「歴史編12」室町時代 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡

明日から使える!EriEriのバスガイド丸秘ネタ!

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縄文時代から大阪の陣まで・・・
今回は「室町時代①」

武士による鎌倉幕府がおわるきっかけをつくった「後醍醐天皇」

この後醍醐天皇がはじめたのが「建武の新政」です

要するに昔のように天皇が政治をおこない、貴族や天皇のための政治がしたかった。

それに対して「話がちがうじゃ〜ん!」と騒ぎ出したのが天皇のために命がけで幕府を倒した武士たち。

そこで武士たちが頼ったのが、幕府を倒した功労者の「足利尊氏」

源氏の名門である尊氏はもう一度「武士の為の幕府」を!と考えました。

その為には、武士のトップである「征夷大将軍」に「天皇から任命」をしてもらわなくてはなりません。

ですが、後醍醐天皇とはケンカ中・・・

そこで!天皇の派閥が2つに別れていることを利用して、後醍醐天皇側ではない天皇の派閥「持明院統」に近づきます。

「征夷大将軍に任命してくれたら、私の力で天皇にしてあげますよ〜」と。

こうして征夷大将軍に任命された尊氏は1338年に「室町幕府」を開きます。

そして、約束通りに持明院統から「光明天皇」を誕生させたことで、なんと天皇が2人になってしまいました。

後醍醐天皇は京都では肩身がせまくなってしまい、天皇の証である「三種の神器」をもって奈良県の吉野へ移ります。

京都にも奈良にも天皇が存在するように。

京都を「北朝」奈良を「南朝」といい、この一部の時代を「南北朝時代」といいます。

この南北朝時代をおわらせ南朝・北朝を統一したのが「3代将軍・足利義満」

初代・尊氏の孫です。

この人がはじめたのが「明(中国)との貿易」

きっかけは、中国沿岸に「倭寇/わこう」という日本人の海賊が暴れまわっていて、それに手をやいた明が室町幕府に対して「何とかしてよ〜」と言ってきたこと。

義満は「わかった〜!まかせといて♡ あ、せっかくなんでこれをきっかけに貿易でもしませんか?」

こんなノリで日本と明の間で貿易がはじまりました。

このとき「貿易船」と「海賊船」とを区別するためにつかったのが「勘合/かんごう」という札。

日本側と明側の割札を合わせると文字が読めるようになり、この札をつかった明との貿易を「勘合貿易」といいます。

ちなみに日本から明へは「刀・銅・硫黄」

明から日本へは「生糸・絹・明銭」

これで幕府の財政がうるおい、室町時代の全盛期というのがこの足利義満の時代と言われています。

この義満が京都の北山に建てた別邸が義満の死後に遺言によってお寺に改められたのが今の「金閣寺」

金閣寺については【県別・京都】でご紹介します。

金閣寺と比べられる「銀閣寺」は義満の孫である8代将軍・義政がつくりました。

義政はおじいちゃんとちがって、政治は得意じゃなくて早く隠居してしまいたかったんですが、奥様との間に子どもが生まれず後継ぎがいない。

そこで、弟を後継ぎに!

すると、奥さんとの間に子どもが生まれてさぁ、大変!

次の将軍をどっちにするかで争いになってしまいます。

弟をおす「細川勝元」と
子どもをおす「山名宗全」の戦いが「応仁の乱」

応仁の乱は11年も続き、京都の町を焼き尽くしました。

この戦いが終わって、京の町は荒れ果てた状態だったのに、義政がおじいちゃんのマネをして東山につくった邸宅が、今の「銀閣寺」

義政は奥さんから逃げるようにして東山に・・・いうなれば銀閣寺は義政にとって「男の隠れ家」だったんです。

さぁ、次回はいよいよ【戦国時代】に突入します。

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