見出し画像

何もしない日々は、自分の意思で決める自由な世界。その先にあった無限の豊かさ。

人生は何かをすることに意味があると思い込んでいた。何かしなくちゃ!楽しまなくちゃ!何をしよう!と頭をフル回転させて、動いていた。何もしないこと=意味もなく無駄なこと、人生がもったいない、と思い込んでいた。楽しんでると思われたい!という人目を気にしていたのもある。

休日や長期で時間があると、どこか行っていた、やりたいことをやっていた。1日ダラダラと過ごした日は自分がダメ人間だと責めた、今日を無駄にしたと否定した。そんな過ごし方を人に言えなかった。
仕事を週2にしたとき、週5で自分の時間があるということになった。初めは、私は出かける予定を立てて活発的に過ごした。でも、ふと動き続けることを辞めようと思った。本当に必要な用事がない限り、その日の気分で自分のやりたいことや食べたいものを決めた。夕方までベットの上でゴロゴロ過ごす自分を許すように心がけた。

正直、やりたいことをやり、行きたいところに行く、活発的に動き続けている方が楽だった。遠出もせず、ダラダラしたり、ちょっとだけ動いて1日が終わったりする日は、自分と向き合う。何がしたい?何を食べたい?今どう感じてる?許せないと思っていた私をどんどん許していく。
何も決めない世界で何をするか、自由で、怖さもある。選択も無限だった。
走っている方が楽、立ち止まって自分と向き合う方が何倍も辛く、苦痛だと気づいた。

そんな日々を続けた私が感じたものは無限の豊かさだった。週2で働いて、食べたいもの食べて、好きなものに囲まれて、自分の時間も自分の空間もある幸せな世界に私はいる。”今”私はお金に困ることもなく、裕福な暮らしをできている。今日という日を、今という瞬間を、私の意思で生きている、自由な世界。満たされている世界。
「自分の意思で自分の人生を生きる」とつい最近決めた私が、もう自分の意思で人生を歩んでいると実感した。夢がもう叶っている。今の私はすべて満たされている。この日々が、無限の豊かさに溢れ、幸せだと感じられるようになった。

週5の自由に苦痛に感じ、何かしなければ!と思いながら、のんびりゆっくり日々生きる私を許し続けた。その先にあったのは無限の豊かさ。「よくやった!よく頑張ってきた私!偉いぞ!素敵だね」と今は自分を褒めたい。
何もしない、日々思いつきで過ごす私のことも、今は大好きになれている。

そして今からまた走り出したい私がいる。きっとバランスが大事。走り出して、立ち止まってを繰り返して、自分の人生をもっともっと深めていきたい。


よろしければサポートお願いします!いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。