インターナショナルスクールから考える日本の公教育・生徒指導観
まずは私のお友達のpostから。
お友達は日本にあるインターナショナルスクールの先生です。
続けて、
お友達はこんなふうにも呟いてます。
ほんと。
ドルトンみたいに何にもないところから必要なものだけビルトインしたらいい!
このうち、給食は、
福祉的な意味合いからもあったほうがいいとか
世界に誇るものだとか言われています。
一方で、完食指導が問題になってたり
(問題になってると思わない先生がそういう指導するのでしょうけど)、
小学校の先生方にとって給食指導ってとても大変で、
本当に必要なことに時間を使えない一つの要因だったりもします。
インターのお友達は給食についてこんなコメント。
まさに!
まさにこの感覚が、著しく欠如してると思います、日本の学校。
「みんな一緒」、大好きですよねいまだに。
食べるものも、身につけるものも、学び方も。
だから、
いいことないやろ〜〜〜〜!
授業も
いいことないやろ〜〜〜〜!
生徒指導観の転換を
一つ一つ例を挙げればいろいろありますし、
変革が求められる意味もいろいろありますが、
なんにしても、やはり生徒指導観の転換がキーを握っていると思います。
以前の記事にも書いたけど、私はやっぱり
児童生徒一人一人と社会のWell-beingを実現するってどういうことなのか、
本当の意味の「個別最適」ってどういうことなのか、
そのために学校はどんな支援ができるのか、
「みんな一緒」がどんなデメリットをもたらすのか、
本気で生徒指導観の転換をしていかなくちゃならない。
逆に、生徒指導観の転換ができている方は、
授業実践も一人一人の学びを大切に、寄り添ったものに変わっています。
せっかく「生徒指導提要」でも
と明文化してくれています。
「社会の中で自分らしく生きる」ってどういうことなのか
そのためにどんな力を学校で身につけられるといいのか、
「自己の幸福追求と社会に受け入れられる自己実現」ってどういうことなのか
そのために我々はどう支援するのが望ましいのか、
私たちが培って持っている「枠組み(自分スコープ)」を脇に置いて
本気で考える時です。
生徒指導提要では生徒指導実践上の4つの視点を
としています。
このうち特に
自己決定の場の提供
を意識的に行っていくことがポイントになっていると思います。
今子供達にAgencyを育む教育を行っている学校、
そして子供たちの自己肯定感が高い国(オランダなど)では
みたいなループがうまく作用してます。
ありのままを認める関わりができ、自己決定の場を提供できること。
大切です。
私の尊敬する先生がよくこう言います。
それは目の前の大好きな子供たちの未来かもしれません。
そうだったら悲しすぎます。
と、この職にあるうちは
どんなに現場とギャップがあると言われようとも
言い続けようと思います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。