「歴史編8」平安時代② 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡

明日からつかえる!EriEriのバスガイド丸秘ネタ!

只今、歴史編をシリーズでお届けしております♫

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歴史の話はこのまま使うというより、ざっくり頭にいれておくと観光地の案内をするときに話をつなげられるようになったりお客様への説明がわかりやすくなるので基礎といった感じで記録にのこしていきます!

縄文時代から大阪の陣まで!今回は「平安時代②」

約400年続いた平安時代で押さえておきたいのは「藤原氏」

天皇ではないが、なんとか政治の実権をにぎりたい!と、権力をもてるポジションをねらうんです。

その方法が「自分の娘を天皇の奥さんにする」というもの。

そして産まれた子どもを天皇にしたら自分は「天皇のおじいちゃん」になれるから、その立場を最大限利用して「天皇のおじいちゃんの言うことがきけんのかぁ〜」と政治に口を出すようになっていく。

例えば、天皇がまだ幼かったり、女性であれば「摂政」として、天皇が成人すると「関白」になって政治の実権を握り続けた。

これが「摂関政治」で、天皇はなかなか出番がなく、藤原氏の思い通りになってしまう。

その藤原氏で1番栄華をきわめたと言われるのが「藤原道長」

道長さんは、娘と孫を3人、天皇の娘にしているのでずーっと権力をにぎったまま。

その中で有名なのが一条天皇の后となった「藤原彰子」

一条天皇にはざっくり言うともう一人奥さんがいて、それが「藤原定子」

彰子さんと、定子さんには今で言う「家庭教師」がいて

彰子の家庭教師は→源氏物語の紫式部

定子の家庭教師は→枕草子の清少納言

奥さま同士も火花がちりますが、家庭教師である二人もライバルとして火花がバチバチだったそうです。

平安時代も大変だったんですね

ちなみに「藤原道長」さんが京都の宇治に建てていた「宇治殿」という別荘があり、これを長男の頼通さんが「寺院」に改修したのが「平等院鳳凰堂」です。

藤原氏がこうして権力を握るのですが、それに真っ向から反対した人物が!

それは「菅原道真」

道真公は身分ははじめ高くなかったけど、とてつもなく賢い人で18才で宮中に入るとその賢さで「右大臣」という位にまでのぼりつめる。

「右大臣」がいれば「左大臣」もいて、それが「藤原時平」

この時平さんが、道真公を妬むんです。

妬んで、「道真が天皇に謀反を企てた」と、道真公に「罪」をかぶせ追いやったのが「福岡県の大宰府」

実質、島流しのようなもので道真公は左遷されて2年後に大宰府で亡くなります。

その後、都では道真公の祟りと思われる災いが続きます。

例えば「屋敷にカミナリ落ちまくる!」

道真公が怒っているんだ‼とその怒りを鎮めるために道真公を「神様」として祀ったのが全国にある「天満宮」のはじまり

道真公の怒りが雷となって「天に満ちた」ということから「天満宮」と呼ばれ、今、全国にある天満宮は1万2千社といわれています。

道真公といえば「遣唐使」に選ばれたときに「遣唐使」はもうやめましょう!と進言して、それがOKされたので「遣唐使を廃止した人」でもあります。

それまでは何をするにも中国のマネをしていたけれど、遣唐使をやめたことで「中国のマネではない日本オリジナル」の文化が!

「ひらがな」や「カタカナ」はこの頃にできたものです*^^*

道真公と天満宮については「人物シリーズ」で詳しく書く予定にしています!

平安時代…もう少し続きます!

「平安時代②」はここまで、次回は「平安時代③」

藤原氏〜平清盛〜鎌倉時代までの流れをざっくりご紹介します♫

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