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何者にもなれない

世間で言うところの良い年齢、いいおばさんになっても、

今の私は、何にもなれてないことで
不甲斐ない自分が、何にもなれないことで

落ち込んだりする。

もちろん、世間とは切り離して考えられるのだが、

ただ、自分がなににもなれてないことは、
充分すぎるほど知っているから、

ただただ、落ち込むのだ。

それでも、私がまだ精子でも卵子でもなかった頃。
光の中でずっと日本に生まれたくて仕方なかった頃。

あの光の記憶があるから、
過去を懐かしむことも、未来に多大に期待することもなく、

今をどう生きるか。どう、生きたいのか?
そして、どう生きていくのか?と自問自答するのだ。

そんな時に、努力なんて陳腐な言葉では言い表せない人達、
目の前のことに真摯に向き合い、生きることを積み重ねた人達に出会うと

「背筋が伸びる」「ちゃんとしよう」と思う。

こういう人たちがいるから、こういう人たちがちゃんと輝いているから、
私も頑張ろうと思うのだ。

それはなにかを成し遂げるために生きるのではない。

何かを成し遂げているから、あこがれるのではなく、
その過程が輝いているから、その光にあこがれるのだ。

いっぱいの荷物を手に入れることが幸せではなく
たくさんの経験がその人の器の大きさになっていくことを知っている。

これからも、今何を持っているかではなく、
何をしていくかと悩むのだろう。

目の前のやるべきことがわからなくても
自分を鼓舞することはできると信じて

この悔しい気持ちを変換して
前を向いて歩いていこうと思う。

明日の新月の前に
新たな自分に出会う前に

今までにちゃんと感謝して、
ありがとうを届けたいと思います。

何にもなれない。

何になったかなんて、知るすべもなく、

なにになったかと、驕ることなく、

何にもなれてないことで、がんばって生きようとおもう。

いつも感謝をわすれることなく、生きていこうと思う。

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