たかが と されど

「たかが○○」と何かをおざなりにする言葉を思い浮かべてしまったら、そくざに「いやいや、されど○○」と思いたい。

たかが一、されど一。
生きていく中ですべてのことに丁寧に関わっていくのは難しいとわかっている。例えばわたし、洗濯物はドラム式洗濯乾燥機を手に入れてからまるっきり任せきり。子どもが水たまりに突っ込んだ靴下も、ざっと流してそのままポイ。アパレル界隈、洗濯機メーカーの方からは悲鳴に近いお叱りを受けるのではないかと思っている。
いや、わたしがどれだけズボラかを披露したいわけではなく、生活の中で、人生の中で、なにに あるいは どこに価値をおいているかは人それぞれだって話。
「たかが結婚式」一日の、わずか数時間のことに時間もお金もかけるなんて…と思うひとがいるのも当然と言えば当然だと思う。だけど、そう思いながらも結婚式を挙げることを選択してくれるひとの多いこと。パートナーの「やりたい」気持ちに引っ張られて。家族からの「楽しみにしているよ」の声に促されて。理由はどうあれ結婚式を挙げると決めてくれたのであれば、作る結婚式は「されど結婚式」でありたい。

結婚式はたかが数時間のできごとではなくて、過去の記憶を辿り、未来に想いを馳せながら創っていくふたりの準備期間や、招待状を受け取った時から「何着て行こうかな」「直接会うのは久しぶりだな」とゲストがわくわくしてくれる時間から、もう始まっていると思う。
そして何年後、何十年後にアルバムを開いたりムービーを観ながら「楽しかったね」「いっぱい泣いて、いっぱい笑ったね」って振り返る時間も結婚式があるから生まれる時間だと思う。
どんな結婚式でもその時間は尊いものだと思っている。ひとの想いが重なる瞬間だから。そこに携わらせていただくときには どうしたら、よりたくさんの想いを重ねられるか、過去に未来に想いを馳せてもらえるか、それを受け取ってもらえるか、みたいなところに意識を向ける。そのために、たかが一言、照明一つ、一歩の距離感、飾る写真の向き…たかがと言わずにこだわりたい。「たかが結婚式」とは思わないひとと一緒に創りたい。(お客様が思うのは良いけれど、フリーになって一緒に仕事するひとを選べる以上わたしなりに譲れない基準)

何度か「最初は乗り気じゃなかったけど、やってみたら最高でした!今はみんなやった方が良いと思っています」とこの上ない感想をいただいた。
でもその感想の先に、その日の「最高」を上回る未来が待っていたら良いなと思っている。

すべてを「たかが」と思わず「されど」と捉えられるように、まだまだ修行中。お客様に「されどーですよ」と言うのではなくこっそり素敵にして、そこには気が付かれなくてもいいから、些細なことを積み重ねて「されど結婚式」と思ってくれるひとを一人でも増やせたらいいな。



以前担当した結婚式のお客様、新婦様には10歳のお子様がいらした。
そのお嬢様はわたしを見て「ウエディングプランナーになりたい」と初めて夢を持ってくれたそう。夢は変わっているかもしれないけれど、いつまでもちーちゃんに胸を張れるプランナーで居続けたい。
プランナーにできることは限られているけれど「されどプランナー」なんだよと伝えられるようなわたしでありたい。

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