人生の棚卸し① 心臓の病気との向き合い
WWOOFを通して知ったフリースクールに関わりたいと強く思い、1カ月の旅を終えた後、島根から高速を運転し、1日で熊本に戻り、スタッフを募集していないこのスクールに「スタッフとして働かせてください!」と頼み込んだ。笑
今思い返すと、無茶で無謀だと笑いが出る。でもそれほど本気で必死だった。
どこにも所属せず、どこにも定住せず、ふらふらと生きてきた私がなぜここに所属し、熊本に定住しようと決めたのか。一言でいうと、勢い。でもこのぼんやりとした人生に何か見つかる気がした。そしてWWOOF時にスタッフの方が言っていた「子どもを通して過去の自分が見える。思い込みを知る。自分が成長する。」ということを私も体験してみたかった。
「子ども好きじゃないんです」と発言するほど、私は子どもが大の苦手だった。どう接して良いかもわからない。そんな状況からスタッフとして走り出した。このとき受け入れてくれた、代表、スタッフのみなさんには感謝でいっぱい。
望んだ通り、私は過去の自分に物凄く向き合った。人生の棚卸しをした8カ月だった。今思い返すと、楽しくて笑っていた気もするけど、苦しくて辛いことの多い8カ月だった。人生で一番涙を流した、過去の自分を見つめ、抑え続けた感情と向き合った。
①自分の心臓の病気を自分の中で抑え込んでいたこと
病気になって16年、辛いや寂しいなどの感情も抑え込み、両親にも隠し、よくひとりで泣いて、外側では平気なふりしていた。定期健診には、ひとりで病院に行き、先生と病状を話し合ってきた。4回の入院生活や手術も孤独と辛さと不安でよく泣いていた。看護師になってからは、手術のことや病状の事も、親にも相談せず自分で意思決定してきたが、それはどれも不安で恐怖と隣り合わせだった。それさえも私は見ないように抑え込んでいた。私は大丈夫、私は強い、と言い聞かせてきた。人に弱さをさらけ出すことができなかった。
病気を知る周りの人たちに「すごいね」「偉いね」と声を掛けられるたび、私は自分はすごいんだ、と誇らしく思い込むことで、辛さをひたむきに隠し、自分を保っていた。家族含め、周りの人に辛い、寂しい、といったことを吐いたことは一度もない。強くいないと生きていけないと思った。誰かに「助けて」ということが弱いと思い込んでいた。
私は心臓に関わる恐怖、不安、孤独、辛さ、悲しさの感情をすべて自分の中に抑え込み、いつも笑顔という仮面をつけて生きてきた。家族にも心配かけたくなかった。笑顔が大好きだった私は、両親に笑って欲しかった、心配かけたくなかった。
この16年間、一度でも、寂しいね、怖いね、不安だね、と自分の感情に優しく寄り添ったことはないと思う。不安や恐怖にまみれたときは、大泣きして、このどうしようもない現実をひとりで嘆き、出口のない暗闇にいた。病院のトイレや待合室で、病院の近く公園で、病院の帰り道で、駅で、そして家では夜に布団を被って泣いていた。ふと蘇る、暗闇の中で両親が必死にパソコンで調べている場面、予定を大きく過ぎた10時間に及ぶ手術の後の母の涙、私が倒れたときの母の血相が変わった様子と泣き顔、「こんなに病気が重なることないから手術でどうにもならなかったら移植しかないって」と言った母の絶望や悲しみに満ちた声、バスケを楽しんでいたら急に始まる苦しい動悸、病院のために早退したり入院した学生時代、たくさん浮かんでくる場面。ああ、私はこんなにも苦しかったんだ。健康でありたい、と願った日々。病気を恨んでいた日々。
今年3月の終わり、4度目の入院と手術を受けた私は、病気に関する自分の感情を初めてそのまま受け入れた。
といってもそれは簡単なことじゃなく、まず入院前に鼻に綿棒入れてコロナ検査するときに痛すぎて大号泣し、病院なんて大っ嫌い!痛いことばかりする!っていうところからの始まり。笑
入院当日、入院したくなくて、ネガティブな感情に浸っていたとき、ふとある人に言われた「いつだって今いる場所を居心地良くすること」を思い出し、入院前にショッピングセンターへ行き、着心地の良いパジャマ、おやつ、ご飯のお供、化粧水セットなどを購入。うきうきな感情になった私が病院に着いたときは、入院予定時間の2時間弱すぎており、携帯にも着信があったが気づかず、病院は母にも電話していた。ごめんなさい。
入院中、辛い、怖い、痛いことばかり、不安、嫌だ、そんな感情と共に過ごした。そうだね、怖いよね、不安だよね、否定することもなく全ての感情をだた受け入れて寄り添った。ここにいていいよ、今まで気づかぬふりしてごめんね、抑え込んでごねんね、今までよく頑張ったね、ありがとう、辛い思いさせてごめんね、などの言葉を感情を抱きしめながら伝えた。全ての感情が愛おしく思えた。
一番恐れていた痛み、手術の内容が軽かったからか、先生が上手かったのか、痛みに弱すぎる私を知っている先生のおかげか、術後、ほどんど痛みはなく、鎮痛剤を飲むこともなく過ごした。痛みが出てきたとき、そっと傷口に手を添えて、痛いね~と痛みに寄り添うと痛みは消えていった。
看護師という経歴があり、入院が嫌いな私を知っている先生は入院期間4日と脅威のスピードで退院させてくれた。つまり術後2日目での退院。私が望んだものだけれど、退院前後は、恐怖と不安が私を襲った。怖い!なんで帰るって言っちゃったの、不安、なにかあったらどうしよう、それにもすべて寄り添った。何事もなく月日は経った。
すべての感情を寄り添い、4日間の入院期間を私なりに心地よく過ごした結果、今までで一番快適な入院生活だった。
辛いことには意味がある、これはあなたが乗り越えられると思って神さまが与えた試練だよ、あなたより大変な人はもっといるよ、なんて言葉をかけられてきた。闘病している人の本を読んだりして、私より辛い思いしている人はたくさんいる、と自分を奮い立たせてきたけど、今思うと、そんな言葉や奮い立たせる本は私にはいらない。人と比べず、辛い、寂しい、不安だ、そんな自分の感情にひとつずつ寄り添うこと。抱きしめて認めること。それが私には必要だった。
病院なんてクソくらえ!病気なんて大っ嫌い!なんで私だけこんな辛い目にあわなきゃいけないの!みんな健康でずるい!心臓なくなればいい!病院行きたくない!そんな感情もすべて認めて受け止めてあげる。そう思っていいよ~、そっかそう思うんだね~とありのまま。そこにジャッチも要らない。
過去の私はこの感情を持ってはいけないものだと思い込んでいた。そして抑えつけて、笑顔の仮面をつけて、病気がある私が誇らしいと演じたこともあった。
この退院後、私は初めて母に、辛かったことも多い、不安で寂しかった、と泣きながら伝えられた。母に、抑えつけていた過去の自分の感情を表現したくなった。そしたらすっきりした。自分を表現すること、それは自分を大切にするために必要なのだ。
私と心臓の病気の人生は死ぬまで続く。ただ、共にいよう。病気になって良かった、これからもよろしくね、なんてポジティブには思えない。今だって、心臓が健康だったらいいな、全力で走る気持ちよさを味わいたい、薬飲まなくなりたい、あわよくば病気のない人生を歩みたかった、と思ってる。それでいい、その思いと共に、また私は一歩踏みだす。
これからも私は病院に通い、病状を知り、方針や治療方法を医師と共に決めていく。なんの自信もない、不安と恐怖だけそこにある。
でも自分の人生に責任をもって歩むとは、そういうこと。怖くて不安ながらも、医師とともに自分の意思でこの命を生きるための方針を決めていく。
他の誰かと比べず、自分の辛さ、孤独、恐怖、不安に向き合い、寄り添うこと。これからは私の感情を抱きしめて、私を大切にして生きていこう。私はは、弱さもネガティブもまるっとひっくるめて自分のことが大好きです。
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