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抽象画とはなにか?

最近抽象画に対して自分なりに少し理解できたので、そのメモです。
※あくまで私なりの解釈なので間違っている可能性もありますが、「ゲイジュツってワカンネー!」って人にも参考程度に見てもらえたら嬉しいです。


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私は小さい頃から漫画を読んで育ち、元々は漫画家になりたいと思って絵を描き始めて学んできたので、具象画には多少理解があるけれど、対して抽象画を見せられても全く分からなかった。所謂「ゲイジュツってワカンネー!」である。美術大学通ってたのに。

どれだけ分からないかというと、技術的なことも受け取り方も分からないので、感想をも上手く言えないと言うか。

「これ人っぽいね」?
「四角がいっぱい描いてある」?
それは感想というより事実だけどそういうことでいいのか?
はたまた「パワーを感じる」とか??

本当にパワーを感じるのであればその感想で良いのだが、なんか分からないので無理やりそう答えた感が否めない。どう見るのが良いのだ抽象画。


抽象画の源流は2つある。

こんな疑問を抱えながら長年生きてきた訳だが、そもそも抽象画って何さと思い、wikipediaで調べたところ、どうも源流は2つあるらしい。

一つは、パウル・クレーらドイツ表現主義を源流としたもの。

クレーについては昨年あたりに勉強する機会があったのでその知識を元に解釈してみた。
とっても大雑把に言うと、クレーはとても論理的な人で、線一本書いたものでも、これはアクティブな線、性急な線、散歩してる線、など絵に使われる要素を最小限に分解し、ひとつひとつの性質を分析してまとめた人だ。(※詳しくはパウル・クレー著 造形思考を読んでください。とても難しいですが、言ってることは感覚としてなんとなく分かる…という感じがします。)

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そういう線一本についてにすら性質を分析するような人なので、仮に「色の性質」の話をしたいと思った時に、特定の形は不要だったのではと思われる。

つまり、例えば赤色と青色の純粋な「色」について見て欲しいと思い作品を作ったとき、赤はりんご、青は空として描いてしまうと、不必要な情報と概念が入ることになる。

赤色がきれいとか、色のバランスを見て欲しいのに、本来注目してほしいところではない「りんごがおいしそう」だとか、「この絵の場所はどこだろう?」といったところが注目されてしまうのだ。

なのでクレーら源流の抽象画は、そういった「不必要な情報を意図的に排除した絵」ということではないかと解釈した。

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そして、もう1つの源流はキュビズム。ピカソの絵と言われて想像するアレである。

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(引用:https://www.amazon.co.jp/dp/B00MA2DB16/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_JW84DAGRPZKYWQFTT6AH

例えばこの「泣く女」。全然写実的ではないけど、まぁ人ぽいなとか顔ぽいなというのは分かる。つまりこちらは具象画を崩したものとしての抽象画という流れだと思われる。これが2つ目の源流。

こう考えると一言「抽象画」と言っても違いがあるのだと分かる。

で、この2つの流れはお互い行き来していたとのこと。
これまでの情報を整理するとこんな感じ。

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どこからが抽象画?

さて、上の図を見ても分かるが具象画と抽象画はグラデーションであってその境目がはっきりしないように思う。どこからが抽象画なのか?
そこでまたもやWikipediaを見てみると、抽象画かどうかの判断はそもそも作者の思惑に由来するらしい。

例えば、横長のカンバスに、左から、「○△□」と大きく油彩で描いてあったとする。

これについて、「まるはボール、さんかくは山、しかくはビル、をそれぞれ示している」と描いた本人がいうのであれば、これは具象絵画か、せいぜい広義の抽象絵画、ということになる。

これについて、「何か対象があったわけではない」と描いた本人がいうのであれば、抽象絵画になる。

これについて、「絵ではなく、デザイン・マーク・模様」と描いた本人がいうのであれば、デザイン・マーク・模様となる。

このように考えてみると、結局、その区別は、制作者の主観によることがわかる。

(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/抽象絵画

(※キュビズムが源流の抽象画は人っぽいというのは分かるので、1番の要素は持っていると思う。広義の抽象絵画ということだ。)

なるほど。結構定義は曖昧の模様。


・・・で。

実際に自分で抽象画描いてみたが、これが結構難しい。

抽象画は具象化するための技術(=リアルに見せるための技術)ではないので「こんなぐちゃぐちゃなの誰でも描けるわ。俺だって描ける」と思われがちだけど、大人になると様々な知識を得ているため、固定観念とか情報とか綺麗に描こうとかそういう意識が働いてしまって「感じ取ってほしい部分は残しつつ、意図的に意図しないものを描く」というのが想像以上に難しいのだ。

さらに言えば本当に全く何も考えないで描いてしまうとそれはただの「落書き」になってしまう可能性もある。(そういう抽象画もあるかもしれないが。)

なので、例えば「赤色と青色の対比は見せつつ、それ以外の情報は排除する」ということをやらないといけなくなる。

これは具象画を描くよりある意味大変だ。具象画は何かしら見本となるものがあるので、それを参考にすればいいからだ。

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(↑完成した抽象画。ここにたどり着くまで何度も描き直した。)

最初は筆で描いてたのだけど、めっちゃ意思が入る。
なんとなくきれいにしようと形整えちゃったりとか、お花っぽいもの描いちゃったりとか。

自分なりの描き方の結論として、大きめの筆を使うとか、スポンジを使うとか、そういう自分の意思が細かく入らない道具を使うのが良さそうだと思った。この絵は最終的にパレットナイフで描いた。


受け手は抽象画の制作意図を正しく読み取れるか?

これらの抽象画の情報から察するに、作者の制作意図は絵を見た上で、タイトルや解説を頼りに想像するしかないように思う。

タイトルが「怒り」だったら、ただ「この激しい飛沫は怒りの表現なんだな」と感じれば良い。何か具体的な物として描いている訳じゃないので具象画的な技術を求めるのは間違っているし、余計な概念がないことを素直に受け取るべきという感じだ。

だが作品が「アートの分野」として考えると完全に意図を読み取れなくてもいいような気もしている。というのも、イラストやデザインはクライアントがいて依頼されて描くものなので、ある程度の人に意図する情報を正しく伝えないといけないが、アートは自分の哲学や問題提起としての表現、あるいは実験みたいなことを作品にしているので、伝わる人に伝われば良いのかなと思っている。また、正確な意図でなくても心の動きを与えられればそれはそれで、なのではないか。


おまけ:こどもの絵はなぜ魅力的なのか?

こどもの絵がとても魅力的に見えることがある。
これについてもなぜなのだろうとずっと考えていたのだが、あれは抽象画としての魅力なのではないか。

お気に入りの色でぐるぐるを描いて、「これはママ!」と言う。
目は2つとか、頭は丸くしないととか、顔は肌色で塗らなきゃとかそういった意識はない。きれいに描こうとして小さくまとめることもない。ある種、固定観念が外せてると言える。

そんな風に自由に「意図せず」描かれた作品に、「目は2つ描こうね」などと具象画的な指摘をするのは野暮だろう。こどもの絵を見て「なんか素敵!」と思うのは、抽象画に対しての感想として多分大正解なのだ。

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