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お母さんは太陽
閲覧いただきありがとうございます。eriです。
『お母さんは太陽みたいな存在』
この言葉、子育て中のお母さんであれば、一度ぐらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか?
私は、つい最近まで、この言葉が嫌いでした。
お母さんはどんな太陽?
まず、皆さんは、太陽と聞いて、どんなイメージですか?
私はずっと雲ひとつない空に、いつも燦々と輝き、万物に日差しを届ける…
そんな太陽をイメージしていました。
つまり、いつも笑顔で明るく、穏やかに家族に温かい愛を注ぐ存在でいないとならないと思っていました。勝手に。
この太陽のイメージって自分の中の『いいお母さん像』や『理想のお母さん像』だったりすると思います。
そして『いいお母さん像』や『理想のお母さん像』を形成したのって、自分の両親を見てだったり、両親に認められたいと思っていたり、世間の目を気にしていたり、いろいろな要因があると思いますが、『本当の自分の意思ではない』ことがほとんどではないでしょうか。なので、だんだん苦しくなってくるし、誰かのせいにしたくなってくる。
もちろん私自身も例外なく、『なんでお母さんばっかり求められるんだろう。同じ親なのに。お父さんって何なのさ。』と不平不満を心に抱いたり、『こんな私じゃ、子供に愛を注ぐことが出来ないんじゃないか。うちの子たちが可哀想。申し訳ない…』と自分を責めたりしていました。
『お母さんは太陽』の呪い
では、この言葉の真意は何でしょうか。
もちろん幼少期の子供にとって、安全基地とも言える愛着形成は必要不可欠なものです。安全基地があるから外の世界に出て行くことが出来るようになり、安全基地になるのは例外を除いて、母親な場合がほとんどです。なので、『子供を地球に例えると、母親という存在は太陽のように必要なもの』という意味もあるでしょう。
ですが、完璧主義や頑張ることを良しとするような根性論で育ってきた優等生ママにとっては、前述したような『理想のお母さん像』を叶えなくてはならないといった、プレッシャーになる言葉になると思うのです。
実際に私がそうでした。
いつでもご機嫌でニコニコしていたい。
子供達にたっぷり愛情を注いであげたい。
わかっているけど、家事に育児に仕事もしていて体力的にも精神的にも無理。
でも仕事もやめられない。家事も育児もやめれないし、やめたらみんなが困るし…
どうしたら、余裕って手に入るんだろう。
と悶々とする毎日でした。
なので、『お母さんは太陽』は私にとってはプレッシャー以外の何者でもなく、呪いの言葉のようでした。
言われるたびに、見るたびに『良きお母さん像』を押し付けられて、それに当てはまらない自分の至らなさを指摘されているような感覚でした。
でも。
太陽だって、夜になれば沈んで休むし、天気が悪い時は雲に隠れたりもする。いつだって燦々と輝いているわけじゃないんですよね。
さらに言えば、同じ曇りだって、雲に隠れてまったく見えない時もあれば、雲の隙間から明るい日差しを少しだけ届けている時もある。
お母さんという太陽だって同じでいいんじゃない?
休んでいたから、雲に隠れていたからダメなんじゃない。
曇りの日に、お日様出てこーい!って叫んだって出てこないし、無理して出てこなくていいんです。
『お母さんは太陽』の真意
現代の世の中の女性は、『与えられた「女性」の能力』を超えるものを求められているなぁと感じます。
労働人口の減少・少子化・在宅介護などなどなど・・・周りから求められることもあるし、キャリアなど自分が求めていることもあるでしょう。
でも、やっぱり男女ともに本来の『あるべき姿、あるべき役割』に沿っていた方が無理がないんじゃないかと思います。
どうあがいたって、女性は移ろいやすいもの。柔らかくて、でも不安定なもの。炎のような熱さはないけど、ぬくもりのような温かさを持っているもの。
『お母さんは太陽』になれるのは、『いいお母さん像』や『理想のお母さん像』をいい意味で諦め、どんな自分で、どんなお母さんでいたいかを『本当の意味で自分で選んだ』結果、溢れてくるぬくもりのような温かい愛情のことを指しているのではないかなと思います。
ギラギラ灼熱のような太陽や、雲に隠れがちな太陽だと、家族も辛いですよね。
いつまでも、大事な家族には、温かい木漏れ日のようなぬくもりを届けられる私でいたい。
そう思います☺
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