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計画的な旅とサイコロを振るような旅。キャリアはどちらが楽しいか?

気づけばもう少しで社会人生活も15年。
・バラバラの企業風土・事業目標の企業5社で働いてきたこと
・節目っぽい年になったこと
・直近働き方について色々思うことがあったこと
・最近キャリアの相談を受ける機会が増えたこと(勝手に話しているだけかもしれないw)
こんなことから、少しキャリア関連の記事を書いてみることにしました。

逆算型のキャリアと分岐選択型のキャリア

中長期的なゴールやマイルストーンを決め、そこから逆算して着実にキャリアを積み重ねていく。これが貫ける方は素晴らしいと思います。
a.成したい夢がちゃんと描けていて、b.そのために必要なスキルを埋めるキャリアを作る、この2点が求められると思いますが、私の場合は、
 a. これという夢も成したいことも特にない、という状態がずっと続いています。それが見つかるまで仕事をしないとなると・・アラフォーに至る現在まで無職を貫いていたことになりますw
 b. そこまで大きなゴールではないが、この会社でこうなれたら・・と思うことくらいは描けたとしても、組織のイチ社員でいる限り、思い通りにならないことのほうが多い。成果を出したとしても、現実と希望する未来のギャップが大きければ、自分のWillだけでは難しいハードルがいくつもあります。
という状況を受け、早々に戦略的な逆算型のキャリアの達成は断念しました。

結果、長く条件分岐も多いアンケート調査に答えているような、人生ゲームのような長いすごろくをやっているかのような、一つの選択の結果を受け、複数選択が表示されてそれを着々と選択していたら今に至っていた。そんな分岐選択型のキャリアを歩んでいました。

どっちがいい、ということはなく、その人により合う方法は違うと思いますが、世間一般的には、戦略的な逆算型のキャリアが評価されているような印象もあります。個人的には、分岐選択型のキャリアでその人自身が納得の行く歩みができることが、もっと称賛される世の中になったらよいのになぁと思っています。
分岐選択型のキャリアも悪くないし、その中で成果も残せるし、充実した仕事人生も送れる、という1サンプルになればということで、ざっとどんな経緯でキャリアチェンジしてきたか、文字に起こしてみます。

〜5社目までの歩み (まずは迷走期の1社目〜3社目)

□ 新卒の就職活動
なんの疑問を抱くこともなく、リクルートスーツを着て就活。(今から考えると気持ち悪くて仕方ないですw)
東大に入ってはみたものの、自分の強みは頭脳ではないことを早々に自覚。高校までは陰キャでしたが、どうも意外と人に物怖じせずに渡り合えることはできそうなことに気づき、営業につくことを志向。漠然と医療に惹かれ、製薬会社へ。
ネームバリューのある大手企業という選択肢もある中で、商材のラインナップがニッチで面白いし、大手の名前で営業してもつまらんじゃん、と入社先を決定。

□ 1社目−1 ヤンセン(製薬会社)でMR(2007年4月〜2009年12月)
MRで東京都内の中小病院担当をまったりと3年。車での移動時間と待ち時間が仕事の大半を占める生活と、仕事のルーティン化。これでは一番成長スピード高いはずの時期に、時間が有効活用できないと思い、MR活動を始めて2年で転職を決意。SNSマーケのベンチャー企業に内定をもらいそこに移ろうかなー、と思っていたところ、製薬会社のプロダクトマーケに異動できることになり、残留することに。

●この仕事で得たもの
 ・疾患・薬に関する知識
 ・医療業界に関する知識
 ・医療系の論文の読み方になんとなく慣れた
 ・プレゼンテーションを作り、伝えるスキルが一定ついた
  (当時はMRがスライドを作ることもできた)
 ・車の運転ができるようになったw

□ 1社目−2 ヤンセン(製薬会社)で抗がん剤のマーケティング、KAM
(2010年1月〜2012年3月)
MRの時には触れたこともなかった抗がん剤(多発性骨髄腫の薬)のプロダクトマーケに異動。オンライン講演会の企画・運用・コンテンツ設計、KOLに海外論文・学術発表の最新情報提供等を実施。その後はKAMとして北海道・東北・静岡を担当。
実際にやっていたのは、非常に営業に近い領域が多く、違う業界でもう少しマーケティング領域を深堀りたいなー、と思い今度こそ転職を決意。いくつかの転職エージェントに紹介してもらったとこにアプライし、電通系の会社へ。

●この仕事で得たもの
 ・抗がん剤という領域のマーケティングの知識
 ・製薬会社におけるKOLマーケ
 ・セミナー運営のノウハウ
 ・調査設計とプロダクト戦略への反映

□ 2社目 電通イーマーケティングワン(現・電通デジタル)
(2012年4月〜2012年12月)
デジタルマーケの会社ではあるが、アサインされたのは、デジタルらしさはほぼない、家電の企業から受託されたグローバル10カ国の市場調査。ひたすら朝から深夜まで調査票の設計、集計ソフト使って集計、レポーティング、英訳のチェックをする日々。対外的なコミュニケーションがほぼ無い中で、ルーティン業務をこなすのは相当性に合わず、しかも相当な残業時間で、早々に転職することを決意。
仕事って楽しいといくらでも働けることに後から気づきましたが、私は長時間業務耐性がないんだなー、とこのときは誤解していました。単純に仕事が合わなかっただけだったようですw

●この仕事で得たもの
 ・調査の企画、調査票の設計
 ・集計ソフトを使った集計
 ・パワポを使ったドキュメント作成スキル

□ 3社目 日本精神神経学会(2013年1月〜2015年12月)
前職の反省を活かし、とにかく勤務時間が少ないところに行こう、と思ったのと、やっぱり医療楽しいな、と思って選んだのがこの職場でした。
よく、どうやってこの会社を見つけたんですか?と聞かれるのですが、普通に転職エージェント(JACさん)からの紹介です。なかなかレアな案件だった気がします。
決め手は1日6時間勤務だったことだったのですが、思ったより仕事が楽しく、あれやこれや足りていない業務を拾いまくって、まぁわりと働きましたw
学会の事務局ってどんな仕事なの?とよく聞かれるのですが、普通の事業会社から営業・マーケといった売上を上げる部署を除いたような業務はひとしきり担っているようなイメージでしょうか。
普通に経理・財務、広報といった部署があれば、人の採用などを行う業務もあれば、学会の事業運営にあたり必要な会員管理、月刊誌編集、委員会運営、学術総会運営、専門医・指導医制度運営などを行う部署があります。
基本的な意思決定は学会の理事長・理事クラスが行い、その意思決定をするのに必要な情報整理や実務を事務局が行うようなイメージです。
その中で経理と雑誌編集以外の業務はひとしきり色々やったのと、このタイミングで新たに学会として始めたものについては、色々型作りに携わらせてもらいました。
広報部署の立ち上げ、学術総会運営の均質化、研修医向けイベントの立ち上げ、新専門医制度の仕組み整備などなど。

●この仕事で得たもの
 ・医療系の学会・団体における意思決定のあり方の理解
 ・診療報酬改定のスキーム理解
 ・0→1の立ち上げの楽しさ
 ・広報業務の理解・実践

これだけ仕事を楽しめていた3社目をやめた理由と、4社目を見つけるときの転職活動のしんどさ、現在の仕事の話は次の記事に書きます。

迷走期のキャリア選択の反省

いずれのキャリアも今にマイナスというものは無いので、猛省するものはないですが、
・やってみないと自分に合うか合わないかがわからないことも多々
・正社員でのジョブチェンジだと、合わないときの小回りが効きづらい
・やってみなくても自分と相性が合う仕事か否かの見極め精度をもう少しあげれたのでは
・転職エージェント頼みの転職活動だったが、もう少し違う動き方もできたのでは
このあたりは後々振り返ってみて思うところです。
働き方、仕事の選び方もどんどん変わってきているので、仮に今であれば、また動き方は全然違ったのだと思いますが・・
次以降の記事で、仕事の選び方ってこれからどう変わっていくのだろう、という部分についても、どうこかで書こうと思います。


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