの数秒で溶けてゆき中に包まれた白い骨がサラサラと水に光り、揺れて、去っていった。

お酒もお花も捧げた。
海洋散骨、思ったよりも華やか。

ハワイアンのダンス講師をしていたおばあちゃんは家を訪ねるといつも花冠をわたしの首にかけてくれた。

海に広がる花々を見て急にそんなことを思い出した。

船に揺られながら色んなことを思い出していた。

笑顔の絶えない人だった。いつもオシャレで笑っていて口元に鮮やかな紅をひき、食べきれないほどの料理を振る舞ってくれた。

愛情深い人だった。高校生の演劇も大人になってからの公演もとびきりの姿で駆け付けてくれた。

「どこのお姫様かと思ったわ」
「えりちゃんは本当に美人さん」
「今回も素敵だったわねえ」

もはや劇への感想はなく推し活の楽しみ方だったけれど誇らしそうに帰っていくおばあちゃんが私もなんだか誇らしかった。

祖父が亡くなってからは祖父とのラブストーリーを聞く機会も増えた。寡黙で生真面目な男性と明るく爛漫な女性の恋はいつの時代も王道で鉄板だ。

祖父がいかに祖母を愛していたか、少女みたいに微笑む御本人から思い出話として聞かされた日のとんでもなく幸福でむず痒い感じは生涯忘れられない気がする。

美しい人だった。

思い出というのは失った時ようやく次から次へと溢れてくるものらしい。もうそろそろ文字に起こせるだろうと思っていたのに、画面が滲んで意外と筆は進まない。

おしゃべり好きな貴女だから次会う時にまでたくさんの笑い話を持っていかなきゃ。

今度はわたしの恋バナも聞いてもらおうかな、

おじいちゃんとの惚気が増えてるかもしれないな。

もう本当にしばらく会えないのかな。

まだ思い出せるのに思い出すことしかできないなんて、一体全体どういうことだろう。

人がいなくなるって不思議なことだ。

こんなに書きたいことがあるのに文章はどんどん下手になっていく。

もう書いていても仕方なさそうだから
やっぱりまた今度おしゃべりしよう。

いつも交わしてた手紙の通り、

とんでもないほどの愛を込めて

孫より


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